雄英高校前期の終業日、1年A組の教室で相澤が教壇に立っていた時だ。
その報せは突然、彼女の元へと届いた。

「イレイザー、みょうじいるか」
「…なんだ、急に」

前扉が勢いよく開いて顔を出したのは、いつになく慌てた様子のマイクだった。
要件を言えとの視線を無言で送る相澤に、みょうじのきょとんとした顔をちらと横目にマイクは彼に手招きする。
一言耳打ちされると、相澤は彼女を廊下に連れ出した。

「…落ち着いて聞けよ」
「?」

未だ何を言われるか見当もつかない彼女の視線に合わせるように、相澤はその肩に手を置く。
その瞳が真っ直ぐみょうじを射抜いて、口を開いた。

「お祖母さんが倒れた」
「………嘘、」

相澤からの言葉を聞き、一瞬頭が真っ白になった。視界がぐらりと揺れて、彼女はその場にへたり込む。

だって、ひと月前に会った時はあんなに元気だったのだ。
たくさん話をして、天喰先輩にちょっかいを掛けて笑っていた。それほど元気だった。
つい一週間前には太志おにいちゃんからも顔を見てきたと連絡を受け取ったばかりなのに、どうして。

「今、病院から連絡入ってよ。…その、出来ることならすぐ」
「行きますっ」
「みょうじ、一旦落ち着け」

一度深呼吸をしろと、相澤が言う。
自分が肩で息をしていることに気が付かない程みょうじは動揺していた。
このまま放って置いてはまたパニックになって個性を発動してしまいそうだ。

どちらにせよもう5分程でHR自体は終わる。
それに今焦って向かった所で電車を待つ羽目になるだろう。
一度家に帰って荷物もまとめねばならない。
彼女が落ち着く為にもゆっくりとそう言い聞かせ、相澤はそれから新幹線の発車駅まで自分が車で送っていくと言った。

「いいな?」
「…はい、ありがとうございます。先生」

幾分落ち着きを取り戻したみょうじは目を伏せ、それから膝の上でぎゅっと手を握りしめる。
教室へ戻った彼女にどうしたのかと問いたげな視線が投げ掛けられるが、そんな視線に気がついてみょうじは控えめにはにかんだ。
が、すぐに視線を落としたまま自席へと戻る彼女に、誰も何も問わなかった。

HRを終え足早に教室を去るみょうじの背が前扉から出た相澤と共に廊下を小走りで歩いていくのを、爆豪は帰りかけた足を止めて見ていた。

「どうしたんだろうな、みょうじ」
「……知るか」

口ではそう言いながらも、あの笑顔を見せる一瞬唇を噛んでいたのが妙に胸につかえて、それが何故か無性に不愉快だった。
明日の休日、皆で木椰子区のショッピングモールへ合宿に向けた買い物へ行こうと誘う切島に、爆豪は面倒だと返すと昇降口へと向かって歩く。
そこに先の小さな背中が見えて彼は足を止めた。
下駄箱から取り出した綺麗なローファーの踵を雑に踏み潰して飛び出して行くみょうじを眺めながら、あれではそのうち転びそうだと眉間に皺を寄せるのだった。



車の助手席に座るみょうじの表情は依然曇ったままだ。先から電話が鳴っているが、一向に出ようとしない。
そんな彼女は恐らく適当に選んだのであろう最低限の着替えと貴重品だけを詰め込んだ小さな旅行鞄を抱えながらぼんやりとダッシュボードを見つめている。
家に到着した時、ついでに着替えて来いと言ったにも拘らず制服のまま鞄ひとつだけ抱えて戻って来た。

今朝買って封を開けずにいた無糖缶コーヒーを差し出しながら飲めと言う相澤に、それを受け取るみょうじの手は震えていた。

「…たった一人の家族なんです」
「…………そうか、」

窓の向こうを見つめながら呟かれた言葉に、彼はそれ以上何か言う気にはなれない。
両親のことは知っている。
あの事件のことで聞きたいこともあったが、今その話をするのはあまりにも不躾だと思えて言葉にすることは叶わなかった。

「…会えるといいな」

窓の外を眺めながらその頭がしっかりと頷くと、抱えていた鞄にぱた、と水滴が落ちた。



総合病院に到着したみょうじが慌てて病室へと急ぐと、その扉の前に見知った顔があった。
学校からほぼそのままやって来たのだろう彼女に気がついてすぐさま駆け寄ったのは豊満だ。

「なまえ!」
「太志おにいちゃん…」
「電話くらい出え、心配したやろ」

着信履歴には彼からの電話が何本か入っていたが、いずれも不在で処理されている。
それどころでなかったみょうじは彼の咎めるような目にごめんと返す。
その顔が俯くと雨粒を被ったレンズのように視界が滲み始めて、みょうじは豊満に縋り付いた。

「おばあちゃんは…っ」

彼の大きな手が何度も背中を摩り、とりあえず今は安定していると簡潔に説明した。
病室へ入り、今は点滴を打たれ安静に眠っている祖母の顔を確認すると、少しばかり落ち着きを取り戻したみょうじは豊満に促されるまま椅子に腰掛ける。
もう既に外は暗くなりかけていたが、豊満が購入して来た軽食にも手を付けず、忠犬ハチ公のようにじっと同じ体勢で動かないみょうじに彼は声を掛けた。

