▽ ずっと傍にいたから
静かな病院の廊下に響く足音。コツコツと近付くそれは、零のものだった。
ガラス越しに見えるボロボロの松田の姿に、零の顔が歪む。
「降谷ちゃんも忙しいのに来てくれてありがとな」
オレの隣に腰掛けた零に、萩原はそう言って小さく笑う。
眉を八の字に下げて笑うその顔は、どうにも痛々しさを孕んでいて。それもそうだろう。誰よりもこの状況に堪えているのは、萩原のはずだ。
さっきまでのピリついた空気はもうなくて、萩原はいつも通り≠装った。
オレも今の零の前で萩原とのさっきの話をする気にはなれないし、したところできっと平行線だ。
零の葛藤を1番近くで見てきたのがオレであるのと同じで、萩原はずっと松田を見てきたんだから。オレ達の意見が交わることはないだろう。
「いや、来るのが遅くなってすまない・・・」
「2人とも忙しいだろうし、色々あんだろ?だから来てくれただけて俺は嬉しいよ。それにお前らの顔見たらへこんでばっかじゃダメだなって思えるし」
「・・・・・・あまり思い詰めるなよ」
1人であのゴンドラに松田を乗せたことを、きっと萩原は後悔しているだろう。
零の言葉に萩原は「サンキュ、2人とも」と力なくふっと笑みをこぼした。
*
病院に泊まるという萩原。
言葉にはしなかったが、きっとなまえちゃんに付き添うんだろう。
結局、萩原も零もなまえちゃんの名前を出すことはなかった。
静かな車内。運転席でハンドルを握る零の表情に覇気はない。
「大丈夫か?」
大丈夫なわけがないのに。こんなありふれた言葉しか思いつかない自分が嫌になる。
生死の境を彷徨う大切な同期。そんな彼を案じて憔悴しきった大切な人。零の肩にのしかかるであろう重みは、きっとオレの想像以上のものだろう。
だからといって仕事を投げ出して松田に付き添うことも、なまえちゃんの傍にいることも叶わない。
「ははっ、なんでヒロがそんな顔してるんだよ」
赤信号で止まった車。オレの方を見た零は、そう言って口の端に笑みを浮かべた。
そうやって無理やり笑顔を作るお前にオレが気付かないわけないだろ?
「・・・・・・やっぱりオレは、今のなまえちゃんには支えてあげる人が必要だと思う。それに零、お前にも」
「・・・・・・、」
「人はそんなに強くない。誰かに寄りかかって支え合わなきゃすぐ折れちゃうから。今からでも遅くな・・・・・・っ、」
どうしても、オレは零に肩入れしてしまう。
余計なお世話だと分かっていても、言わずにはいられなくて。でもそれに続く言葉は、零の顔を見た瞬間飲み込んでしまう。
涙こそ流していないが、その青い瞳の奥はゆらゆらと不安定で。少し触れたら壊れてしまいそうなほど、脆くて危なげだった。
眉を下げ、僅かに眉間に皺を寄せた零は青信号になりアクセルを踏み込む。
「もう遅いんだ。なまえが望むのは、俺なんかじゃない」
「・・・・・・っ、」
「松田はあんなことで死ぬような奴じゃないから。それにアイツを遺して死んだりしない。だから大丈夫だ」
「・・・・・・本当にそれでいいのか、?」
まるで自分に言い聞かせるみたいな零の物言い。
僅かに開いた窓から空気を切る音だけが車内に響く。
「なまえってさ、自分のことよりいつも周りのことをまず気にする奴なんだよ」
懐かしむように目を細めた零は、ゆっくりと言葉を続ける。
「そんなアイツがあの状況で、萩原相手にあそこまで取り乱して周りなんか見えてなかった。それくらいアイツの世界には、松田しか見えてない。そんな状況で俺に何が出来るんだよ」
ハンドルを握った手に力が入り、手の甲にすっと筋が浮かぶ。
・・・・・・そんな顔をするなら、最初から手離さなければよかっただろ、バカ。
でもきっとオレがお前の立場でも、同じ選択をしたと思う。
大切な人が自分のせいで傷付くなんて耐えられないから。
「・・・・・・逃げちゃ駄目だよ、零」
「っ、」
「自分の気持ちから逃げちゃ駄目だ。オレは松田の気持ちも、なまえちゃんの気持ちも分からない。でも・・・・・・、ずっと一緒にいたからお前の気持ちは分かるよ」
「ヒロ・・・・・・、」
なまえちゃんのため″ナ初はきっとそうだった。
でも今の零は、これ以上あの2人を見て傷付くのが怖いんだろう?自分の気持ちが抑えきれなくなることが、伝えてしまうことに怯えてる。そしてはっきりと拒絶されることに。
「自分の気持ちにちゃんと向き合ってあげなきゃ。それを言葉にしてあげられるのは、自分だけなんだから」
例えその結果がどうであっても。
お前があの子を想う気持ちは、心の奥深くに鍵をかけて閉じ込められるようなものじゃないはずだから。
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