▽ 時計を戻そう
あっという間に流れる時間。
気が付くとハロウィンが終わり、クリスマスムードを迎える街。
十一月六日。
仕事を終え家に帰ると大学を終えたなまえがマンションのエントランスで待っていた。
“その日”が近付くにつれて、なまえの目の下のクマは濃くなり元々細かったその体は更に痩せたような気がした。
「っ、いつから待ってたんだよ!風邪ひくぞ」
「・・・・・・研ちゃんが帰ってくるの待ってたの」
その姿を見つけ慌てて駆け寄ると、ぎゅっと抱きついてくるなまえ。その体は冷えきっていて、思わず強く抱きしめる。
自分の首に巻いていたマフラーを外し、なまえの首にぐるぐると巻き付ける。
「とりあえず部屋行こ。ほら、おいで」
「うん」
手を出すとそのままその手をぎゅっと握る冷たい彼女の手。
昔はたいして変わらなかったはずのその手。今ではそれがとても小さく思えた。
部屋に入ってからもなまえは、どこか虚ろで俺のそばを離れようとしなかった。
食欲がないというなまえに、半ば無理やり飯を食わせ風呂へと押し込む。
濡れた髪の毛からぽたぽたと滴を落としながらリビングへと戻ってきたなまえ。ソファに座らせると、そのままタオルで彼女の髪の毛を拭く。
ドライヤーで髪の毛を乾かしている間もなまえは黙ったまま。濡れていた髪が乾き、さらりと指でその髪を梳く。
「よし、乾いたな」
「・・・ありがと、」
「今日泊まってくんだろ?」
きっと彼女は、明日が終わるまで俺の傍から離れないつもりだろう。
不謹慎だと分かっていても、それほどまでに想ってもらえる事実は嬉しかった。
こくん、と頷くなまえ。
膝を抱えるようにソファで縮こまるその背中は、いつもに増して小さく思えた。
「なまえ。もう三時過ぎてんじゃん。そろそろ寝なきゃお肌に悪いぞー」
眠ろうとしないなまえ。
重くなる瞼に抗うように、必死に目を開けていようとする姿が子供のようで俺は眉を下げた。
「・・・・・・やだ。七日が終わるまで寝ないもん」
「七日終わるまでってまだまだあるじゃん。昨日からロクに寝てないんだろ?顔色悪いぞ」
「眠たくないもん・・・」
ずっと、ずっと、こんな風に一人で怯えていたんだろうな。
「ったく・・・、しゃーねぇーなぁ」
「っ!」
頑なに眠ろうとしないなまえの体を、ふわりと抱き上げる。
「俺が眠たいからなまえも一緒に寝るぞ。拒否権はなーし!」
「ちょっと・・・っ!重たいからおろして!」
「重たくないから平気。むしろもっと食え!今度また陣平ちゃん誘って三人で飯でも行くか」
じたばたと暴れるなまえ。その抵抗を無視して、寝室へと向かう。
そっとベッドになまえをおろすと、その体を抱き抱えるようにして横になる。
「俺はここにいるから。だから安心して寝ろ」
「・・・・・・っ・・・」
「俺がお前に嘘ついたことあったか?」
「・・・・・・ない・・・」
「だったら今は何も考えずに寝ろ。自分じゃ気付いてないかもしれねぇけど、酷い顔色してる」
ごめんな、なまえ。
心の中で何度謝っただろうか。
ゆるゆると瞼を閉じかけるなまえの背中を一定のリズムで叩く。
それでもその眠気に抗うように、ぐっと下唇を噛み締めるなまえ。
俺はその唇をそっと撫でた。
「こーら。痕になるからやめろ」
少しだけ赤くなった唇。不意にその唇に吸い寄せられそうになり、ぐらりと傾く理性。
・・・っ、たく。何考えてんだよ、俺。
自分自身に呆れながら、寸のところで堪える。
「・・・・・・起きたら研ちゃんいないもん」
「なまえが望むなら俺はいつだって傍にいるよ」
「・・・・・・研ちゃんは・・・優しすぎるんだよ・・・」
落ちかけの意識の中。途切れ途切れに話すなまえ。
きっとなまえにつく、最初で最後の嘘だった。
傍にいる。
俺の心は、ずっとお前だけのものだから。
小さく聞こえてきた寝息。少しだけ柔らかくなった表情に安心した。
「・・・・・大好きだよ。お前は俺の宝物なんだ」
夢の中のなまえにその言葉が届くことはない。
それでも最後に伝えたいと思ったんだ。
*
翌朝、枕元に置いていた携帯が震えた。
届いたメッセージを見ると、それは上司からの呼び出しで。
「・・・・・・怖いねぇ、その運命ってやつは」
なまえの恐れるその未来。
まるで決められたレールの上を進んでいくかのような恐怖。
隣で眠るなまえを起こさないように、そっとベッドから出て用意を始める。
家を出る前に、もう一度寝室へと戻りなまえの隣に腰をおろす。顔にかかっていた髪をそっとはらうと少しだけ身を捩らせるなまえ。
「・・・・・・ごめんな、お願い聞いてやれなくて」
きっと目を覚ましたなまえは、怒るのだろう。
それでも俺が行かないわけにはいかない。
もしここで俺が逃げれば、未来が変わってしまうかもしれない。その運命の向かう先が松田だったら?