「な、今日は帰ろ」

豊満の呼び掛けに、しかし彼女は首を横に振るばかりだ。梃子でも動かなそうなみょうじを、豊満は少々強引ではあるが肩に担ぎ上げた。

「やだ離してっ、…おばあちゃんが起きるまでここに居る」
「あかん。ばあちゃん起きてなまえがお化けみたいな顔してたらビックリし過ぎてもっかい気絶してまうやろ」

せやから、帰ろ。
穏やかで優しい声にそう諭されると、駄々をこねていたみょうじは渋々抵抗をやめた。
それから、しょぼくれた声でぽつり。

「…自分で歩けるよ」



給湯器が湯船に湯を張ったことを合図する電子音が鳴り響く。
風呂入ってき、と言う豊満に、みょうじはしかしダイニングテーブルに腰掛けたまま空返事をした。

「…なにしとん。入らんの?」
「んー、」
「俺が入れたろか。なんか昔思い出すな」

と言っても、一緒に海やプールに遊びに行ったことくらいしか無いのだが。
彼が敢えて冗談を言ったのもみょうじには届いていないようで、テーブルの上で頬杖をついたままぼんやりとする彼女は、返事をしてから意味を考えた。

「んー、……んっ?」
「よっしゃわかった!」
「…ひ、一人で入れるから!」

違和感に気付くと豊満の顔を見て、それから椅子がひっくり返るのではないかと言うほど仰け反ったみょうじに冗談だと言いつつも、そこまで嫌がらんでも。と密かに彼は傷つくのであった。

のそのそと浴室へ消えていく背中を見ながら、豊満は家庭用たこ焼き機に電源を入れる。
流し込んだ生地が焼けるのを待つ間、彼の頭にはみょうじの幼い頃の姿が浮かんでいた。
初めは極度の人見知りで、いつも両親の後をついて回っていた娘。
当時18歳だった自分と顔を合わせた時も母親の後ろに隠れて中々出てこなかったことを思いながら、それがいつの間にかこんなにも心を許してくれるようになった。
本当に大きくなったとその成長に感慨深くなってしまうその裏で、彼女の悲しみも共に大きく穴を拡げていることを彼は知っている。

豊満自身は親や兄同然の目線で彼女を見てきたつもりだが、みょうじにとってはそうではない。
ただ他の人より彼女の多くを知っていて、偶々幼い頃から近くに居たから他の人より心を開いてくれているだけ。
どうしたって失った家族の代わりになんてなれやしないのだ。

そうしてまた、彼女は失うことを恐れている。

俺がその不安を拭い去ってやれたなら。
しかし、それは叶わない。

そんな自分の至らなさを心中で嘆きながら、彼は焦げてしまったたこ焼きを裏返した。



翌日朝、病院から祖母の意識が戻ったと連絡を受けたみょうじはすぐに見舞いへと向かった。
結局、ろくに眠れず食事も喉を通らずで相変わらず幽霊のような顔をしていたが、祖母の安否を確認し幾らかその顔は血色を取り戻す。

「おばあちゃんっ」
「なまえちゃん、来てくれたの」

今にも泣き出すのではないかと思うような顔を浮かべる孫娘に、祖母は穏やかに応える。
体調の具合を聞いてから安心したみょうじは、それから他愛ない話をした。

「学校はどう、お友達できた?」
「うん、みんないい人だよ」

ご飯食べてる?飴食べる?と、豊満と同じようなことを尋ねる祖母に笑いながら、彼女はその手が以前見たよりも痩せ細っているのに気が付いた。
自分の人差し指をそっと撫でるその手と俯く視線に、祖母は徐に口を開く。

「…お医者様が仰るにはね、ー」

肝臓癌であるそうで、既に他の場所へも転移しているらしい。そう告げられたみょうじの顔を見て、祖母はその頭を優しく撫でる。

「もう歳だもの。そんな顔しないで」
「…っ、でも……いやだ…」

瞳いっぱいに涙を溜めて、堪える間も無くそれはぽたぽたと落ちていく。

「私っ、ずっとおばあちゃんの側にいる……学校なんて、いかない…」
「だめよ」

先まで穏やかだった声が、語気を強めて彼女を嗜める。聞き分けのない子供のように嫌だと言い張るみょうじに、諭すような言葉が掛かった。

ヒーローになるんでしょう。
それなら、あなたを待ってくれている人達を裏切ってはだめよ。

「…っ、そんな人いないよ……」
「いるわ、必ず。…なまえちゃん、だから」

泣かないで、上を向いて。
笑ったお顔を見せて頂戴。

そんな祖母の言葉にみょうじは、なんとか笑って見せようとするが上手く笑えない。
涙を袖口で拭って、それから深呼吸をした。

おばあちゃんの言いつけなのだ。
笑っていればいつか幸せがやってくる。
……本当に、そうだろうか。
それはいつ?どこまで耐えればいい。
何度も自分の中で繰り返した問答も、今はひとまずやめにした。
"いつもみたいに"。

みょうじは笑った。相変わらず涙は滲んでぐしゃぐしゃの顔をしていたが、それでも彼女は笑った。
祖母に説得され、関東へと帰ったその日の晩、彼女の祖母は息を引き取った。

おしらせ

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