この家に居た人を見送るのは、これで三度目になった。
口論の末、家を出て行ったバルガスさん。
そのバルガスさんと話をする為に向かったお師匠様のダンカンさん。
そして、今…嘘の様な出来事を確かめに行くマッシュさん。
この家の住人だった筈の三人が居なくなり、居るはずじゃなかった私が残った。
そして自分が事の発端だと思っていたバルガスさんの事も、ただ単に話を紛らわしいものにしただけで自分は結局、部外者以外の何物でもないんだって取り残された事で痛感した。
“ここで待ってろ”って言ったあの時のマッシュさんの顔。
怖いと思うほど真剣で、もうここではない別の場所を見ていた。
分かりましたと答えるのが精一杯で、気をつけてなんて相手を気に掛ける言葉すら言えないほどで。
あっという間に見えなくなったマッシュさんの背中。どうしたらいいのか検討も付かなくて、自分はただじっと暫くのあいだ軒先で立っていた。
お師匠様の事を教えに来てくれたおじいさんもいつの間にか姿を消していて、何もしないまま今日という一日が終わろうとしていた。
だけど、日が沈みかけてから思ったんだ。
「もしかしたら…帰ってくるかもしれない」
そうだ。
もしも、あと少しで三人が帰ってきたなら何もしてないなんて駄目だ。
皆、怪我をしているかもしれない。
皆、お腹を空かしてるかもしれない。
皆が一緒に帰ってきたら。
家の中に走るように戻って薄暗くなっていた室内のランプに火を灯す。
ベッドを綺麗にしておいて怪我をしていたならポーションが必要だと思い、棚にあると教えられたそれをテーブルの上に置いた。
食事の支度も、ストーブの火種も切らさずに様子を見て、それから外を何度も何度も見に行くことをずっと繰り返していたら気付けば朝日が昇っていた。
「帰って…こないな…」
独り呟き、それでも帰ってくる事を考える。
家の横にある畑を手入れしておいたり、水を汲んでおいたり、食事を温めたりして待ち続けた。
ふとした瞬間、壁掛け時計の音が部屋中に大きく響く。
今まで気付きもしなかった音や、一人でいると感じる家の広さにハッとする。
「…………っ」
不安と孤独に心が萎縮する。
流れる時間の遅さに待っている事が辛くて仕方がない。
「しっかりしろ自分…ッ」
マッシュさんが待ってろって言ったんだ。
だから待つしかない。
待つことしか出来ないんだから。
下を向かずに上を向いて頑張って待っていよう。
そうやって自分を励ましながら昇る太陽を出迎え、沈む夕日を見送った。
夜空の下、綺麗な月灯りに照らされながらずっと待っていたが、今日も誰一人として帰ってはこなかった。
「・・・・・・・・・・」
一度家に戻って冷えた体を温めようと淹れたお茶。だけど、マッシュさんが淹れてくれたそれとは比べ物にならない程の味の違いだった。
「美味しくない……」
あの時は、あんなに安心できたのに。
今じゃ逆に不安にさせる。
「……はぁ……」
溜息と一緒に何かが零れそうで、慌ててテーブルの上に突っ伏す。強く瞼を閉じながら、誤魔化すように呼吸と同時に気持ちを外へと吐き出した。
「帰って…きて……」
不安で不安で。
削れる心と疲労が蓄積していたのだろうか。
いつの間にか眠りの中に落ちていた。
その後、ふと目を覚ました時には朝になっていた。
部屋の中を見回しても居なくなった事は夢ではなく現実で、大きくて長い溜息が口から出ていく。
自分は本当に、このままでいいのか。
待つ意外に本当に手立ては無いのか。
何にも出来ないくせにそんな考えを持った時、家の外から聞こえて来た人の声に意識の全てが向いた。
「―――!?」
まさか。
もしかしたらと思い、椅子を倒すほどの勢いで慌てて外へと飛び出していった。
「…ッ…マッ……」
三人の姿を想像して開いた扉。
だけど、そこに居たのは思い描いた三人じゃなかった。
「――――……だ、れ……」
落胆が色濃く出た一言。喜んだ気持ちが一気に落とされた気分だった。
そして、何よりも自分の前に歩いてきた人物に頭が困惑した。
