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Another side (2/2)
米花薬師野病院にはこの日心療科の当直がおらず、白鳥警部が自身の担当医である風戸先生を呼んでくれなまえの診察が行われた。
いくつか風戸先生がなまえに質問をし、診察を終えると俺達は会議室へと呼ばれる。
『逆行健忘』
先生から告げられたなまえの病名。
突然の疾病や障害によって、発症以前の過去の出来事に関する記憶を思い出すことができなくなる病だ。
なまえの場合は、おそらく目の前で佐藤刑事が撃たれたことによるショックからきたものだろう。
生活に必要な知識は失われておらず、過去の記憶や周りの人間の記憶だけがすっぽりと失われていた。
一体なぜ・・・・・・。
たしかに目の前で人が撃たれたら、ショックを受けるのは当たり前だ。
でもそれは記憶をなくすほどなのか?
もっと何か・・・・・・、あいつの心を抉る何かが・・・・・・。
しばらく入院で様子を見るということになり、風戸先生は会議室を出ていった。
「・・・・・・おい、大丈夫か?」
無言のままの俺を心配したのか、毛利さんが声をかけてくれる。
「えぇ、先程は取り乱してしまいすいません」
「・・・自分の恋人が記憶をなくしたんだ。取り乱さねー奴なんていねーよ」
毛利さんは心配そうに眉を下げた。
会議室に風戸先生と入れ違いで、高木刑事と千葉刑事がやってきた。
「佐藤さんの手術終わりました。弾は何とか摘出されましたが、助かるかどうかは微妙だそうです・・・」
「・・・・・・そうか・・・」
高木刑事の言葉に、目暮警部は険しい表情で肩を落とした。
「・・・・・・指紋・・・」
ぽつりとつぶやいた俺の言葉に、目暮警部が「どうしたんだ?」と反応する。
「・・・・・・懐中電灯の指紋は調べたんですよね?誰のものが付着していたんですか?」
嫌な予感がしたんだ。
もしそうならなまえが心を塞いでしまったことにも納得できる。
「なまえさんの指紋だけしか付着していませんでした。てっきり懐中電灯をとったのは佐藤さんかと思っていたんですが」
高木刑事の言葉に、嫌な予感が的中する。
質問の意図がわかったのか、コナン君が足元ではっと息を飲んだ。
「それがどうしたんだ?」
毛利さんが不思議そうにこちらを見た。
「・・・・・・なまえが懐中電灯を見つけ、それを佐藤刑事に向けた。その光を頼りに犯人は彼女を撃ったんでしょう」
「・・・っ、そんな・・・」
蘭さんが言葉を詰まらせる。
彼女が記憶を失ったのは、自分のせいで佐藤刑事が撃たれたという自責の念から。その絶望から逃れるために、自らの記憶を閉じ込めてしまったんだろう。
・・・・・・クソっ・・・!
あの時このホテルに来るのを止めていたら・・・、なんて今更どうしようもないことを考えてしまう。
無意識に机の上で強く握った拳。手のひらに爪がくいこむ。
「・・・・・・警部殿。いい加減に教えてくれてもいいんじゃないですか?!」
毛利さんが隣で目暮警部に詰め寄る。
「こうして近しい人間が巻き込まれているんです!何を隠しているんですか!!」
声を荒らげた彼に蘭さんが駆け寄り諌める。
「・・・・・・全て話そう」
しばしの沈黙の後、口を開いたのは目暮警部だった。
「しかし目暮警部、それは・・・!」
白鳥警部が慌てて止めようとすると、目暮警部は「なぁに」とその静止を振り払う。
「クビになったら、毛利君や彼のように探偵でもやるさ」
「警部殿・・・・・・」
「場所を変えよう」
ようやく話してくれる気になった目暮警部の言葉に、毛利さんはほっと頬を緩めた。
エレベーターに乗り込んだ俺達は、最上階へと向かった。大きな観葉植物や花がいくつも飾られた広々とした室内からは、ビル群の夜景が一望できた。
その夜景を背にソファにそれぞれ腰かける。
彼の口から語られたのは、一年前の仁野 保氏の事件。そしてそれに関わる刑事達の話。今回の事件の犯人が警察関係者かもしれないという事実だった。
そこまで話を聞いた俺は、立ち上がり皆に軽く頭を下げる。
「・・・・・・少しだけ彼女の病室に行ってきても大丈夫ですか?様子も気になるので」
「あぁ、もちろんかまわないよ。今は園子君と千葉君がついているはずだ」
「ありがとうございます」
目暮警部の言葉を聞き、エレベーターに俺は乗り込んだ。
下降しているエレベーターの中で、携帯を取り出す。
「・・・もしもし、こんな時間に悪いな」
『いえ、大丈夫です!どうされましたか?』
「少し調べて欲しい事件があるんだ」
こんな時間でもすぐに電話に出てくれる風見に感謝しかないな。彼に仁野氏や今回の事件で分かっていることをまとめてほしいと頼み、電話を切る。
なまえの病室の前に立っていた千葉刑事に軽く頭を下げ、扉をノックすると園子さんの「はい」という声が聞こえてきた。
なるべく音を立てないように扉を開く。
「さっきまで起きてたんですけど、少し疲れてしまったみたいで今眠ったところです」
心配そうになまえを見つめながら、園子さんはそう言った。
「園子さんもお疲れなのにありがとうございます」
「そんな・・・っ。あ、私少し離れても大丈夫ですか?蘭に話したいことがあって」
「ええ、しばらく僕がついているので大丈夫ですよ」
きっと気を利かせてくれたんだろう。
部屋を出ていく彼女と入れ違いに、ベッドの脇の椅子に腰をかけた。
「・・・・・・・・・なまえ・・・」
すやすやと眠るなまえからもちろん返事はない。
閉じたままの瞼にかかっていた前髪をそっとはらい、そのまま頭に触れる。
自分が誰かも分からず、周りの人間のことも誰一人覚えていない。記憶をなくした今のなまえの恐怖や孤独はどれほどのものだろうか。
それを考えるだけでキリキリと胸が痛む。
このまま彼女が全てを思い出さなかったら・・・?
考えるだけで目の前が真っ暗になる。
「零くん」そう言って笑いかけてくれる彼女にはもう会えないんだろうか。
それでも俺は・・・・・・・・・、
「・・・・・・お前がいないと駄目なんだ・・・・・・っ、」
返ってくることの無い言葉が病室に静かにとけて消える。
こんな事ならきちんと伝えていればよかった。
後悔してももう遅い。
そんな俺達を窓から差し込む月の光が淡く照らしていた。
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