泡沫の夢 | ナノ
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▽ それでも世界は回る


友達の距離感、ましてやその相手が異性となればどう接するのかが正解か分からない。


それでも1日に数回。彼女とのメッセージのやり取りが日常に溶け込みつつあった。規則正しい生活を送っているみょうじさんとは違って、オレの生活はその日によって起きる時間も寝る時間もバラバラだ。


それでも1日の最初に届くおはよう≠フメッセージは、オレの心の奥深くを柔らかく掠めていく。



『おはようー!仕事行く途中で可愛い子見つけたから、今日はいいことありそうです♪ 』


そんなメッセージと一緒に届いていた1枚の写真。黒い猫が金色の目をまん丸く煌めかせながら、塀の上で小さく首を傾げている。可愛いなって思いながらも、頭に浮かんでいたのはこの子を見つけて楽しそうに笑うみょうじさんの姿だった。


敬語とタメ口の入り交じったメッセージ。それはまるでオレ達の距離感みたいで、もどかしさを少しだけ感じる。



『可愛い子だね。今日も仕事大変だと思うけど頑張って』

差し障りのないメッセージ。この付かず離れずの距離感が今のオレにとっては心地よくて。これ以上近付くのが怖いと思ってしまう。


すぐに既読になったメッセージに、何とも気の抜けた猫がありがとう≠ニ言う言葉と共に手を振るスタンプが送られてきて思わず笑みがこぼれた。


彼女が使うスタンプは、いつも不思議なセンスをしているものが多い。この前は変なウサギのスタンプだった。何とも絶妙なその選択。普段スタンプなんて使わないくせに彼女がよく使う猫のスタンプと同じものを買った理由なんて自分でもよく分からなかった。



