▽ シクラメン
絡みつくような甘い香水の匂いのせいで気分が悪い。
飲み会もお開きになり外に出ると、ぴたりと隣に引っ付いてくる女。
コイツと連絡先を交換したことに深い意味なんてないし、みょうじに絡んでいた男を止めたことにも意味なんかないんだ。
ただ嫌がる奴にダル絡みしてたアイツにムカついただけのこと。別に相手がみょうじじゃなくても止めに入っていただろう。
なのにみょうじがあんな顔するから・・・・・。
卒業式の日以来、みょうじは俺に付き纏うのをぴたりと辞めた。
飛びついてくることもなければ、話しかけてくることもない。ずっと願っていた平穏な日々がそこにあった。
同じ大学でも高校とは比べ物にならない人の多さのおかげで、アイツとばったり出くわす機会も少ない。
・・・・・・願ったり叶ったりのはずなのに。
萩に誘われてやって来た飲み会で、久しぶりに近くで見たみょうじの姿。相変わらず人当たりは悪くて、ツンとした顔で1人オレンジジュースをちびちびと飲んでいた。
そんなアイツに男が絡んでいたのは、少し前に気付いていた。人も多いしわざわざ止めるまでもない。
そう思っていたのに、その男の手がみょうじの腕を掴むのを見た瞬間。気が付くと2人の間に入っていたんだ。
やっちまった。正直そう思った。
周りに人だっていたし、俺が止めなくても誰かが止めに入っただろう。
隣にいた萩がちらちらとみょうじの様子を気にしていたことにも気付いていたのに。
俺を見るみょうじの目には、間違いなく昔と変わらない好意と同じくらいの戸惑いが見え隠れしていて。
自分から拒絶したくせに何やってんだろ、って自己嫌悪に陥った。
だから誤魔化すみたいに、あの時声をかけてきた女と連絡先を交換したんだ。
さっさと他の奴を好きになればいい。俺の事なんか忘れた方がアイツにとっても幸せだろう。
「・・・・・・ちゃん、陣平ちゃん!」
「っ、ンだよ。でかい声出して」
「さっきから何回も呼んでるのに、何ぼーっとしてんだよ」
二次会のカラオケに向かう道すがら、どうにか纏わりつく女から離れ歩いているといつの間にか萩が隣にいた。
萩は俺の肩に腕を回すと、そのまま言葉を続けた。
「なまえ、1人で帰ったみたいだぞ」
「・・・・・・だから何だよ」
「香織ちゃんに聞いたら、酒飲んでまぁまぁ酔ってたらしい」
「は?アイツ酒なんか飲んでたわけ?」
「まぁまぁその辺は置いといてさ。酔っ払ったなまえがふらふら1人で帰ったことが問題だろ?」
含みのある言い方をする萩に苛立ちながらも、頭に過ぎるのはみょうじの顔。
そんな自分に心の中で舌打ちをする。
「心配だなぁ。変な奴に絡まれてねぇかなぁ。そういえばこの前この辺で不審者出たってニュースでやってたなぁ・・・」
「・・・っ、そんなに心配ならお前が追いかけて送ってやればいいだろ」
回りくどい言い方をする萩に苛立った俺は、肩に回されていた腕を振りほどく。
萩はそんな俺の苛立ちなんて気にもとめず、へらりと笑う。
「さっき女の子達とカラオケで一緒に歌おうねって約束したからそれは無理♪」
「・・・・・・、」
「てことで陣平ちゃん、よろしく頼むよ」
「なんで俺が・・・っ、!」
「なまえと何があったか知らねぇけどそれとこれは話が別!こんな時間だし何かあってからでは遅せぇだろ?人助けだと思って、な?」
真剣味を帯びた萩の言葉に思わず押し黙る。たしかにみょうじの容姿は人目を引く。萩の言う通り、慣れない酒で酔っ払った状態で1人で帰らせるのは危険だろう。
暫しの葛藤の後、舌打ちをして足を止めた俺を見て萩はふっと口元を緩め笑う。
俺はひらひらと手を振る萩を無視して、来た道を戻った。
*
繁華街を少し離れると一気に少なくなる街灯。
無意識に歩くスピードが速くなる。別にアイツの為じゃない。家まで送るだけだ。ただ何かあってからでは遅いんだと、最もらしい理由を心の中で呟きながら。
みょうじが家に帰るのに通るであろう道を辿ってみてもその姿はなくて、どくんと心臓が嫌な音をたてる。
キョロキョロと辺りを見回しながら歩いていると、小さな公園のベンチに腰掛ける影に目が止まる。
「・・・・・・、っ」
そこいたのは探していたみょうじの姿。そしてすぐ隣には知らない男の影。
いつかみたいに絡まれているのかと思ったけれど、2人を包む空気感がそれを否定していた。
俺以外の男が近付くだけで、逆毛を立てた猫みたいに噛み付くみょうじのすぐ近くに腰掛ける男。
まるで何かで縫い付けられたみたいに足がその場から動かない。
ふわりと、そいつの手がみょうじの頭を撫でる。みょうじはそれを振り払うことなくすんなりと受け入れる。
「・・・っ、」
何だよ、それ。
・・・・・・俺以外に触られるのは無理なんじゃねぇのかよ。
ふつふつと込み上げてくるのは、怒りに似た自分勝手な感情。
