▽ まずはひとつ
十一月六日。
日付をまたいで七日を迎えた深夜。
私は研ちゃんの家にいた。
陣平ちゃんも研ちゃんも、警察学校を卒業と共に一人暮らしを始めた。
実家からそこまで遠くはないその場所。何度も遊びに来て居心地がいい場所のはずなのに、今日だけは落ち着かなかった。
「なまえ。もう三時過ぎてんじゃん。そろそろ寝なきゃお肌に悪いぞー」
ソファに膝を抱えて座る私の隣で携帯を触っていた研ちゃんが、いつもの調子でつんつんと私の頬をつつく。
「・・・・・・やだ。七日が終わるまで寝ないもん」
「七日終わるまでってまだまだあるじゃん。昨日からロクに寝てないんだろ?顔色悪いぞ」
「眠たくないもん・・・」
意地を張る私を見て研ちゃんは困ったように笑う。
自分でも子供じみたことをしている自覚はあった。それでも今この瞬間、研ちゃんから目を離したくなかった。
その間に彼がどこか遠くへ行ってしまいそうな気がしたから・・・・・・。
「ったく・・・、しゃーねぇーなぁ」
「っ!」
小さくため息をついた研ちゃんは、私の背中に片腕をまわし、もう片方の腕を私の膝下に入れそのまま軽く持ち上げた。
いわゆるお姫様抱っこ状態に、思わずばたばたと暴れる私。
「俺が眠たいからなまえも一緒に寝るぞ。拒否権はなーし!」
「ちょっと・・・っ!重たいからおろして!」
「重たくないから平気。むしろもっと食え!今度また陣平ちゃん誘って三人で飯でも行くか」
楽しげに笑う研ちゃんに抱えられ、あっという間に寝室へと連れてこられた私はそのままそっとベッドにおろされた。
ふわりと沈むベッド。
一人で寝るには少し広くて、二人で寝るには少し狭いセミダブルのベッド。
研ちゃんは私の腕を引くとそのまま寝転び、ぎゅっと腕の中に体を引き寄せた。
「俺はここにいるから。だから安心して寝ろ」
「・・・・・・っ・・・」
「俺がお前に嘘ついたことあったか?」
「・・・・・・ない・・・」
「だったら今は何も考えずに寝ろ。自分じゃ気付いてないかもしれねぇけど、酷い顔色してる」
トントンと一定のリズムで撫でられる背中。ふわりと香るシトラスの優しい香り。私の体を包む温かい体温。
安心感からかゆるゆると睡魔が襲ってくる。
寝ちゃいけない。
今日だけは研ちゃんから目を離しちゃいけないんだ。
私はぐっと下唇を噛み、迫りくる眠気を堪えた。
「こーら。痕になるからやめろ」
それに気付いた研ちゃんが、親指で私の唇を撫でた。
「・・・・・・起きたら研ちゃんいないもん」
「なまえが望むなら俺はいつだって傍にいるよ」
「・・・・・・研ちゃんは・・・優しすぎるんだよ・・・」
重くなってきた上瞼がゆるゆると下瞼に合わさる。
私を見る研ちゃんの瞳が優しいから。その声のトーンが柔らかくて心地いい。
「・・・・・・・・・・・・・・・・だよ。・・・・・・・・・なんだ」意識を手放すその瞬間、遠くで研ちゃんの声が聞こえた気がした。
*
カーテンの隙間から差し込む太陽の光の眩しさではっと目を覚ました私。
肩までかけてあった布団。ぽっかりと空いた隣。
さっと血の気が引くのが自分でも分かった。
慌てて枕元に置いていた携帯を手にとり、研ちゃんの電話番号を鳴らすけれど聞こえてくるのはコール音だけ。
「・・・・・・っ、お願い・・・っ・・・!」
ぎゅっと両手で携帯を握りしめるけれど、無情にも聞こえてきたのは留守番電話のアナウンス。
携帯をベッドに放り投げた私は、着替えることもせず部屋を飛び出した。
目の前の道路を走るタクシーを止め飛び乗るとそのままあの忌まわしい爆弾が仕掛けられているであろうマンションへと向かった。
手先の温度がどんどんと失われていく。
裸足のままの私を怪訝そうな顔で見るタクシーの運転手。けれどそんな視線も今は気にならなかった。
現場が近付いてくるとそのマンションを取り囲む人も増えてくる。タクシーがその人混みのせいで現場に近付くことができない。
「ここでいいです!降ろしてください!」
私は財布から五千円札を取り出すとそのままそれを運転手に渡し車を飛び出した。
規制線の張られた現場。
近付きたくても警察官に阻まれる。
私の腕を掴む屈強な警察官の腕から逃れようとしていたその時だった。
