泡沫の夢 | ナノ
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▽ 振り返った君が笑う


残業なんて当たり前。定時に帰れる方が珍しいわけで、全てを悟った2年目の秋に私は病院から徒歩圏内のマンションに引っ越した。


ぽつり、ぽつりと等間隔に並ぶ街灯。ぼんやりとオレンジ色に路地を照らす街灯を横目に、近くにあるスーパーに立寄る。



閉店間近というともあり人も疎らな店内。お惣菜コーナーは、ほとんど何もなくてコンビニにすればよかったかなぁなんて思いながら唯一残っていたコロッケと肉じゃがをカゴに入れる。


コロッケと肉じゃがってどっちも芋じゃん。まぁお腹に入ればなんでもいっか。


明日のお弁当用に卵やウインナー、それと最近お気に入りのチョコレート菓子をカゴに入れると、そのままレジへと向かう。



「1458円です」

店員さんのその声に鞄の中から財布を取り出そうとする。



・・・・・・っ、嘘。ない?!


鞄を開き中を確認するも、そこに財布はなくて。そういえば昼休みに自販機に行った帰り、そのまま鞄じゃなくてロッカーの金網の上に財布を放り込んだ気がする。



最悪だ。こういう時に限って電気マネーの残高はほとんどなくて、思い切りため息をつきたくなった。


店員さんに謝って家までお金取りに行こう。いや、でももう閉店しちゃうか。


そんな事を考えていると、後ろから声をかけられる。



「会計、これも一緒にお願いします」


その言葉にぱっと後ろを振り返ると、ペットボトルのお茶をレジに置く男性と視線が交わる。


黒髪に猫目。すらりと高い身長に整ったその容姿。


「っ、」
「かしこまりました〜。お会計1556円になります」
「これでお願いします」


私が口を開くより前に、財布から2000円を取り出した彼はそのまま会計を済ませる。


彼のお茶も私の会計済みのカゴの中に入れられ、そのまま彼はそのカゴを手に取ると荷詰めのための台の方へと向かう。


慌ててその背中を追いかけた。


「急に声かけてごめんね。困ってたみたいだったから」
「ハロちゃんの、!じゃなくてお金・・・!」
「あはは、覚えてくれてたんだね。よかった、不審者だと思われなくて」


振り返った彼はケラケラと可笑しそうに笑い、猫目がふわっと優しく細められる。この前病院で会った時よりも砕けた口調に、私の緊張も少しだけ緩んだ。





任務の合間、立ち寄ったスーパー。レジに並ぼうとした時、ちょうど会計中の見覚えのある横顔。


纏めていた髪をほどいていたから一瞬誰か分からなかったけど、よく見ればそれはハロの病院で見た看護師さんだった。


たしか名前はみょうじさんだったっけ。


1度会った人の名前を覚えるのは癖みたいなもので、だからといってわざわざ声をかけるような間柄じゃない。


少しだけ間をあけ彼女の後ろに並ぶ。携帯片手に順番待ちをしているとみょうじさんは慌てた様子で鞄を覗き中を確認すると、一気に困り顔になる。携帯を確認してため息をついたところを見ると、財布でも忘れてんだろう。


しっかりしていると思っていた彼女のそんな姿が少しだけ可笑しくて、声をかけたのはほんの気まぐれだった。



何度もお礼と謝罪を繰り返す彼女。困ったみたいにしょぼんと下がる眉が、あの時のイメージとは違って幼く見えた。



「本当に気にしないでいいよ」
「そういうわけにはいかないです!今ってお時間ありますか?走って家戻ってお金とってきます!」


レジ袋片手にそう言うみょうじさん。携帯で時間を確認すると、零達との約束の時間まであと少し。彼女の家がどこかは知らないけれど、待っている時間はなさそうだ。


返さなくていいと言っても、きっとこの子は頷かないだろう。


「明日もこれくらいの時間に買い物来たりする?」
「多分・・・。残業とかがそこまでなければ、これくらいの時間にいつもここ寄ってるんで来ると思います」
「じゃあまた明日、その時に返してもらうのでもいい?この後人と待ち合わせしててさ」
「わかりました!じゃあ明日の21時過ぎにまたここで。ホントにありがとうございました」
「気にしなくていいよ。遅くまでお仕事お疲れ様」


女の子ひとりでこんな時間に帰らせるのも、と思ったけれどオレが送る方が彼女からすれば怖いだろう。幸いこの辺りは人通りも多い。


別れ際、もう一度頭を下げた彼女にひらひらと手を振る。背を向けたみょうじさんは、何かを思い出したみたいに「あ、」と呟くとパタパタとオレに駆け寄ってくる。


足を止め、目の前でスーパーの袋に手を入れる彼女を見ながら首を傾げる。


みょうじさんは袋から取り出したチョコレートをふたつ、オレへと差し出した。



「これ、良かったらどうぞ」
「ありがとう。でも何で、」
「お疲れなのかなって思って。疲れた時に甘いものって少しだけ癒されません?」


とんとんっと、自分の目の下を指さした彼女は毒気なんて少しも感じさせないふにゃりとした笑顔を向けてくる。


ニコニコと笑ったかと思うと、はっとした様子で「もしかしてチョコ苦手でした?」って大きな目をぱちぱちと瞬かせるものだから、そのくるくる変わる表情に思わず頬が緩む。



「ううん、そんなことないよ。ありがとう」


そう言うと安心したみたいにまた君は笑ったんだ。


今でもその笑顔はオレの中に色濃く残っていて、漠然とだけど優しい子だなって思った。





ほとんど初対面の人に心配されるくらいひどい顔をしているんだろうか。そりゃ零が顔を合わせる度に心配するわけだ。



今度こそ去っていく背中を見つめながら、手のひらのチョコレートをひとつ包み紙を開け口に放り込む。甘いミルクチョコレートの香りが口の中で溶けていく。


普段甘いものなんてあまり食べないから、その甘さが体に染み渡るような気なした。

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