そう考えたら逃げるわけにはいかなった。
*
「お前も呼び出されたのかよ。お互いに非番だったのについてねぇーな」
「あぁ。今頃うちのお姫様がご立腹だろうな」
「なまえとなんか約束してたのか?」
「ちょっと、な。それより爆弾が仕掛けられてる場所、二箇所あるんだって?」
気だるそうに首を鳴らしながら近付いてきた陣平ちゃん。質問をかわしながら、犯人からの要求を確認していると、隣にいた陣平ちゃんが俺の腕を掴んだ。
「おい。お前なんかあったのか?」
「なになに、陣平ちゃん。そんな怖い顔して」
「ふざけてんじゃねーよ。なんか隠してんだろ」
真剣な眼差しで額の真ん中に皺を寄せてこちらを見る松田。
ホント、鈍感なクセに変なとこ鋭い奴。
俺の小さな変化に気付くこいつ。それを嬉しく思う自分もいて、ふっと笑みがこぼれた。誰も気付かない小さな変化。それだけ長く一緒にいたということだろう。
「ほーら、皆心配してるじゃん。さっさとその爆弾とやらの解体に行こーぜ」
「・・・・・・チッ、後からちゃんと聞かせろよ」
それでもここで言い争ってる時間はない。
小さく舌打ちをした松田と、“いつも通り”を装う俺。それぞれ爆弾の仕掛けられたマンションへと向かった。
*
目の前には、タイマーの止まった爆弾。
開けてみるとトラップが多く解体には少し時間がかかりそうなそれ。その隣には、予備なのだろうか。簡易的な小さな爆弾が置かれていた。
「こっちが本命ってことか」
きっと陣平ちゃんの方はダミーだ。
となると、この止まってるタイマーも信用ならねぇ。いつ動き出すか分かったもんじゃない。二つとも解体する時間があるかもわからない。
ペンチを握る手に力が入った。
とりあえずこっちのデカい方だけでもなんとかしねぇと。きっとこれが爆発したら、タダではすまない。
ポケットで鳴り続ける携帯。それを無視して作業を進める。
きっとその相手はなまえか松田のどちらかだろう。なまえの奴、今頃泣いてるかもしれねぇな。
頭に浮かぶのは、隣に俺がいないことに気付いて泣くなまえの姿。きっと眠ってしまった自分を責めているだろう。
「・・・・・・死ねるわけねェよな、こんな所で」
ここで俺が死ねば、あいつは一生自分を責めて生きていくはめになる。
そんなことはさせられない。
頼むからもう少しだけ、もう少しだけ止まっててくれよ。
何も表示されていない液晶パネル。再びそこにカウントダウンが表示されないことを祈りながら作業を進める。
パチン、と最後のコードを切る。
「ふぅ、これで終わりか」
ほっと息をつきながら、額に滲む汗を拭う。
その瞬間、何も表示されていなかった小さな爆弾の液晶パネルに表示されたカウントダウン。
「っ、まずい!みんな逃げるんだ!」
恐らくメインの爆弾が解体されてしまった時、自動的にそちらの爆弾のカウントダウンがスタートされるようになっていたんだろう。
小さいとはいえ、ここにいたら怪我では済まない。
俺は後ろにいた隊員達に向かって叫んだ。
爆発までの数秒。まるでそれは永遠のようにすら感じた。
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