▽ 9-2
あの日何故か私は零くんに、ベルモットに声をかけられたことを話せなかった。
私の事を気遣ってくれる彼をこれ以上不安にさせたくなかった。
そして同じくらい嫌な予感がした。
その嫌な予感は不意に的中するのだ。
*
仕事を終え喫茶店を出ると、辺りは陽が傾きオレンジ色に染まっていた。
暖かくなってきた風がすっと道を抜ける。
零くんは今日は仕事で家に来るのは難しいと言っていたので、簡単な買い物でもして帰ろうとスーパーの方へと足を進めた。
「Hi!子猫ちゃん♪」
背後から声をかけられ、その声に思わずびくりと体が強ばる。
無視するわけにもいかないので、動揺を押し殺し振り返った。
すらりとした立ち姿に、プラチナブロンドの緩く巻かれた長い髪。シンプルな黒のワンピースに目深く被った同じく黒のガルボハット。ふわりと香る香りは、あの日と同じく薔薇の香りだった。
私が振り返ると、彼女は帽子をずらし大きな瞳でこちらを見て笑った。
「今日はバーボンと一緒じゃないのね」
「・・・・・・何の御用ですか?」
「ゆっくり話してみたかったのよ、貴女と。バーボンを揶揄うのも少し飽きてきたしね」
ケラケラと笑う彼女。
女の私から見ても、その姿は怖いくらいに綺麗だった。
*
「あのー・・・・・・、一体これはなんの時間ですかね・・・?」
連れてこられたのは銀座。
彼女に引きずられるようにブランドショップを次々と周り、あれやこれやと試着をさせられることはや一時間。
予想していなかった展開に、頭の中にハテナが浮かぶ。
「たまには女同士でショッピングもいいでしょ?付き合いなさい」
「ショッピングって・・・」
「うん、こっちの方が似合うわ。これ着てみなさい」
洋服と睨めっこをしていた彼女は、右手に持っていたツイードのワンピースを私に押付けた。
「ご試着はこちらでどうぞ」
にっこりと歯を見せて笑う店員さんに背中を押され試着室へと押し込まれる。
もうなるようになれ、と半ば諦めた私は彼女に渡されたワンピースに袖を透す。
「・・・たしかに可愛い」
可愛いと思ったけれど、そのワンピースの値札を見た私は思わず声を上げた。
「ワンピース一枚でこの値段・・・。怖っ!」
恐らく自分では一生選ぶことのないその値段。驚きを隠せないまま、試着室を出るとベルモットが近付いてきた。
「可愛いじゃない。これにしましょ」
そう言うと彼女は、流れるように店員さんにタグを切るように伝え支払いを始める。
「っ!こんな高いもの買ってもらうわけにはいきません!!」
「女は着飾ってこそ価値があるのよ。バーボンは貴女に服の一つもプレゼントしないの?彼もまだまだね」
慌てて彼女を止めようとするも、さらりとかわされてしまう。
彼女の押しに負けて、買ってもらったワンピースを着たまま店を出た私。
何をやってるんだ、自分・・・という気持ちと、これからどうなるのかという不安。色んな気持ちが入り交じってとぼとぼと歩く私の隣でベルモットは楽しげに笑う。
次に連れて来られたのは、これまた高そうな美容院。
彼女に逆らう元気もなくなっていた私は、言われるがままに椅子に座られされる。
仕事終わりの無造作な髪が、あっという間に綺麗に巻かれハーフアップに結い上げられる。
軽く化粧も整えられ、仕上がる頃には鏡の中にまるで別人みたいな私がいた。
「最後はこれね」
私のヘアセットを後ろのソファに座り見ていたベルモットは、先程回ったショップの袋から何やら箱を取り出して私の足元に置いた。
箱に入っていたのは、ワンストラップタイプの黒のハイヒール。赤い靴底が綺麗なそれは私でも知っているブランドのものだった。
「履いてみなさい。今の貴女になら似合うはずよ」
丁寧に箱から靴を出してくれた彼女に言われるがまま、それに足を通した。
普段着ることのない服に、履くことのないハイヒール。見慣れない少し濃い化粧に結い上げられた髪。
鏡に映る全てが別世界だった。
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