▽ 薄れゆく残り香
約束通り、仕事が終わって陣平くんにメッセージを送ると既に会社の近くにいたらしい彼はすぐに迎えに来てくれた。
「お疲れさん」
「陣平くんもお疲れさま。迎えに来てくれてありがとね」
「ん、」
ごめんね、と言っても彼はその言葉を受け取ってはくれないと思うから。
それならありがとう≠フ方がいい。
時間帯のせいか人が疎らな電車に乗り、私の最寄り駅で降りる。
「会社では特におかしいこととかはねェのか?」
「うん。いつも通りだったよ」
「ならよかった」
肩が触れそうで触れない友達≠フ距離。
男友達なんて学生時代から多くはなかったから。
何となく変な感じがする。
こうやって私のことを心配してくれる彼に、何か返せているんだろうか。
「あ、そうだ。ご飯食べて帰る?」
「飯?」
「うん。もう食べちゃった?」
「いや、まだだけど・・・」
「じゃあ何か作るよ!お礼ってことで!」
頭をよぎったのは、なんてことない朝ごはんを美味しいと食べてくれた陣平くんの顔で。
私にできることなんてそれくらいだから。
「陣平くん、何食べたい?」
「飯か・・・、肉がいい。あ、唐揚げ食いてェ」
「オッケー!冷蔵庫空っぽだしスーパー寄ってから帰らなきゃ」
「朝も思ったけど、お前料理とかちゃんとするんだな」
「元々好きだからね。最近は1人だったからあんまりしなかったけど」
自分で言った言葉に、ちくりと胸の奥が痛む。
誰かの為の料理は楽しい。でも1人で食べる食事を作る気にはなかなかなれなくて。
「昼飯ちゃんと食う時間なかったから、すげェ腹減ってんだよ。飯多めで頼むわ」
そんな私の心の内側を知ってか知らずか。陣平くんは私の頭をぽんっと撫でた。
*
「っ、美味ェな、これ!」
「ふふっ、でしょ?お母さんに昔教えてもらったんだ」
こうやって向かい合ってご飯を食べるのは、今朝ぶりのこと。何だかこの家に陣平くんがいることの違和感が、どんどん薄れていくような気がした。
そしてそれと同時に、零くんの残り香が消えていく。そんな寂しいとも悲しいとも形容し難い感覚。
「ご馳走様。マジで美味かった」
「お粗末さまです」
多めに揚げた唐揚げはすべてなくなり、ご飯も2杯おかわりしてくれた彼は満足気に箸おろす。
近くに置いてあった煙草と携帯灰皿を手に取ると、ベランダに向かおうとする陣平くん。
「別に部屋の中で吸っていいよ?」
「いい。お前吸わないだろ」
そういえば陣平くんって私の前で煙草吸ったことがない気がする。割とヘビースモーカーらしい彼は、何かと隙間時間で煙草を吸っているけれど私が近付くといつも煙草を消すから。
やっぱりそういうとこ優しいんだよなぁ、なんてまたひとつ彼の優しさに気付く。
その時、机の上に置いていた私の携帯が鳴る。
着信 非通知設定
見慣れないその表示に、ぴくりと肩が震えた。
ベランダの扉に手をかけていた陣平くんがそんな私に気付き、テーブルの方へと戻ってくる。そして私の手の中にある携帯を一瞥する。
3コールほどで途切れた着信。
非通知で電話をかけてくる人なんて心当たりはなくて。
頭を過ぎるのは、あの足音と隠し撮りの写真達。
怖い。ゆるゆると足元が暗くなっていく、そんな感覚だった。
「なぁ、なまえ」
「っ、何?」
「しばらく俺ここ泊まってもいいか?」
私の手から携帯をするりと取り上げると、そのまま画面を伏せて机に置く陣平くん。
ふざけた様子なんて1ミリもなくて、その声色も表情も真剣だった。
「今日ずっと考えてたんだ。送り迎えはしばらくするつもりだったけど、それだと俺が帰った後に何かあるかもしれねェし」
「っ、でもそこまで・・・」
「他に頼れる奴いンの?」
私の弱い部分をちくりとつくその言葉。
「いない・・・、けど」
「お前が嫌じゃねェならそうさせて欲しい。てかそっちの方が俺も自分の家とここ行ったり来たりしなくて済む」
「・・・・・・しんどくない、の?」
「お前の家の方が本庁まで近いし。それに美味い飯も出てくるから俺は助かる」
冗談めかしてそう言うと、口角をにっと上げて笑う陣平くん。それに釣られるように私の目尻も下がる。
「男がいるって思えばそいつも諦めるかもだし。あんまおおごとにしたくねェなら、しばらくそれで様子見るのもありだろ」
こんな状況で1人の夜は怖い。こうして頼れる人が傍にいてくれるのは、心強い。
「・・・・・・お言葉に甘えさせてもらってもいい、かな?」
「バーカ、最初からいいって言ってんだろ」
こうして不思議な私と陣平くんの共同生活が始まった。
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