純白のゼラニウムを貴方に | ナノ
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▽ カタクリ


季節は流れ私達は高校3年生になった。


大半の生徒は進学に向けて受験勉強に励むその1年。私にとってはそんなことよりもっと重大なことがあった。



「ありゃ、俺だけクラス離れたな」
「〜〜っ!!!!松田!!!やっと同じクラス!!!幸せすぎる!!!初詣のときにお賽銭、1万円入れたかいあった〜!!!」
「・・・・・まじでうるせぇ。てか賽銭に1万ってお前アホだろ」


6分の1の奇跡をこの3年間で初めて引き当てた私は、それはもう自分でも引くくらいの喜びようだった。もちろん隣の松田はしっかり引いていたと思う。そんな私達を見ながら、1人クラスの離れた萩原はケラケラと笑う。


あの修学旅行以来、少し、ほんの少しだけ松田の私への態度が和らいだような気がするのは多分気の所為じゃない。


相変わらずベタベタしたら嫌な顔をされるし、私が名前を呼んだら顔を顰めることだってある。でもたまにだけど笑ってくれることもあって。その笑顔ひとつで私の胸はきゅんと締め付けられるんだ。




新しい教室に貼りだされた座席表。松田と私の席は離れていた。萩原とはいつも無駄に席近かったのに。神様・・・まだお賽銭足りなかったんですか・・・?


