▽ 1-3
その日から気がつくと私は、降谷先輩を目で追っていた。そして気付いたことがある。
みょうじさんを見る彼の目がどこまでも優しいことを。
もちろん降谷先輩は、誰にでも優しい人だった。
その見た目から取っ付き難いけれど、話してみると周りに気を配ることのできる優しい人だった。
現に体育祭委員で一緒だった私にも、時々声をかけてくれる。けれどそれはただの後輩としてだ。
けれどみょうじさんは違う。
彼が唯一、名前で呼ぶ女の子。
他の女の子とは砕けた口調で喋ることもあまりない降谷先輩が、みょうじさんにだけは普通に喋っていた。
幼馴染みだから当たり前なのかもしれないけれど、その距離が私には羨ましかった。
近付きたい。
そう思っても彼に想いを伝えるなんてできるわけがなかった。
伝えたところで報われるわけがない。
彼がどれほどみょうじさんを大切に思っているかは、この短い期間でも痛いくらいに思い知った。
そんなことを考えながら渡り廊下を歩いていると、少し先に降谷先輩の姿を見つける。
放課後、人がまばらになった校舎で手すりに肘をつきながら中庭を見下ろす彼。思わずその視線の先に目をやる。
そこには中庭のベンチで楽しげに話すみょうじさんと諸伏先輩の姿があった。
「・・・・・・っ、降谷先輩!」
二人を見つめる彼の背中がいつもより少しだけ寂しげに見えた私は、彼の名前を呼んだ。
「っ、びっくりした。誰かと思った」
「驚かせてごめんなさい!思わず声掛けちゃいました・・・」
「謝らなくていいよ。ぼーっとしてただけだし」
驚いたように目をぱちくりとさせたあと、ふっと笑う降谷先輩。
あぁ、好きだな。
その姿を見るだけでそう思った。
「・・・・・・何を見ていたんですか?」
傷つくことは分かっていても気が付くとそう問いかけていた。
「ん?あぁ、景となまえ。ホントあいつら仲良いなぁと思って」
「三人は幼馴染みなんですよね?」
「そうだよ。小学生の頃からずっと一緒だった」
昔を思い出しているのか柔らかく目を細める降谷先輩。きっと彼にとってみょうじさんも諸伏先輩も同じくらい大切な存在なんだろう。
「まぁ景となまえはもっと昔から一緒だったんだけどな」
「そうなんですか?」
「あいつら元々長野に住んでたんだよ。その頃からの幼馴染みで、俺はあいつらが東京に引っ越してきてからの付き合い」
初めて聞く三人の話。
二人のことを話す降谷先輩からは、少しの黒い気持ちも伝わってこなかった。
「昔からずっとなまえは景のこと好きだったから、まぁこうなるのも自然な流れだったんだろうな」
中庭で諸伏先輩の肩にもたれウトウトとしているみょうじさんの姿を見た降谷先輩が呟く。
その言葉は私に向けられているというよりは、独り言のような響きだった。
「・・・・・・・・・降谷先輩はみょうじさんのこと好きじゃないんですか?」
あっ、と思った時にはもう遅かった。
気が付くと零れていた言葉に、降谷先輩の視線が私に向けられる。
「・・・っ、ごめんなさい!私・・・っ」
慌てて頭を下げた私に、降谷先輩はふっと口元を緩め笑う。
「それは秘密かな」
彼は人差し指をしーっと口元にあて笑う。
キラキラとした金髪に夕陽のオレンジが反射して眩しい。
じゃあまたね、と背中を向けた降谷先輩。私は思わず彼の学ランの裾を掴んだ。
「っ?どうかした?」
振り返った彼が私の顔を覗く。
その距離にどくんと心臓が脈打つ。
「・・・・・・っ、好きです」
気がつくと私は自分の気持ちを彼に伝えていた。
学ランを掴む手が震える。誰かにこんな風に気持ちを伝えるなんて初めてのこと。
どれくらいの時間が経ったんだろうか。
数分なのか、数十分なのか。
暫しの沈黙の後、降谷先輩が口を開いた。
「ありがとう、好きになってくれて。でも気持ちに応えることは出来ない」
「・・・っ・・・」
「ごめん」
真っ直ぐにこちらを見る彼の青い瞳。
「・・・・・・理由を聞いてもいいですか・・・っ・・・?」
頭の中では分かっているのにもう一人の自分が問いかける。
「・・・・・・昔から好きな奴がいる。そいつの事しか今は好きになれないんだ。だから他の奴と付き合うのは考えられない」
言葉を選びながら、それでもしっかりと私の問に答えてくれた降谷先輩。彼の視線がチラリと中庭のみょうじさんに向けられる。
「手に入らなくてもその子のことが好きですか・・・?」
我ながら酷いことを聞いていると思った。
彼を傷つけてまで私は何を聞きたいんだろうか。
「あぁ。笑っていてくれたらそれでいい。二人とも俺にとって大切な人だから」
完敗だ。
俯いていた私は、ぐっと拳を握り顔を上げる。
「ありがとうございました・・・っ。話を聞いてくれて。失礼なことばかり言ってごめんなさい」
「いや、謝らなくていいよ。俺の方こそありがとう」
じんわりと瞳に涙がたまる。
けれど彼はそれには気付かない振りをしてくれた。
「じゃあ失礼しますね!」
私はぺこりと頭を下げ、渡り廊下を後にする。
校舎に入り彼が見えなくなったのを確認すると、頬を涙がつたう。
きっとみょうじさんが涙を零したなら彼はその手で雫を拭ってその理由を聞いたのだろう。
そう思うと悔しい気持ちが込み上げる。
けれど同じくらい彼があの二人を大切に思う気持ちを知った今、どこか清々しいきもちもあった。
いつか降谷先輩の気持ちがみょうじさんに届く日がくればいい。そんなことすら思えるほどに。
*
月日が流れ、幼き頃の初恋の思い出が記憶の彼方に埋もれかけた頃。
「・・・っ、あれは・・・」
白い車から降りてきた金髪の男性。
グレーのスーツを身に纏う彼は、たしかにあの頃の面影を残していた。
「零!!」
そんな彼に駆け寄る一人の女性。
あの頃より明るくなった髪色、けれど彼女もまた昔の面影を残していた。
みょうじさんは降谷先輩に駆け寄ると、そのまま車へと二人は乗り込む。
エンジン音と共にその場を後にするその車の後ろ姿を見つめながら懐かしい記憶に思いを馳せる。
「・・・お母さん?帰らないの?」
「っ、ごめんね。帰ろっか!今日のご飯はハンバーグだよ」
「わーい!ハンバーグ好き!」
左手を握る小さな手。
懐かしい初恋の思い出。
あの二人の恋の結末がどうなったのか、今の私には分からない。
けれど今もあの二人が一緒にいることを少しだけ嬉しく思う自分がいた。
願わくば、降谷先輩の長年の想いが彼女に届きますように。
そんなことを考えながら、温かい我が家へと足を進めた。
Fin
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