カミサマ、この恋を | ナノ
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▽ 9-1



退院の日。

どこでそれを聞いたのか分からないが病院を出ると風見さんが柱に背中を預けながら立っていた。


「送ります。体調は大丈夫ですか?」

私に気付いた彼は、手に持っていた荷物をそっと取り停めてあった車の助手席の扉を開けた。


「・・・・・・零に頼まれたんですか?」
「いえ、私の判断です。降谷さんには何も指示されてません」


こんな所で立ち話をするのは、彼の立場的にも悪いだろう。そう思い助手席に乗り込みながら尋ねると、彼は首を横に振った。


きっと風見さんは零に今回のことを報告しているだろう。私が伏せておいてほしいと頼んだところで、零に忠実な彼がそれを飲んでくれるとは最初から思っていなかった。


入院していた数日間、零が来てくれるんじゃないかと期待した自分もどこかにいた。


けれど彼が病院を尋ねてくることはなかった。きっとそれが彼の答えなんだろう。



「どこか寄るところはありますか?買い物とかもしあれば付き合います」
「ううん、大丈夫ですよ。ありがとうございます」


無言がしばらく続いた車内、何度目かの信号待ちのとき、風見さんが口を開いた。


彼なりの気遣いなんだろう。優しい人だと思った。

本当のところはわからないがいくら上司の命令だったとしても、こうして私の事を気遣ってくれる彼の優しさが素直に嬉しいと思えた。


けれどどうしても考えてしまうのは、隣にいないあの人のこと。



なんで会いに来てくれなかったの?


そんな疑問が口からこぼれそうになる。


今までの零ならどんなに仕事が忙しくても、私のところに駆けつけてくれたはずだ。自惚れなんかじゃなくて、心の底からそう思えた。


何があっても彼だけは、私の傍にいてくれる。助けてくれる。支えてくれる。そんな甘えた気持ちがずっとあったのだ。



「・・・・・・だから駄目なのにね」

無意識にぽつりと呟いた言葉は、風見さんの耳には届かなかったようで彼は真っ直ぐ前を見つめていた。


この期に及んで弱い私は、まだ彼に甘えようとしてしまう。


ねぇ、ヒロくん。
やっぱり私は素直になんてなれないよ。

私が素直になったら、きっと零に伝えてしまう。


隣にいて欲しいって。


優しいあの人はきっと私の為にまた無理をする。


私が零を通してヒロくんを忘れられないように、零も私を通してヒロくんを思い出すんだろう。


それでもあの人はどこまでも優しいから。見えないところでまた傷付くんだろう。


私はもうこれ以上、零を傷付けたくないよ。



あの日から夢にヒロくんが出てくることはなかった。

夢だとしても久しぶりに見たヒロくんの笑顔。それが時間の流れと共にまるで指の隙間からこぼれ落ちていく砂のように記憶から薄れていく。



“全部忘れて、幸せになれ”


零の言う全部って何なんだろう。


過去に囚われたままの私と零。


忘れられない。忘れたい。忘れたくない。


相反する感情が心の中でぐるぐると渦巻く。



「着きました」

風見さんの言葉ではっと窓から外を見ると、そこには見慣れたマンションがあった。


「ありがとうございました。忙しいのにすいません」
「部屋まで荷物持ちましょうか?」
「いえ、大丈夫です。そんなに重たくもないですし」


私と同じくシートベルトを外しドアに手をかけた風見さんを笑顔で制し、ドアを開けた。


荷物を持って車を降りると、スーッと助手席の窓が下がる。



「・・・・・降谷さんに何か伝えることはありますか?」

私を見上げるように運転席からこちらを見る彼。自分がそれに触れていいものなのか測りかねているその表情。


零に伝えたいこと。

纏まりきらない気持ちが上手く言葉にできない。


「・・・・・・」
「みょうじさん?」


黙ったままの私を風見さんが呼ぶ。


「何も。・・・・・特に何も伝えてもらわなくて大丈夫です」
「・・・っ、分かりました」


何かを言いかけた風見さんだったけれど、彼が言葉を続けることはなかった。


私が零に今更何を伝えられるのだろう。


“ありがとう”も“ごめんね”も、そんな言葉言えるわけがなかった。


ましてや“会いたい”なんてどんな表情で言えばいいんだろうか。



小さく頭を下げて去っていく風見さんの車を見送り、角を曲がったのを確認するとマンションへと足を進めた。



部屋に入り荷物をおろすと、私はクーラーの電源を入れた。冷たい風が部屋の中を抜けていく。


一人ぼっちのこの部屋に、いつになったら慣れるんだろうか。


主のいなくなった零の部屋の扉を開ける。家具も何もないその部屋は、少し空気が籠っていた。


「・・・・・綺麗に空っぽじゃん」

部屋に入り扉の横の壁に背中を預け、ずるずると床に座り込む。

何もない空っぽの部屋が自分と重なって見えた。


ヒロくんを思い出して眠れない日、私は決まって零のベッドに潜り込んだ。


彼が私の頼みを断らないことを分かっていたんだと思う。零の気持ちに気付いた後も、私は彼に甘えていた。

男女が同じベッドで眠る意味を知らないほど子供じゃない。それでも零は私を受け入れてくれていた。


「・・・・・・っ・・・」


私の頭を撫でる彼の手を思い出して、胸がぎゅっと締め付けられた。瞳に溜まった涙のせいで、じんわりと視界が歪む。


涙を零したくなくて、両膝を腕でぎゅっと抱え唇を噛む。


零に伝えたいこと。


そんなのひとつしかない。




「・・・・・・会いたいよ・・・っ」


誰もいない部屋に、私の声だけが静かに溶けて消えた。

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