▽ 嘘つきと言われても
警察学校に入校した俺と陣平ちゃん。取り巻く環境はがらりと変わった。
初っ端から殴り合いの喧嘩をして歯を失った陣平ちゃんの姿を見た時には、思わずガキの頃を思い出して笑ってしまった。
長くはないこの警察学校での時間。
出会えたかけがえのない仲間。
全てが順風満帆といえただろう。
ただ唯一、近くになまえがいないことを除いては。
離れていると普段よりその存在の色濃さを感じてしまうもの。
いつの間にか一日の終わりに、公衆電話の受話器を握るのが日課になった。
「もしもし?今大丈夫か?」
『うん、大丈夫だよ。今日もお疲れさま!』
受話器越しに聞こえてくる声に自然と口角が上がる。
たった数分。それでもこうしてなまえと話せる時間は俺にとって大切なものだった。
こんなに長く会わないなんてなかったな。
大学での出来事を話すなまえに相槌を打ちながらそんなことを考える。
「あ、やべ。そろそろ切れるわ。また明日な」
『うん。・・・・・・ねぇ、研ちゃん!』
最後の小銭が落ちる音がして、電話を切ろうとすると不意に名前を呼ばれる。
「ん?どした?」
俺は聞き返しながら、ポケットに小銭が入っていなかったか探る。生憎ポケットに入れていた小銭は使い果たしてしまったらしい。
『いつもありがとね、心配してくれて。研ちゃんも色々大変なのに。・・・・・・お礼言いたくなっただけ。また明日ね』
返事をする前にプツリと切れてしまった電話。ツーツーという音だけが受話器から響く。
礼なんて・・・・・・。
ガチャりと受話器を元あった場所に戻すと、そのままくしゃくしゃと自身の髪を乱す。
あいつを心配する気持ちは確かにある。
一人で無理してないかっていつも気になってた。
けどこうして毎日電話をしてるのは・・・・・・、
ただ俺がその存在を恋しく思うから。それが理由のほとんどだった。
たった数分でも声が聞きたい。
そんな俺の我儘だった。
*
やっと、とは言っても一ヶ月だ。
たった一ヶ月。されど一ヶ月。
なまえとこんなに会わなかったことは、今までになかったから。
駅前で眩しそうに目を細めるなまえの姿を見つけ、名前を呼ぶ。
振り返ってこちらを見て笑うなまえが眩しくて、同じくらい儚げで。
その視線は俺を見たあと、俺の後ろで欠伸をしている眠そうな陣平ちゃんに向けられる。
ゆらゆらと、どこか不安定で危うさを感じるその瞳。彼女の心を占める‘’不安‘’は、俺達が警察学校に入ったことで大きくなっているんだろう。
俺や松田が進もうとしている道。
その話がでたとき、なまえが怯える理由の一つが分かったような気がした。
「爆発物処理班」
「・・・・・・っ・・・!」
「俺と松田。爆処に来ないかって誘われてるんだ」
二人きりの俺の部屋。
ぱっと目を見開いたなまえ。その表情で予感が確信に変わる。
小さく震える唇。不安げに揺れる瞳。
「なまえ。大丈夫だから。俺達はちゃんとここにいるだろ?」
「・・・・・・っ、ごめ・・・んっ」
「謝らなくていい。ゆっくりでいいから聞いてほしい」
確かめるように、引き止めるように、俺の腕をぎゅっと掴むなまえ。その手は冷たくて震えていた。
泣きそうなその顔を見ていることが辛くて、そのままなまえの頭を引き寄せ抱き締める。
「松田や俺のこと即戦力って考えてくれてるらしい。でも爆処はヤベェ仕事が多い。俺らが警察官になるのを嫌がってた理由って多分これが原因だろ?」
松田は爆処への勧誘に二つ返事で頷いた。
俺だって興味がないわけじゃない。
それでもその話を聞いた時、一番最初に頭を過ぎったのはなまえの顔。
「点と点が繋がったような気分だった。殉職するなんて、そうそうある話じゃない。でもあそこの部署なら他より格段にリスクは上がる」
「・・・・・・っ、」
「松田は乗り気だったよ。好きなことを仕事にできるわけだし、その気持ちは俺も理解できる」
「怖く・・・・・・ないの?」
「怖くない、って言ったら嘘になるな。とんとん拍子に話が進みすぎて、このまま突っ走っていいのか不安になる。なまえから聞いた話もあるしな」
死ぬことが怖い気持ちがないわけじゃない。
けど何より俺が怖いのは、俺の選択でお前が傷付くかもしれないことだから。
「なまえのこと不安にさせたくない。けど松田のこともこのまま一人で突っ走らせるのも心配だと思う」
「・・・っ、何で・・・」
「ん?」
「何でいつも私達のことばっかり・・・っ・・・。もっと自分のことを一番に考えて・・・」
声を詰まらせながら言葉を紡ぐなまえ。
「だって仕方ねぇじゃん。二人は俺にとって特別だから。どうしたって考えちまうんだ」
俺の手の届かない場所で松田が一人で突っ走って何かあったら、俺はきっと自分を一生許せないだろう。
そしてその未来がきたとき、お前は泣くだろう・・・?
