▽ ヤブテマリ
「・・・・・・今、なんて言った?」
我ながら低い声がでたものだ。
授業が終わり片付けをして席を立とうとすると、隣から聞こえてきた会話。たしかに彼女達は萩原の取り巻きだった気がする。
「え、みょうじさん?どうかしたの?」
「どうかしたの?じゃなくて!今なんて言ったのって聞いてるんだけど」
「あぁ、さっきの話聞こえてた?昨日の飲み会、松田くんが女の子と途中で抜けていなくなってたって話。せっかく話せるチャンスだと思ったのに」
「でもあの子あからさまに松田くん狙いだったもんね」
大学に入ってから、私が昔みたいに松田に近付くことはないから。高校の頃までみたいに、私の気持ちを知る人は少ない。
だからこそペラペラと昨日のことを話してくれる取り巻き女達。
私は乱暴にノートを鞄に入れると、そのまま教室を飛び出した。
生徒達が集まる中庭の近く。探していた背中を見つけた私は、周りの目も気にせずその背中に声をかけた。
「萩原!!」
「なまえ?どうしたんだよ、ンな怖い顔して」
「・・・・・・ちょっと付き合って」
キャピキャピ女に囲まれていた萩原の腕を引くと、不満げな顔で私を見るその女達。でもひと睨みすれば、慌てて目を逸らす。
「ごめんね〜」なんて笑いながらそいつらに手を振る萩原。その腕を引きやってきたのは、人気の少ない喫煙所の裏だった。
「急にどうしたんだよ、なまえらしくねぇな」
「昨日の飲み会」
「飲み会?・・・・・・あー、なるほど。そういうことか」
掴んでいた腕を離し、そう一言告げると全てを察したように眉を下げる萩原。
その少し困った表情が私の中の苛立ちを煽る。
「松田が女と抜けて帰ったって。・・・・・・嘘、だよね?」
ムカつくけど、松田の1番近くにいるのは萩原だから。
たった一言、コイツが否定してくれたらさっきの女の言葉なんて気にする価値もないものになる。
「いや、嘘じゃないよ。陣平ちゃん、昨日一次会終わったら女の子と抜けてどっか行ったよ」
いつもの萩原の戯言だと、そう思いたいのに。
ぎゅっと握った拳。手のひらにネイルを施した爪が刺さる。
「・・・・・・送っていったとか、そういうやつでしょ」
松田に近付く女は排除してきた。でももしも・・・・・・、それをしなかったとしても多分松田が誰かを傍に置くことはなかったと思う。
今まで松田の特別だったのは、千速さんだけだったから。
あの人に今の松田がどういう感情を持っているのかは知らないけど、松田は適当に女に手を出す奴じゃないからどこかで安心してた。
昨日だってきっとそう。
優しいから・・・・・、駅まで送っていったとかそういうやつだ。
・・・・・・そうに決まってる。
「朝イチの授業来なかったから電話したら、その女の子の家にいるって言ってた。・・・・・・まぁそういうことだろ」
萩原の言葉に全身の血がふつふつと煮えくり返るような感覚。ぐらりと足元が揺らぐ。
やっぱり萩原なんか嫌いだ。
松田のことに関してコイツ以上に近い奴はいない。
そんなコイツが言うことはきっと真実で、
「っ、萩原のバカ!アホ!うるさいうるさい!!!!そんな話聞きたくない!!」
「なまえ・・・」
「聞きたくないってば!!!」
ボロボロと溢れてくる涙。萩原の口から紡がれる言葉を聞きたくなくて、両手で耳を塞ぎ座り込む。
そんな私の前に腰を下ろした萩原は、そのまま私の手を掴み耳から離す。
「なまえ、あのさ・・・「諦めないよ、私」
萩原の言葉を遮り、キッとその顔を睨む。
松田との付き合いが長いのと同じように、悔しいけどこの男との付き合いも長い。ムカつくけど、大嫌いだけど、なんだかんだ面倒見が良くて悪い奴≠カゃないことくらい知っていた。
皆が私のことを惨め≠チて影で笑っていた日も、萩原だけは私の気持ちを認めてくれていたから。
ずっと私の背中を押してくれていた萩原から、諦めろ≠ネんて言われたら今の私の心は折れてしまいそうな気がして。アスファルトが涙で濡れる。
「俺はお前のことも好きなんだよ」
「っ、はぁ?!私は萩原のことなんか・・・っ」
「バーカ、そういう好きじゃねぇよ。友達としての好きだ」
「友達なんかじゃ・・・っ、」
予想していなかった萩原の言葉に、ばっと顔を上げる。萩原はふっと笑いながら、いつもみたいに私の頭に手を置く。
「なまえとももう長い付き合いじゃん。ずっと陣平ちゃんのこと追いかけてるお前見てきたけど、そろそろ幸せになって欲しいんだよ」
何か言い返したくても、私を見る萩原の瞳が優しくて毒気を抜かれたような気持ちになる。
揶揄うわけでもなく、真っ直ぐに告げられた言葉。
きっと萩原の言う幸せ≠ヘ、私が松田以外の人を好きになることなんだろう。
ずっと、ずっと、報われない片想いを誰よりも近くで見てきた彼だから。
「・・・・・萩原は分かってないよ」
「え・・・?」
「松田のことを好きだったこれまでの時間、私はちゃんと幸せだった」
惨めでもなんでもいい。
松田の隣にいた時間はたしかに幸せだった。不幸なんかじゃない。
「松田が他の女とヤッたから何?あんなブスとの思い出なんか私が上書きするもん!松田の隣に最終的にいるのは、絶対絶対私だから!!」
ずっとモヤモヤとしていた。
あの卒業式の日からずっと考えていた。
松田が辛そうな顔をするから・・・・・・、だから離れたんだ。
でもこんなの本当の私じゃない。
辛そうな顔をしたから何?だったらその何倍も私が幸せにしてあげるし、笑わせてあげるんだから。
「っ、あはは!やっぱ最高だわ、お前」
「なっ、」
「大学入ってからやけに物分り良くなって面白くねぇと思ってたんだよ。やっぱりなまえはそうじゃなきゃな」
堪えきれないというように吹き出した萩原は、笑いすぎて目尻に涙を滲ませながら私の髪をくしゃくしゃと乱す。
抗議の声をあげるよりも先に、萩原が続けて口を開く。
「俺はなまえのそういうとこすげぇ好きだよ」
「・・・・・・・・・萩原に好かれも嬉しくないし」
「ははっ、素直じゃねぇなぁ。顔赤いぞ〜?」
「っ、うるさい!黙れ、バカ!」
「はいはい、女の子すぐバカとか言わないの」
正直、松田が今も他の女と一緒にいると思うと全身の血液が逆流するみたいにムカつく気持ちでいっぱいになる。
それでもそれは松田の本気≠カゃないから。
絶対、絶対、諦めてなんてあげないんだから。
・・・・・・・・・覚悟しとけ、バカ。
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