バスに揺られながら、ぼんやり外を眺めている横顔を見た。
相澤の向かい側に一人ぽつんと座るみょうじは関西へ急行したあの日の翌日、つまり夏休みの初日に祖母を亡くした。
無理はするなと言ったが、大丈夫だと言って笑う顔はどこか辛そうで、けれどそんなことは当たり前だとも思える。
まだ子供だというのに家族をすべて失う悲しみなど、彼女の倍生きている相澤にも計り知れないものだった。
それなのにどうしてみょうじは頑なに笑顔を作ろうとするのか。その苦しみをどうしたら軽くしてやれるのか。
相澤には見当がつかなかった。



合宿先まで土魔獣に襲われながら突き進むのは骨が折れたが、休む間もないなら悲しむ暇もなくなるのが唯一の救いだった。
それでも、一息つけば胸の底がずきんずきんと痛み始める。
温泉に浸かりながら口元まで湯に沈めているみょうじへ、麗日が声を掛けた。

「なまえちゃん、大丈夫?ぼーっとしてるけど」
「大丈夫だよ」

そう言って笑う顔はどこか困っているようで、彼女が更に踏み入った言葉を掛けようか迷っている内にみょうじは湯から上がってしまった。

「ちょっと逆上せちゃった、先あがってるね」
「…、うん…」

更衣室で衣服を纏っている最中、浴場のほうから少々騒がしい声が聴こえたが、みょうじは未だぼんやりとしながら更衣室を出る。
それと同時に、男湯のほうからタオル一枚腰に巻き付けただけの緑谷が少年を抱き抱えているのに出くわして彼女は足を止めた。
合宿先のヒーロー、マンダレイの従甥。確か洸汰くん、といっただろうか。
そんなことを思いながら声をかける。

「どうしたの?」
「気を失っちゃったみたいで」

マンダレイがいた応接間に共に着いて行くと、そこでみょうじと緑谷は思いがけず洸汰の生い立ちについて聞かされた。
ヒーロー同士の間に生まれ、幼い頃に両親に先立たれた。その境遇は似ているのに、決定的に大きく違うことがある。
胸にはぐるぐると黒い感情が巻き起こり、それ以上聞いているのが辛くなってみょうじは部屋を出た。

夜風に吹かれていると、すこし落ち着く。宿舎を出た短い階段の前で膝を抱えて座りながら、ぼんやりと騒めく木々を眺めていた。
このまま頭を空っぽに。
しようとした瞬間、背中から足音が聴こえた。
きっと緑谷だ。自分の境遇を知っているから、それで気にしていると思って追いかけて来たのだろう。
みょうじは膝の上で組んだ腕に顎を置きながら、ぽつりぽつりと言葉を紡いだ。

「…私ね、お父さんとお母さんは心中なんてしてないと思ってるの。
ヴィランと戦って、ヒーローとして最期を迎えたんだと…思ってて。……だって私、見たんだよ。
ヴィランに立ち向かってくお父さんの背中。…なんて、信じて貰えないか。
笑っちゃうよね…全部わたしの、妄そ…」

「……笑わねえよ」

その背中にぶつけられた声が予想していた人物のものとは違って、みょうじは咄嗟に背後を振り向いた。
そこに立っていたのは、部屋着のポケットに両手を突き入れて無愛想な顔をした爆豪だった。
言葉が出てこないみょうじの横に腰を落としてしゃがみ込むとまるで不良のようで、そんな彼の口が開く。

「…お前がそう思ってんなら、そうなんだろ」

視線はすこし先の地面を見ていたが、その言葉は間違いなくみょうじに掛けられたものだった。

「………信じて、くれるの…?」

今まで誰に言ったって信じて貰えなかったのだ。警察も、友達も、豊満ですら半信半疑で。
それなのに、何も知らない筈の爆豪がどうしてそんな事を言ってくれるのか、みょうじには分からなかった。
彼女の信じられないとでも言いたげに見開かれた丸い瞳に爆豪は自分の後頭部を掻き回すと、少し面倒そうに言う。

「…信じるとか信じないとか以前に、俺はお前が言ったことしか知らねえだけだ」

今まで誰にも受け入れられなかった自分を、その考えをただ黙って飲み込んでくれたことにみょうじは驚きを隠せない。
それが爆豪であることには、不思議となんの疑問も抱かなかった。
彼の心根が優しいことには、とうに気が付いていたからだ。
只々、その時は嬉しくて涙が出た。

「っ、……泣くな、めんどくせぇ」

本当に面倒くさそうな顔を浮かべて、舌打ちをしながらも離れずにいてくれる、その不器用な温もりを知るほど涙が溢れ出てくる。

「あっ居た、みょうじさ……ってかっちゃん!?」

足音が駆けてくると思えば、声の主は毎度の如く爆豪の存在に驚きの声を上げる。
みょうじが泣いている横で不良座りをした爆豪が眉間に皺を寄せているのであるから、傍目に見ればカツアゲでもしているかのように見える。
おろおろと狼狽える緑谷に、涙声でみょうじは泣かされたわけじゃないことを弁明した。
それから先に爆豪に話したことを、緑谷にも。