「ねぇ、席変わってよ」
「っ、え・・・、あ、うん・・・」
「・・・・・おい。お前そういうのやめろって、マジで」


松田の隣の席の生徒のところに行き“お願い”をしていると、机に伏せていた松田が眠そうな目を擦りながらこちらを見た。


「だって席遠いもん・・・」
「同じクラスなんだからそれくらい我慢しろ」

ぴしゃりとそう言うと松田はまた机に伏せて、すぐにすぅすぅと寝息をたて始める。

これで起きた時に私が隣の席にいたら多分怒るんだろうな。


深いため息と共に隣の席を諦めた私は、自分の席に戻り携帯をポケットから取りだした。


「相変わらずストーカー極めてるね」

後ろから聞こえてきたムカつくその声に、ピキリと眉間に皺がよる。


この女も同じクラスなんてやっぱり神様は強欲なのかもしれない。


「・・・松野サンだっけ?アンタに関係ある?」
「性悪女に付き纏われる松田が可哀想だなって思っただけ」
「悔しかったらアンタもそうすればいいじゃん」

ふんっと目を逸らし、再び携帯の画面に意識を向ける。春の新作コスメが纏められたサイトを見ながら今度の休みに何を買おうかななんて考える。もちろんグロス以外。


てかこの女と千速さんが似てると思ったなんて、さすがの私でも千速さんに謝りたくなった。


松野は多分、というか絶対に松田のことが好きなんだと思う。

松田のタイプに寄せるようなあいつの行動も、やたらと私に噛み付いてくるところも、全てが気に食わない女だった。


大体自称サバサバ系ほどロクな女はいないっての。


それでも松田がアイツを必要以上に寄せ付けることはなかったことだけが、私の中で唯一の救いだった。






私と松田の関係に決定的な亀裂が入ったのは、吐く息がすっかり白くなり、東京に例年より早い初雪が降った日のことだった。




大学の願書の提出を終え、周りの生徒達は日々勉強に明け暮れていた。


私も松田と同じ大学に進学を決め願書を出したのがつい数日前のこと。萩原も同じ大学らしくて、神様にアイツの不合格を祈ろうとしたら松田に止められたから仕方なくやめた。

学力的に余裕もあったし、私は周りのピリピリムードとは無縁の生活を送っていた。



「ねぇ、ちょっと話せるかな?」

放課後、職員室に用事があるという萩原を教室で待つ松田に声をかけたのは松野サンだった。

松田の前の席に座り、彼と話していた(一方的に私が喋って松田は相槌をうってただけだけど)私の耳にもその言葉はしっかりと届いた。


その横顔がどこか真剣で嫌な予感がした。


卒業までの登校日数なんて残りわずか。アイツは松田とは違う大学に進学するらしいし、彼女の考えそうなことなんて安易に想像がついた。


「無理。私と喋ってんの見えない?」
「みょうじさんには言ってない」
「は?何その言い方」
「・・・みょうじ、やめろ」

ガタン、と立ち上がろうとした私の腕を掴んで座らせたのは他でもない松田で。彼にそう言われたら、私は何も言うことができない。

大人しく椅子に戻った私は、そのままじっと2人を見つめた。


「何?ここじゃダメな話?」
「できたら2人がいい」
「ん、分かった」

立ち上がった松田は、そのまま松野サンと2人で教室を出ていこうとする。


慌てて立ち上がろうとした私に振り返った松田が一言。「お前はここで待ってろ。付いてくんな」、とだけ告げた。


地面に縫いつけられたみたいに足がその場から動かなくて、私は力なく椅子に体を預けた。


5分、10分、15分。
時間を刻む時計の音が今日はいつもよりゆっくりと聞こえた。


気が付くと教室に残る生徒は私だけになっていた。窓から見える空はすっかり暗くなっていて、ぽつんと星が煌めく。


「あれ?なまえひとり?」

青白く輝くその星を眺めていると、教室の扉が開く。聞こえてきたのは待ち焦がれていた人の声じゃなくて、思わずため息をこぼす。


萩原を一瞥した後、私はまた窓から外の星を見上げた。


「陣平ちゃんは?」
「自称サバ女に呼び出されてどっか行った」
「あー、松野だっけ?」
「その名前聞くだけでムカつくからやめて」
「大人しく待ってるなんて偉いじゃん」
「・・・・・松田についてくんなって言われたもん」

