▽ 涙はキミの一部
真っ暗な公園で小さく丸めた背中。ぼんやりと照らされたその背中は、今にも消えてしまいそうなほど儚くて。
「捨て猫か」
それは記憶の彼方で埋もれていたいつかのベルモットの台詞を思い出し、こぼれたものだった。
*
組織を離れて二年が過ぎた頃。
久しぶりの日本にも少し慣れてきた。少しの懐かしさと、忌々しい記憶達。
街灯に照らされた路地を一人歩いていると、家の近くの公園のベンチに腰掛ける小さな影に目が止まる。
長い黒髪に小さな背中。
ぼんやりと街灯に照らされたその影に吸い寄せられるように近付く。
近付いてくる俺の気配に気付いた影は、ゆるゆると顔を上げる。
最後に見かけた時と変わらない整った容姿。けれどあの時の勝気な彼女はそこにはいない。
暗闇でも分かるほど真っ赤に腫れた目。この時期に似合わない薄着にコートを羽織っただけのその姿。長い髪の隙間から見える首筋には、紫色の鬱血痕がいくつもあった。
「捨て猫か」
ぼろぼろになったその姿。
あの日の笑っていたなまえはいない。
俺の言葉に言い返す元気もないらしく、じっとこちらを見上げる彼女。
「一人なのか?」
彼女の前に腰を下ろし、視線を合わせながら尋ねると小さく頷く。
どうしたものか。
ここで彼女に手を差し出すのはあまりにリスクが大きい。
彼女のバックにはジンがいる。
組織に睨まれている以上、これ以上深く関わるべきじゃない。
頭ではそう分かっていた。
けれど見捨てるにはあまりにもなまえは儚くて今にも消えてしまいそうな危うさがあった。
「貴方も組織の人間なんでしょ?」
考えをめぐらせていた俺の腕になまえの手が触れる。その手は冷たくて、まるで作り物のようだった。
「・・・・・・それを聞いてどうする?」
俺が裏切り者だとジンは彼女に伝えていないんだろうか。
質問を質問で返すと、彼女の瞳がゆらゆらと揺れる。
「殺して。もう疲れた」
真っ直ぐと俺の目を見て、小さな声で、それでいてはっきりと紡がれたその言葉。
そこに滲むのは絶望。そして諦め。
「・・・はぁ、生憎俺はそう頼まれて殺してやるほどお人好しじゃない」
「だったらほっといて」
「悪いがそれも断る」
そう言うと俺は座っていたなまえの体を抱き上げた。
「っ、離して!」
「耳元で叫ぶな。うるさい」
抱き上げたその身体は、想像していた何倍も軽くて。少し力を入れると折れてしまいそうだった。
周りを見回し誰もいないのを確認すると、そのまま公園を出て自宅へと向かう。
片手で彼女を支えたままマンションの鍵を開け、部屋へと入る。そしてそのままソファに彼女をおろす。
騒ぐ気力もないのか、ジト目でこちらを睨むなまえ。
その様子がまるで懐かない猫に見えて、自然と口元に笑みが浮かぶ。
「・・・・・何がおかしいの」
「いや、まるで猫だな。お前は」
ソファで膝を抱えて座るなまえの前に腰を下ろす。
一体こいつは何者なのか。
我ながら得体の知れない女を拾ってしまったものだ。
諦めにも似た感情。どうして彼女を見捨てられなかったのか。
そんなことを考えていると、なまえと視線が交わる。
俺の瞳を見ると、ぱっと開かれた彼女の瞳。まるで引き寄せられるように、俺の頬に彼女は手を伸ばした。
一瞬身構えたが、敵意は感じられない。
その手を振り払うことはせず、じっと彼女を見据える。
「・・・・・・・・・・・・ジン・・・っ・・・」
彼女の大きな瞳からぽたぽたと溢れる涙。
あぁ、そういえばあの男の瞳の色は俺とよく似た緑色だったか。
嫌なことを思い出し、自然と眉間に皺が寄る。
まるで子供のように泣きじゃくるなまえ。抱き締めて慰めてやるほどの感情を彼女に抱くことはできなくて、じっとその姿を見つめていた。
*
お前はよく泣く奴だった。
同じくらいすぐに怒るし不貞腐れる。
まるで子供みたいな女。
黙っていたら美人なのに、と揶揄ったら数日不貞腐れていたこともあったな。
奇妙な同居生活。
最初から心を許していたわけではなかった。
それでも一緒に過ごした時間は、思い返してみるとあっという間で。不思議と嫌な思い出はないんだ。
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