『あ!そのスタンプ買ったんですね!可愛い!』
『みょうじさんがよく使ってるよね、この猫』
『ちょっと間抜けな顔が可愛くないですか?』


少し前のそんなやり取りを思い出すと、また自然と胸の奥が温かくなる。






「朝ごはんできたよ!」

少しだけ弾んだ高い声、はっと意識が現実に戻る。ベッドに座ったまま振り返ると、キッチンの奥から結花がオレの名前を呼ぶ。


ゆっくりと立ち上がり、メッセージ画面を閉じるとそのまま携帯をポケットに入れる。リビングに向かいダイニングテーブルを挟んで、結花と向かい合うように座る。


テーブルの上には、ご飯と味噌汁、それに綺麗に焼かれた鮭が並んでいて。昨日の晩御飯の残りだというきんぴらが添えられていた。


朝からそんなに食べる方じゃない。どちらかと言えば、朝は米よりパンが好き。でも結花がオレの為にって用意するのはいつも決まって和食だった。


理由なんて簡単、付き合い始めた頃に好みを聞かれてオレがそう答えたから。



バレない嘘をつくためには、真実を少し織りまぜるといい。そんな話を聞いたことがある。真実を混ぜ込んだ嘘は真実味を増すから、と。


けどオレにはそんな器用なことは出来なかった。


完全に緑川 唯≠ニいう人間を作り上げなければ、きっと彼女と向き合うことすら出来ないから。


だから好みは1番近い存在の零を真似た。性格は女性に好かれそうな優しい言動を意識した。結花が好きになったのは、虚像みたいなオレだから。


彼女の目に映っているのは、オレ≠ナあってオレ≠カゃない。それが唯一、心の逃げ道だった。



「さっき誰からの連絡だったの?」

食事の途中、いつもはそんなこと聞いてこないのに結花は小さく首を傾げながら尋ねてきた。


1秒にも満たない、ほんの一瞬。なんと答えるべきか悩む。


「ライからだよ。どうかした?」
「んーん、何となく聞いただけ。唯くんがあんな顔して笑うの珍しいなーって思ったから」


少しだけ不貞腐れたみたいな口調。味噌汁を飲みながら、心臓が嫌な音を立てる。


無意識だった。完全に気が緩んでる、こんなんじゃダメだ。



「仕事の話だよ。笑ってたのは、結花が朝ごはん作ってくれてるのに気付いたからかな」
「あ、うるさかった?」
「そんなことないよ。朝から幸せだなぁって思っただけ」


顔色ひとつ変えることなく、そんなことが言える自分に吐き気がした。味噌汁も、きんぴらも、たしかに美味しいはずなのに一気に味がしなくなる。


少し照れたみたいに笑う結花の顔を見ていると、またひとつ心の中に鉛玉が落ちる。


最低だな、ホントに。






お友達になりましょう。そう言ったあの日から続く彼とのメッセージのやり取り。


内容なんて他愛もないものばかり。天気の話だったり、私の仕事の話だったり。あ、この前は好きな食べ物の話したっけ。


諸伏さんの返信はいつも疎らで、テンポよくメッセージのやり取りが続くこともあれば半日以上連絡が無いなんてこともザラにある。私も仕事中は携帯を触れないし、マメな方じゃないからそれを不満に思ったことはなかった。


バタバタと流れるように時間が過ぎていき、お昼休憩がとれたのは16時を少し過ぎたところ。


休憩室でおにぎりを片手に、携帯の画面をつけると不在着信が1件。


タップして開いた瞬間、おにぎりを齧りかけていた口がピタリと止まる。



『不在着信:諸伏 景光』



「っ、!」
「なまえちゃん?大丈夫?」


携帯を落としかけた私を見て、一緒に休憩に入っていた同僚が声をかけてくれる。慌てて「大丈夫!」と返すとそのままメッセージ画面を開く。


メッセージのやり取りは、朝の私のスタンプで終わっていて不在着信があったのはお昼を少し過ぎた頃。その着信から3時間は経っている。



折り返すべき?メッセージ送った方がいいのかな?


頭の中でそんな事を考える。メッセージのやり取りこそしていても、電話なんてかかってきたのは初めてだったから。


少し悩んだ後、食べかけのおにぎりを急いで口に放り込むとそのままお茶をごくりと飲む。携帯片手に立ち上がると、そのまま休憩室を出て人気のない廊下で壁に背中を預けた。



ふぅ、と小さく息を吐くと少しだけ緊張した手で発信ボタンを押す。


聞こえてくるコール音。5回だ。5コール鳴らして出なかったら切ろう。


そう思いながらコール音を数える。


仕事忙しいみたいだし出ないかな、なんて思いながら4回目のコール音が鳴る。耳元からスマホを離そうとしたその時、ぷつんとコール音が途切れた。



『もしもし、』
「っ、もしもし?えっと、みょうじです」

慌てて携帯を持ち直し、少しだけ早口で告げると電話の向こうでクスクスと笑う諸伏さんの声が聞こえた。


『うん、知ってる。ごめんね、急に電話して。びっくりさせちゃったよね』
「ううん、私の方こそ出れなくてごめんなさい!今休憩はいったとこで」
『今からお昼ご飯なの?お疲れ様』