隣にやって来た萩原が私の真似をして空を見上げる。「あ、おおいぬ座」なんて言いながら私がさっきまで見ていた青白いその星を指さした。


「星とか詳しいんだ、意外」
「女の子ウケいいでしょ、そーゆーの」
「・・・・・はぁ、褒めて損した」

飄々と笑う萩原に少しだけ気が紛れたのは多分気のせいだ。ため息の後、黙ったままの私に萩原はあれこれと星の解説を始める。


「アレがオリオン座だろ?んでさっきのおおいぬ座の1番光ってる星の近くのアレがこいぬ座で、」

昔の人って不思議。あの星達がどうやったら犬に見えるんだろ。萩原のお星様講座を聞きながらそんなことを考えていると、再び扉の開く音がした。


弾かれたように振り返ると、そこには少しだけいつもより元気のない松田がいた。


「悪ぃ、待たせたな」
「松野との話はもう終わったのか?」
「・・・おう、」

どこか歯切れの悪い松田。いつもなら突っ込めるのに何故かアイツとの話に触れることが怖くて。

そんな私を見た萩原は、開けっ放しにしていた窓を締めながら口を開く。


「アイツに告られた?」
「・・・・・気付いてたのかよ」
「まぁな。てか気付かない陣平ちゃんが鈍いんだよ」

ふっと笑った萩原に、「うっせ」とだけ返すと松田は机にかけていた鞄を手に取った。


固まったままの私と松田の視線が重なる。


「帰んねぇの?」
「っ、帰る!一緒に帰っていい、の?」
「いつも勝手についてにきてるだろ」

私は慌てて鞄を手に取り、廊下に向かった松田の背中を追いかけた。


3人で歩く帰り道。喋っているのはほとんど萩原で、松田はやっぱりどこか元気がない。


「じゃあ私こっちだから」

いつも2人と別れる交差点で立ち止まる。

ひらひらと手を振る萩原と、黙ったままの松田。しばらくの沈黙の後、松田が口を開いた。


「送る。もう暗いし」
「っ、いいよ。1人で帰れるし!」
「うるせぇ。いいから行くぞ」

すたすたと歩き始めた松田の後ろを慌てて追いかける。「またなー」なんて萩原の声が聞こえたけど、それに構ってる余裕なんてなかった。

ぽつぽつと離れた距離で並ぶ街灯。私はいつもより少しだけ離れて松田の隣を歩いた。


告白、どう返事したんだろう。


気になるくせに聞けない私は、いつからこんなに臆病になったんだろうか。


不意に足を止めた松田が私を見た。


いつの間にか開いた身長差。自然と見上げるような形になる。


「聞かねぇの?松野との話のこと」
「・・・聞いていいの?」
「普段のお前ならぎゃーぎゃー騒いで聞いてくるじゃん」
「なんか松田が元気なさそうだったから・・・。聞かれたくないのかなって」
「ふっ、お前もそんな遠慮できるようになったんだ」

少しだけ和らいだ松田の雰囲気に、私を包んでいた緊張も僅かに解れる。

聞きたいよ。
でもそれに触れることで松田が傷付くなら聞きたくない。

私にとっていちばん大切なのは松田だから。冷たくされても、突き放されてもいい。他の人なんか泣こうが怒ろうがどうでもいい。だけど松田だけには、いつも笑っていて欲しいんだ。


「告られて断った。それだけだよ」

息をするみたいにするりと告げられたその言葉。でもやっぱりその声はいつもより覇気がない。


「・・・・・なんで、元気ないの?」
「俺が?」
「うん。教室戻ってきた時からなんか元気なかった」

近くにあった自販機に小銭を入れると、ガチャンという音と共に小さなペットボトルが落ちてくる。松田はそれを手に取ると、そのまま私の手の上に置いた。


温かいミルクティー。それは私が最近よく飲んでいるもので、こんな状況なのに心臓がきゅんと高鳴る。


もう1度自販機のボタンを押し、自分の缶コーヒーを買った松田はそのまま壁に背中を預けた。


「泣いてたからさ、アイツ。ずっと好きだったのに何で応えてくれないのって」
「っ、そんなの仕方ないじゃん!松田が気にすることじゃ・・・」
「仕方ねぇって分かってるけど、目の前で泣かれるとさすがに堪えるってか悪いなとは思うんだよ」

そう言うと松田は、苦虫を噛み潰したような顔で缶コーヒーを口に運ぶ。

その不愉快の対象はあの女じゃなくて、きっと自分自身なんだろう。


優しすぎるんだよ、馬鹿。

私は別に自分が振った相手のことなんてどうでもいいし、松田みたいに相手の気持ちなんて考えたことがないから分からない。

一見優しそうに見える萩原も多分こっち側の人間だと思う。アイツは誰にでも優しいけど、キッチリと心の距離を線引きしてる奴だし、私が見る限りその線の内側にいるのは家族と松田くらいだろう。


でも松田は違う。

口は悪いし、愛想だって悪いけど、めちゃくちゃ優しいから。


「長い時間好きでいてくれた相手のこと好きにならなきゃダメなんてルールはないし、松田が気に病むことじゃないよ」
「・・・・・おう」
「大体そんなルールあるんだったら、私のこと好きじゃないとおかしいじゃん!もう10年以上だよ?」
「ははっ、たしかにそれはそうだわ」