堪えきれなくなったのか、ぽたぽたと涙を流すなまえ。その涙の粒を拭いながら視線を合わす。
たった一言でいい。
お前が望むなら俺はそれを叶えてやる。
夢、そう呼べるほど大それたものじゃない。なまえのためにそれを諦めることは、俺にとってたいしたことじゃないから。
松田のことだってそうだ。
なまえが望むなら俺が憎まれ役を買ってでも、あいつの夢を諦めさせてやる。
それであいつに嫌われたとしても、二人の未来が救われるならそれでいい。本気でそう思った。
でもお前は頑なにそれを望まないから。
「行かないで。たった一言そう言ってくれたら俺はその言葉に従うのにな」
「・・・っ・・・」
「お前は絶対言わない。だろ?」
「・・・言えないよ・・・っ・・・、そんなこと・・・」
だったら俺は俺のやり方で守ってやる。
「約束して。これから先に何が起こってもそれは俺が決めたことだ。なまえのせいじゃない」
なまえのせいじゃない。だから傷付かないでほしい。責任を感じないで欲しい。そんなことは望んでいないから。
くしゃくしゃとなまえの髪を撫でると、涙を滲ませた瞳がこちらを見る。
「・・・・・・十一月七日」
「え?」
「私と一緒にいて欲しい。何があっても仕事に行かないで」
小さな、小さな声で、絞り出すように紡がれた言葉。
遠い未来じゃない。それは思っていたよりも早い。
「意外とすぐなんだな」
「・・・・・・っ、」
「ずっと怖かったよな。ごめんな」
震える小さな体。一人でずっと抱えていたその恐怖。その日がくることがどれほど怖かっただろうか。
間接的にでも俺のせいでそんな思いをさせていたことに胸が締め付けられた。
「・・・・・・何で研ちゃんが謝るの・・・っ・・・」
「だって俺のことでそんな顔させてるんだもん。昔から言ってるだろ、なまえには笑っててほしいって」
なまえの頬に人差し指をあて、そのまま無理やり弧を描く。涙でくしゃくしゃのその顔がたまらなく可愛くて、小さく笑みがこぼれた。
「泣き虫なのはいつまでたっても変わらないな」
「・・・・・・研ちゃんが甘やかすからだもん・・・っ・・・」
「あはは、俺のせいか。なら仕方ねぇな」
弱さを素直に見せてくれることが嬉しかった。なまえの肩にかかるその重荷を少しでも背負ってやりたかった。
強くその体を抱き締める。
お前からのお願いは、何だって聞いてやりたかった。
ただ一つ。
その日が来た時、お前の隣にいる。その約束だけは、頷くことができなくて。
なまえ相手に嘘はつけないから。
誤魔化すように逃げた俺に気付かないでほしい。
腕の中で涙を流す愛おしいその存在を感じながら、そんなことを願った。
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