露骨すぎるくらいに俺以外の男を拒絶していたアイツが、今は知らない男の手を受け入れている。
いつかの修学旅行のときに、萩と2人でいたみょうじを見たときに似た感情。でも胸を覆う不快感はそのときの比じゃない。
・・・・・・結局アイツの好き≠ネんてそんなもんなんだろう。
飼い主に纏わりつく犬みたいに俺の周りでキャンキャン騒いでいたみょうじ。
人の気持ちは移り変わるもの。
俺だって昔みたいな気持ちを千速に向けることはなくなった。いつの日からか、彼氏の隣で笑うアイツを見ても胸が痛むことはなくなったんだ。
みょうじだって例外じゃない。
たまたま俺がずっと近くにいたから追いかけていただけのこと。
離れてしまえばこんなものだろう。
自分から突き放したくせに。アイツの自分勝手さには、ほとほと呆れていたし嫌悪感すら抱いていたというのに。
なんとも言えない虚無感が胸の中を包んだような気がした。
*
翌日、大学で会うと朝っぱらからいつもよりハイテンションで話しかけてきた萩にイラッとしたのは言うまでもない。
「あの後ちゃんとなまえに会えた?」
「・・・・・・朝からそのテンションうぜェ」
「あ!噂をすれば・・・・・・なまえ!」
萩は少し前を歩いていたみょうじの姿を見つけ、その名前を呼ぶ。
振り返ったみょうじは、俺の姿を見て気まずそうに視線を泳がせた。
・・・・・・なんだよ、その反応。
頭を過ぎるのは、昨日見たあの光景。
ふつふつと込み上げてくる理不尽な怒り。
「昨日あれから陣平ちゃんに会えた?」
「・・・え?」
「あれ?一次会終わったあとなまえが1人で帰ったの心配で陣平ちゃんが追いかけたんだけど会わなかった?」
俺がみょうじを送ったと思い込んでいた萩の言葉に、みょうじは驚いたように目を見開いた。
てか俺は別に心配で追いかけたわけじゃねぇし。萩に言われて仕方なく、の間違いだろ。
「っ、・・・・・追いかけてくれたの?」
みょうじが俺を見る。あの飲み会の時に俺に向けられた視線と同じだった。
期待。好意。そんなものを孕んでいると錯覚しそうになる。
「・・・・・・余計なお世話だったみたいだったけどな。だいたい俺は萩に言われて仕方なく追いかけただけだし」
「っ、それでも嬉しい・・・!ありがと・・・」
そんな目で俺を見るんじゃねぇよ。
好き
昔からコイツに何度そう伝えられたか分からない。
真っ直ぐ俺を見るみょうじの瞳から思わず視線を逸らした。
「・・・・・・やっと別の男ができたみたいで安心したよ」
気が付くとそんなことを口走っていた。
何のことか理解できない、というようなみょうじの顔。状況が飲み込めなくて不思議そうに首を傾げた萩。
あぁ、もう全部めんどくせぇ。
何よりコントロールの効かない自分の感情に腹が立った。
「何のこと?他の男って・・・」
「昨日公園で一緒にいた奴。仲良さそうだったじゃん」
「・・・・・・っ、ヒロは友達で・・・っ、」
「お前に男友達?ははっ、笑わせんなよ」
みょうじの口からこぼれた知らない名前。頭にカッと血が上るような感覚。
「っ、私はずっと松田のことが・・・っ・・・」
みょうじは震える声でそう言いかけると、ハッとしたように口を噤んで俯く。おおよその状況を察したのか、萩が口を開こうとしたのを遮るように俺はみょうじの腕を掴んでいた。
「軽々しくずっと好きとか言うんじゃねェよ」
自分でも驚くくらい冷たい声。
隣にいた萩が小さくため息をつくのとほぼ同時。
俯いていたみょうじは、顔を上げてキッと睨むように俺を見た。
大きく見開かれたその瞳の縁には、涙が今にも溢れそうなほどたまっていて。唇を震わせながら、みょうじは俺の胸ぐらを掴んだ。
「・・・・・・私がいつ軽々しく松田のことを好きって言ったの?ねぇ!答えてよ!!」
「っ、」
「私はいつだって本気でしか言ってない!!いくら松田でも私の気持ちを軽々しくなんて言わないで!!」
怒りで真っ赤に染った瞳が射抜くように俺を見る。
ぽたり、と涙の粒がみょうじの頬を伝う。
みょうじは俺の胸ぐらを掴んでいた手を解くと、そのまま涙を指で拭った。
そして何も言うことなく、背を向けてカツカツと高いヒールを鳴らしながら校内へと消えていった。
黙り込んだ俺を現実に引き戻したのは、隣にいた萩だった。
パンっと頭を叩かれ思わず萩を見る。
「今のは松田が悪い。何があったか大体予想がつくけど、あの言い方はねぇだろ」
咎めるような真剣な物言い。気まずさからか、言い返す言葉が出なかった。
苛立ちの理由も分からない。
分かりたくもない。
俺はアイツみたい女は好きじゃない。好きになるわけがない。
まるで言い聞かせるように何度もそう繰り返した。
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