「陣平ちゃん!!!!!!」
見つけたのはもう一人の幼馴染みの姿。
私の声に気付いた陣平ちゃんは、慌ててこちらに駆け寄ってきた。
「っ、なまえ?!お前こんなとこで何してんだよ!てかその格好どうしたんだ?!」
私の腕を引きながら近くにあったパイプ椅子に座らせようとする彼。ボロボロの私の足を見てぎょっと目を見開く。
けれど陣平ちゃんの声がうまく頭に入ってこなかった。
「っ、研ちゃんは?!起きたらいなくて・・・っ・・・。今日だけは一緒にいてって言ったのに・・・っ・・・!!!ねぇ、研ちゃんはどこ!!!」
半狂乱で叫ぶ私を見て、陣平ちゃんは携帯電話で研ちゃんへ連絡をとろうとしてくれる。
繋がらない電話。
考えたくない未来がどんどんと迫り来る恐怖。
研ちゃんの名前を呼び続ける私をじっと見つめる陣平ちゃん。
「何?!タイマーが動き出しただと?!」
近くにいた警察官のその言葉に目の前が真っ暗になった。
「おい!!どういう事だよ!タイマーは止まってたんじゃねぇーのかよ!」
声を荒らげた陣平ちゃんのそんな言葉がどこか遠くで聞こえた。
フラフラと立ち上がった私はそのままマンションの方へと向かう。
駄目・・・・・・、連れていかないで・・・っ・・・!!
「おい!なまえ!!」
陣平ちゃんに腕を掴まれる。強く掴まれた腕、その痛みがこれが夢じゃないことをより感じさせた。
瞳が涙の膜で覆われ視界が歪む。
その瞬間、
ドォォォォン!!!!!!と辺りに激しい爆発音が轟いた。
マンションから立ちのぼる黒煙。
目の前が真っ暗になった。
「・・・・・・・・・嫌ぁぁぁぁぁ!!!!!」
立っていることができなくて、崩れ落ちた私を陣平ちゃんが支えた。
「・・・じんぺ・・・ちゃん・・・っ・・・。研ちゃんが・・・っ」
「あいつがお前のことおいていくわけねぇーだろ!しっかりしろ!!」
「っ、」
研ちゃんがいなくなる。
そんなの受け入れられるわけがない。
なまえって名前を呼んでくれて、いつも優しく笑ってくれる。そんなあの人を失いたくない。
「・・・・・研ちゃ・・・ん・・・っ・・・!!そばにいるって約束したじゃん・・・っ・・・!!!一人にしないで・・・っ・・・!!!」
泣きながら叫んだ私。肩を支えてくれていた陣平ちゃんが小さく息をのんだのがわかった。
俯いた私。瞳から溢れた涙が足元のアスファルトにシミを作っていく。
「・・・・・・っ、はぁ・・・、俺がお前との約束破るわけないだろ」
その声にばっと顔をあげた。
「っ、!!!!」
「・・・ったく、心配かけんじゃねぇーよ」
同時に顔を上げた陣平ちゃんが、その姿を見て小さくため息をつきながらそう言った。
目の前には、体のあちこちを煤で汚し息を切らしている研ちゃんの姿があった。
「・・・・・・研ちゃん・・・っ・・・!!!」
「心配かけてごめんな」
その胸に飛びついた私を軽く受け止めると、そのままぎゅっと抱きしめてくれる研ちゃん。
どくん、どくんと脈打つ心臓の音が確かに聞こえてくる。
生きてる。
その事実にまた涙が溢れた。
「てかなまえ、怪我してるじゃん、足!それにそんな薄着で外出たら風邪ひくだろ」
「・・・っ、研ちゃんの方が怪我してるじゃん・・・!」
「俺はいいの」
くしゃりと頭を撫でてくれるその手が優しくて、涙が止まってくれなかった。
「ありがとな。なまえから聞いてなかったら、二度とお前や松田に会えなくなるところだった」
「・・・っ・・・」
「あの話聞いてなかったら、タイマーが止まった時点で一服してただろうな。そしたら今頃吹き飛んでたかも」
耳元で私にだけ聞こえる声でそう言うとケラケラと笑う研ちゃん。いつもと変わらないその声色。
「萩原!松田!」
少し離れた場所から研ちゃん達の名前を誰かが呼んだ。
「へいへい、今行くっての。後でちゃんと連絡するから待っててくれるか?」
「・・・うん・・・っ」
研ちゃんは近くにいた救急隊員を呼び止めると、私の足の手当を頼んだ。そしてそのまま陣平ちゃんとともに上司らしき人の所へと向かう。
そんな二人の後ろ姿を見つめながら、ぽたぽたと流れる涙は止まってくれなかった。
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