「初めましてレディ」
声も、髪型も、服装も、体型も違う。
立ち振る舞いも、言葉遣いも違うのに。
なのにどうしてだろう。
何でマッシュさんを重ねてしまうんだろう……。
「あなたは…一体……」
「すまない、自己紹介がまだだったね。私はエドガーだ」
「私はユカと申します。あの…ご用件は…」
自分はここの本当の住人じゃないけど、だからこそこの家に勝手に入れることも出来なかった。だから居ない事を含めて帰ってもらうべきなんだろうと思ったのだけど。
「突然で済まないが、こんな顔をした男を見たことはないかい?」
そう言うと彼は垂れていた前髪をかき上げ、目元を優しくする。
その途端、違うと思っていた考えが否定された。
「マッ…シュ……さん」
「正解だ。マッシュは俺の双子の弟だ」
「双子の弟…」
「君が先ほど名前を言いかけたからね。居るのかい?ここに」
その問い掛けに首を横に振った。
「…今はコルツ山に」
「そうか。だったら丁度会えるかもしれないな」
「え、どういう…」
「私達も旅の途中でね。今からそこに向か」
「っお願いがあります!!エドガーさんッ!!」
相手の話を最後まで聞かず、だけど分かったからこそ言葉が出た。
「どうかお願いします!!私も…ッ私もコルツ山に連れて行ってくださいッ!!!」
おこがましくて何の考えもない唐突な願い。
マッシュさんにだって待っていろと言われた。
けれど、もう耐えられなかった。
「お願いです!どうか…どうかお願いします!!」
待つことに耐え切れず心が折れそうで、だからこそ何も出来なくなってしまう前に、やれることをしたかった。
「顔をあげてくれないか、ユカ」
「………でも……」
「そこまでお願いされて断るような男ではないさ」
「!?…じゃあ!」
顔を上げて相手を見ると優しく頷いてくれた。
「レディは俯くよりも前を向いている方が素敵だ」
整った顔立ちと綺麗な形の唇が微笑みを作り、今まで聞いた事も無いような言葉を紡いでいた。けれど、今はそれよりもコルツ山に行けるという事が頭を占拠していてそれどころじゃなかった。
「本当にありがとうございます!!!」
やっとこれで、待つ以外の事が出来る。
マッシュさんの言いつけを守らない悪い奴だけど、不安で待っていられないから。
「あの、もう一つお話したいことが……」
それから自分が戦えない事を話した。
剣を持った事もアイテムも殆ど使った事が無いと話すとエドガーさんは頷く。
「モンスターと戦ったことのない住人はこの国にもいるから心配はいらない」
「はい…」
「けれど、サーベル山脈にあるコルツ山はモンクの修行場にもなる険しい道だ。危険を承知で行く覚悟はあるかい?」
「はい。弱音は絶対に吐きません。だからお願いします」
「分かった。それじゃあ一緒に行こう、ユカ」
マッシュさんと同じ瞳を持つエドガーさんを真っ直ぐに見つめ、自分の決意を新たにする。借りていた服から自分の服に着替え、悪いと思いながらも少しの間借りるつもりでポーションを手に取りカバンに詰め込む。邪魔になる髪の毛を枝の簪で留め、出来るだけの準備を整えから家から出た。
「すみません。お時間を取らせてしまって」
「気にせずとも女性の支度には時間が必要なものだ」
「今度からは早く済ませます」
「急かしてる訳じゃないんだ。女性はいつどんな時も美し」
「おーい!!エドガー!!早く行くぞ!!」
後ろから響く声に急かされ、話途中のエドガーさんをそのままに私は2人の元に駆け寄った。
「あの、どうぞ宜しくお願い致します!」
「こっちこそな。俺はロック。よろしくな、ユカ」
「はい、ロックさん」
「私はティナ…。よろしくね、ユカ」
「よろしくお願いします。ティナさん」
差し出されたロックさんの大きな手と、とても戦えるとは思えないティナさんの華奢な手と握手を交わし、私はここに来てから初めて家以外の場所に行く。
不安がなくなる事はないけれど、待っている時よりも望みは増えた。
険しい道だとしても歩いていくことを私は自分で選んだんだ---。