電話越しの諸伏さんの声は、直接話すよりも少しだけ低くて自然と心臓の音が早くなる。


「ありがとうございます。電話、何かあったんですか?」


忙しい彼に長々と話すのも申し訳ないだろう。電話の理由を聞くと、諸伏さんは少し黙り何かを考えているようだった。


深刻な話?私なにかしたっけ・・・。もしかして毎日メッセージ送るのうざかった?いや、でもそんなのわざわざ電話してきて言わないか。


色んなことが頭を過ぎる。けれど彼の口から紡がれた言葉はそのどれとも違っていた。



『少しだけみょうじさんの声が聞きたくなっただけだよ。急にごめんね』
「っ、」


予想していなかった言葉に、上手く声が出ない。かっと頬に熱が集まるような感覚。そしてそれと同時に、電話越しの諸伏さんの声が少しだけさっきまでと違うような気がした。


頭に浮かんだのは、あの時の彼の笑顔。どこか危うげで笑っているのに、見ているこっちが心配になるみたいなあの表情だった。



『掛け直してくれてありがとね。せっかくの休憩時間だったのにごめんね』

話を終わらせようとするその言葉。何かがつっかえていたみたいな喉、ぐっと言葉を捻り出す。



「あ、あの!今日の夜とかって忙しいですか?」
『夜?』
「仕事終わってから一緒にご飯食べませんか?私多分今日は定時で帰れると思うんで」


自分でもどうしてこんなに必死になって彼を誘っているのかは分からなかった。でも何となく、彼が電話をかけてきたのは何かがあったからな気がしてならなくて。


メッセージでも、電話でもなくて、顔を見て話したいって思った。






その優しさは中毒性がある麻薬みたいに、ゆっくりとオレの体を蝕んでいくような気がした。


1度触れたら、次はもっと触れたくなる。眩しくて目を背けたいのに、温かいそれに焦がれてしまう。


断らなきゃいけない。分かっているのに・・・・・・、



「今日はオレの方が少し遅くなりそうなんだ」
『・・・・そうですか・・・、お忙しいですよね!急にごめんなさい!』

電話越しだというのに、眉を八の字に下げた彼女の顔が目に浮かび自然と頬が緩む。



「終わったら連絡するよ。それからでも良ければ、」
『っ、いいんですか?』
「うん。あ、でも開いてる店探さなきゃだね」


みょうじさんの家の周りは繁華街というわけではないから、あまり遅くなると開いている店も限られる。またラーメン屋というのも味気ないし、後で調べよう。


そんなことを考えていると、目の前に停まっていた車の中から視線を感じる。時間切れ、か。


『じゃあ、私ご飯作りますよ!ちょうどこの前お肉買いすぎてどうしようかなって思ってたから』
「っ、え・・・?!」
『あ、もちろん諸伏さんが嫌じゃなければ!でもさすがに家はあれですかね、あはは、急にごめんなさい!』


早口で一気に告げられた言葉。思わず見開いた目で瞬きを繰り返す。焦りを誤魔化すみたいに笑うキミが可愛くて。くすりと笑ったオレに、車の中の零と目が合い、零は驚いたような顔を見せた。



「嫌じゃないよ。じゃあ終わったら連絡する。楽しみにしてる」
『っ、分かりました!お仕事頑張ってくださいね』
「うん、ありがと。みょうじさんも頑張ってね」


ぷつり、と切れた電話。携帯をポケットに仕舞うと、助手席のドアを開けて零の隣に座る。


エンジンをかけた零は、アクセルを踏みながら怪訝そうな視線を向けてくる。



「あの女か?」
「違うよ。友達・・・かな?」
「何で疑問形なんだよ」


車を走らせ始めてすぐに引っかかった赤信号。ハンドルに肘をつきながら、こちらを見る零。


「ヒロのあんな顔久しぶりに見た気がする」
「あんな顔?」




結花も似たようなことを言っていた。そんなにいつもと違う顔してるのか?自分では分からないから。


彼女につられて笑っている自覚はあった。でもそんなにいつもと違うものなのかなんて分からなくて。


「最近のお前、心配になるくらいには顔が疲れてたから。無理やり笑ってる感があったし」
「心配かけてごめんね」
「別にいい。さっきの電話があの女相手なら文句言おうと思ってたけどな」
「・・・・・・そんなに悪い子じゃないんだけどね、結花も」


ぽつり、と呟いたオレの言葉に零は露骨に顔を顰める。それでも何もそれ以上言ってこないのは、こいつなりの優しさで。


零が嫌う結花よりも、最低なのはきっとオレで。頭でそう分かっているくせに、性懲りもなく温もりに手を伸ばそうとしている自分がいる。頭と心と体が全てバラバラになったみたいなちぐはぐな感覚。




「・・・・・・変な奴じゃないんだよな?」
「うん。すごくいい子≠セよ」



そう、オレなんかが触れていい存在じゃないくらいに。

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