「…信じるよ」

驚くほどすんなりとみょうじの言葉を信用した彼の目には一つの疑いすら見えない。
緑谷の顔を伺うみょうじへ、更に彼は言葉を続けた。
僕の知る限りきみの両親は立派なヒーローだったし、何より。

「きみと僕は、"あの日"会ってるんだから」
「!」
「思い出したんだ。事件のあの日、ショッピングモールでヴィランが出たこと」

みょうじが緑谷に最初「どこかで会った」と言われた時、真っ先に思い浮かべたそれと今、彼が発言した中身は同じだった。
インターネットで調べたら確かに間違いなかった、と裏付けする緑谷に、しかし爆豪は何の話かついていけず眉間に苛立ちを露わにする。

「じゃあそのヴィランと、お父さんは戦った…?」
「それが奇妙で、…そんな目撃情報は一切なかったんだ」

姿形を変えられるとはいえ、みょうじの父、メテオリオンの戦闘スタイルは"ベビーサイズ"になって超パワーで敵を倒す、というのが主流だった。
あの日出たヴィランもパワー系で、自ずとそうせざるを得ない筈なのだ。
そうすれば誰かしらの目には留まる。
が、あの日避難誘導をしていた二人の大学生と、犯人逮捕に尽力したプロヒーロー数名に関する情報しか残っていなかった。

「…みょうじさんは何か覚えてない?」

あと少しで、何かが。
そんな色が彼の瞳に垣間見えてみょうじは記憶を探ってはみるが、やはり何も出てこない。

あの日は、殆ど意識が朦朧としていて。
前日の夜いつも通り母の隣で寝て、気が付いたらショッピングモールにいた。
両親と手を繋いで歩いていた筈だが、記憶が曖昧だ。
それから次に、人の波。気が付いたら大混乱に陥った人々の足元で、蹲っていた。
その辺りでまた意識が飛び次に目が覚めたら病院のベッドの上で、両親はもういないのだと告げられた。

そこでふと、みょうじにはある疑問が浮かぶ。

「緑谷くん、どこで私と…?」
「ショッピングモールだよ。パニックで逃げ惑う人の中、きみは一人で蹲って震えてた」

同じ目線だったから気付けたんだ。
声を掛けたら手を握られて暫くそうしていたけど、少し人の波が落ち着いた頃にきみはふらりとどこかへ行ってしまって…。
そう説明する緑谷に、みょうじは自らの記憶が彼によって照らし合わされたことに、自分は間違っていなかったのだということに、つい涙が滲んだ。

「…そんな騒動だったのに、どうして」

その記憶は抜け落ちて居たが、きっと幼き日の緑谷だって怖かった筈だ。
そんな彼女の疑問に、彼はきょとんとして、それから当たり前のように、言ったのだ。

「君が救けを求めてるように見えたから」

堪えた筈の涙が、音もなく伝って頬を濡らした。慌てる緑谷に急いでごしごしと袖口でそれを拭い、目尻をまだ濡らしながらみょうじはふわりと笑った。

「…ありがとう」

合宿が始まってから笑顔の見えなかった彼女の素直な言葉に安堵して、緑谷は急に思い出したように、ずっと聞きたかったんだけど、と口を開く。

「みょうじさんはオリオンみたいにベビーサイズになったりしないの?そのほうがもっと力が出せるんじゃ…」

その言葉にみょうじは一瞬息を飲んで、それから少し躊躇いつつ今まで誰にも言ったことのない仮説を話し始めた。

「…5歳までしか、なれないの」

個性の性質の話かと思った二人は、しかしその後に続いたみょうじの言葉にそうではないと悟った。

「私の個性、5歳の誕生日に…あの事件の日に発現したの。…っていっても、個性の性質上、もっと小さくなることは可能の筈だから…たぶん。…心の、問題」

みょうじの発言に、緑谷は一人妙な胸騒ぎを覚えた。その原因は判然としないが、やけに嫌な感覚だ。
個性の発現は4歳まで。
5歳ぴったりであれば確かに誤差の範囲内と言えそうなものだが、しかしあの"不可解な事件"の日を境に発現するなんて。
…以前、確かオールマイトから。

「これも馬鹿みたいな話だけど…私の個性、お父さんとお母さんから…奪ったものなんじゃって、ずっと思ってて…」

だから、その節目となった5歳より小さくなれないのは、きっとそれが原因だとみょうじは言った。

「…アホだろ。んなもん気にしてんな」

馬鹿馬鹿しい、そう吐き捨てながら宿舎へ戻ろうとする爆豪は、しかし緑谷がその途端に黙り込んで何か思案しているのを見る。
木々が一層強い風に吹かれてざわざわと音を立てていた。

りんかん

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