▽ 涙が少し溢れ出した
松田が爆弾の解体中に、爆発に巻き込まれた。
ヒロにそれを聞いたときは、らしくもなく冷静ではいられなかった。
今すぐ病院に向かいたかったが、そういうわけにもいかない。頭でそう分かっていても、心は正直で。なんとか全てを終わらせて病院に着く頃には、もうすっかり夜も更けていた。
「萩原は?あいつは無事なのか?」
「うん。その観覧車に仕掛けられてたって爆弾の処理の為にゴンドラに乗ったのは松田だけだったらしい」
警察官としてはきっと松田の選択は正解だった。でも親友としては、その選択を受け入れることはできなくて。
ヒロから事件の詳細を聞きながら、思わず奥歯を強く噛み締める。
「一命は取り留めたらしい。でも予断を許さない状況だって萩原が言ってた」
「っ、」
「・・・・・・!待って、零」
松田が緊急搬送された病院の廊下をカツカツと歩いていると、ICUの手前で急に立ち止まったヒロ。少し後ろを歩いていた俺も自然と立ち止まる、
まるで何かを俺から隠すみたいにヒロは、俺を振り返る。
不審に思わないはずがない。
止めようとしたヒロを無視して、そのまま体をずらしICUの方に視線をやる。
「・・・・・・っ、なまえ」
ICUの廊下の前で、萩原に支えられるようにして立っていたのは憔悴しきったなまえだった。
そうか、あいつがここにいても不思議はないよな。
きっと萩原なら松田がそんな状態になれば、なまえに連絡を入れるだろう。当たり前だ。
だってあいつらは・・・・・・、
「零、大丈夫?」
「・・・・・・あぁ。でも今、俺達が行くべきじゃないな」
「少し様子を見ようか」
・・・・・・また、俺は逃げたんだ。
なまえ達から見えない位置で壁に背中を預けた俺達。病院の廊下ってやつは、静かで嫌でもなまえ達の話し声が耳に届く。
「っ、なまえちゃん!」
萩原の焦った声。看護師達が駆け寄り、「大丈夫ですか?」となまえに声を掛ける。
立っていることすらままならないのか、ふらつく足元でじっとICUを見つめるなまえ。
痛々しすぎて見てられなかった。
例えお前が別の誰かの物になったのだとしても、そんな風にボロボロになった姿を見ていたくなくて。
支える、なんてそんなの烏滸がましいにも程がある。それでもただ少しでも近くにいたかった。
気が付くと、体がなまえの方へと動いていた。
「・・・・・・萩原さん、今何時ですか?」
「え、?」
「時間、教えて欲しいです」
「22時を少しすぎたところだけど、」
その時、さっきまで取り乱していたのが嘘みたいに冷静ななまえの声が廊下に静かに響いた。
「・・・・帰らなきゃ。あんまり帰るの遅くなると陣平くん心配するから」
「っ、なまえちゃん・・・」
「あ、そうだ。その前に電話しなきゃ。・・・・・・約束してたから」
虚ろな目。その声に温度はなくて。
「萩原さん、携帯貸してもらえませんか?」
「・・・・・・なまえちゃん・・・」
「陣平くんと約束してたから。夜出歩く時は、電話するねって」
「・・・っ・・・、」
「だから、・・・・・・だから・・・っ、」
冷静だった声がまた震え出す。
俺は、何も分かってなかった。
「・・・・・・悪い、ヒロ。少し外の空気吸ってくる」
「っ、零・・・!」
これ以上この場にいることが出来なかった。
制止するようなヒロの声を無視して、ICUとは反対方向へと向かう。
時間帯のせいか人気の少ない廊下。緑色に光る非常口のドアを開け、外階段の手すりにずるずると背中を預け座り込む。
「っ、・・・ホント・・・馬鹿すぎて笑えるよな」
乾いた笑い声が夜の闇に響く。
俺が近くにいて、一体何になるっていうんだ。
あいつが求めてるのは、傍にいてほしいと願うのは、もう俺なんかじゃないのに。
何も見たくなくて右手で顔を覆う。何とも形容し難い感情。気が付くとガン!っと勢いよく左手で握った拳で壁を殴っていた。
コンクリートの壁を殴ったせいで、拳は擦れ血が滲む。
ひりひりと痛むその傷の何倍も、抉られたみたいに痛む心の1番深い場所。
じわじわと締め付けられるようなその痛みは、落ち着いてくれそうにない。
手離した時点で、こうなる日がくるって分かっていたはずなのに。
ただその相手が、自分の親友だっただけのこと。
自分勝手すぎて反吐が出る。
真っ黒なこの感情が夜の闇に溶けて消えて欲しい。そんな馬鹿げたことを願わずにはいられなかった。
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