▽ 5-2
side R
結局俺は、なまえからの答えを聞くことから逃げた。
はっきりと拒絶されることが怖くて、眠った振りをするなんて我ながら子供だなと思う。
けど彼女の口から拒絶の言葉を聞くのは、今の俺には耐えれそうになかった。
*
翌日、同僚らしき女性とポアロにやってきたなまえ。
ここで働く俺を見て一瞬驚いたような表情を見せたものの、声をかけてくることはなかった。
外で会っても声をかけないでほしいと、彼女に頼んだのは自分のはずなのに他人として接されることを少しだけ寂しく思った。
同僚と時たま笑い声を混じえながら話すなまえの姿を見ていると、これが彼女の世界なんだと改めて見せつけられているような気持ちになる。
血腥い自分の世界とは違う。元々、俺や景と関わらなければ彼女はずっとあちら側で暮らすことができていたんだ。
途端に自分が彼女を縛り付けている枷のように感じてしまう。
食事を終え、同僚の女性と店を後にするなまえの姿を見送りながらそんなことを考えてしまうのだった。
*
「おかえり」
仕事を終え家に帰ると、ひと足先に帰宅したなまえがどこかぎこちない笑顔で迎えてくれる。
やはり昨日の夜の俺の言葉が尾を引いているのだろう。途端に感じる彼女との距離に、胸の奥が僅かに痛む。
「・・・・・・ごめんね、今日のお昼。まさか零が働いてる喫茶店があそこだとは思わなくって」
謝る必要なんてひとつもないのに。彼女は申し訳なさそうに、眉を下げた。
「いや、俺も話してなかったし気を遣わせて悪かった」
そんな話をしながら、なまえがいれてくれた珈琲を二人でソファに並び座りながら口へと運ぶ。
ゆったりと流れるこの時間。部屋に響くのは、テレビの音と時計の音。お互いに口を開くことを躊躇っているかのようだった。
「・・・・・・あの店員さんと仲良いんだね!一緒に行ってた同僚がいつも仲良さそうにしてるって話してたよ!」
沈黙を破ったのはなまえだった。
彼女の言うあの店員さんとは、梓さんのことだろう。たしかに仲が悪いとは思わないし、それなりに気にもかけているつもりだ。・・・・・・けれどそれは全て安室透としてで。
「・・・・・・何が言いたいんだ?」
僅かに苛立ちを含んだ俺の物言いに、なまえが気付かないはずがない。
「可愛くて優しそうな人だったし、零にはあぁいう感じの子の方がお似合いなんじゃないかな。零も楽しそうに話してたし、いい感じなんじゃないかなって・・・」
それでも尚続けられた彼女のその言葉に、ぷつんと自分の中で何かが切れた音がした。
隣に座るなまえの右腕を引き、そのままソファへとその小さな体を押し倒す。簡単に組み敷かれるなまえ。小さく息を飲む彼女に気付かなかったわけじゃないが、止めることができなかった。
「他の女の名前を上げてまで、俺の気持ちを否定したいのか?俺が誰と仲がいいって?あれは俺じゃない!俺が好きなのは・・・・・・、俺が大切にしたいと思う女は・・・・・・、ずっと昔からなまえだけなんだよ!」
なまえ相手にここまで声を荒らげるのは、たぶん初めてだろう。
「・・・・・・零・・・、ごめっ・・・ん」
掴んでいない方の左手を、そっと俺の頬へと伸ばしたなまえ。その手は少しだけ震えていて、それに気付いた俺は抑えていた右手の力を緩める。
「・・・・・・受け入れてくれなくてもいい・・・。あいつへの気持ちが残っててもいい。・・・・・・ただ・・・っ、俺の気持ちを否定しないでくれ・・・」
それはまるで彼女への懇願だった。
ずっとずっと思い続けていたのに。こんな風に彼女に気持ちを否定されるのは、胸が張り裂けそうなほどの痛みだった。
「・・・・・・違うの・・・」
そんな俺を見て、じんわりと瞳に涙の膜を浮かべ顔を歪めたなまえが口を開く。
「・・・・・・本当は嫌だったの。零が他の女の人と楽しそうに話してるとこを見て、正直嫉妬した・・・。でも私がそんなこと思える立場じゃないのに・・・。こんなの零の気持ちを都合よく弄んでるだけみたいで・・・・・・っ・・・」
そのまで話すと、なまえの瞳から涙が零れた。
一度溢れ出すと、その涙は止まらないようで次々と頬を濡らしていく。
「ヒロくんが忘れられないの・・・・・・っ、でも零がいなくなるのも嫌。他の人にとられるなんて考えたくない・・・」
第三者が聞けば、なまえの言葉は酷いものに聞こえるんだろうか。けれど俺には・・・・・・。
「・・・・・・それでもいいよ。昨日も話しただろ。忘れられなくていい、そのままのなまえでいいって」
気が付くと押し倒していたなまえの体を俺は抱き寄せていた。
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