自虐混じりのそんな台詞でも、松田が笑ってくれるならそれでよかった。

薄暗い路地に私の大きな声と松田の乾いた笑い声が響く。


「でしょ?なのに松田は私のこと嫌いじゃん?長い時間好きでいるだけで好きになってもらえるほど、恋愛は簡単じゃないんだから」

盛大なブーメランすぎて、さっきから自分の言葉がぐさぐさと心臓に刺さってる気がする。それでもその言葉に偽りはない。


私は松田のことが好きだ。
ずっとずっと昔から彼以外好きになったことなんかないし、その気持ちを伝え続けてきた。

松田が他の女と結ばれるなんて認める気はないし、そんな事があったら徹底的に邪魔して潰してやると本気で思ってる。


それでも“好きになってくれないこと”で松田を責めようと思ったことは1度もない。






「・・・・・・別に嫌いじゃねェよ」



それはよく聞いていないと聞き逃してしまいそうなほど小さな声だった。


幸いにも人気の少ない路地でその言葉はしっかりと私の耳に届いて、ぴたりと時間が止まったように言葉が出ない。



「っ、今なんて・・・っ・・・?、!」
「何も言ってねぇよ、ばーか」
「嘘!嫌いじゃないって言った?ねぇ、言ったよね?!」
「気の所為だろ。さっさと帰んぞ」


フリーズしていた頭がようやく鈍く動き始める。さっきまでより少し元気になった松田は、私の頭を軽く小突くとそのまま歩き出す。


慌ててその背中を追いかけながら、さっきの言葉をもう1度聞きたくて何度も尋ねるけど「言ってねぇ」の一点張り。


それでもたしかに聞こえたから。


ねぇ、松田。

今思えば好き≠チて言われたわけじゃないのにここまで舞い上がれる私って馬鹿だよね。


無関心≠ゥら嫌いじゃない≠ノなって、その次にあるのは好き≠セってこの頃は信じてたんだよ?





翌日、私はそれはそれはもう朝からテンションが高かった。


『東京では例年より早い初雪が観測されそうですね』


ニュース番組のお天気お姉さんの言う通り、外に出るとふわふわと初雪が舞っていた。普段なら寒くて雪なんか嫌いなくせにこの日ばかりはそれすら特別に見えた。


朝から松田にだる絡みをして顔を顰められても私はいつも以上にニコニコで。萩原に「なんかいい事あった?」って聞かれた時も笑顔で返せるくらいには幸せだった。



珍しく雪は止まず一日中ひらひらと窓の外を彩った。地面に積もりこそしないけれど、先生達の車の上は白で薄らと覆われる。


“それ”が起きたのは放課後だった。


週番の呼び出しで職員室に呼ばれた私。面倒くさくてもう1人の生徒に押し付けようとしたところを松田に見つかって、「待っててやるからちゃんとやれ」って怒られた。

でもその一言のおかげで一気にやる気になった私は、猛スピードで日誌を書き職員室に出しに行った。


もう1人の週番だった生徒とは職員室前で別れ、教室まで戻ろうと階段を上る。


「今日は朝から元気だね」

階段の踊り場で後ろから聞こえてきたその声に立ち止まり振り返る。

つかつかと私に近付いてくるのは松野サンだった。その目に浮かぶのは間違いなく怒り。

何でアンタが私に怒るんだよ、なんて喉元まで出かかったその言葉を飲み込む。


「私が元気だとアンタになんか迷惑かけるわけ?」
「見てて不愉快ってそれだけじゃ理由にならないかな?」
「は?言いがかりもいいとこだね、それ」

これ以上ここでやり取りすることも面倒で、私はそのまま階段を上ろうとした。

彼女はそんな私の腕をぎゅっと掴む。


ギリギリと腕に食い込むその手の力の強さに思わず眉間に皺が寄る。



「松田にフラれた。どうせ聞いたんでしょ?」
「興味ない。アンタがフラれようが何しようが私に関係ないから」
「ははっ、その余裕がまじムカつく」
「松田に未練あるなら、こんなとこで私に突っかかってないで本人にそう言えばいいじゃん」
「未練?笑わせないでよ」


カッと開かれた松野サンの目は怒りで真っ赤に染っていた。近付けられた顔、目を逸らすのも負けた気がして腹が立つからその目を思いっきり睨み返す。


ふっと口元を緩めた松野サンは意地の悪い笑みを浮かべ、私の耳元に口を寄せた。


「もう興味なんかないよ、あんな奴。女の趣味悪すぎだし」
「・・・あっそ、ならもう離し・・・「しかもアイツ、犯罪者の息子でしょ?そんな奴こっちから願い下げだから」


その言葉に、ぷつん、と自分の中で何かがキレた音がした。


気が付くと私は掴まれていた腕を思いっ切り払い、彼女の胸倉を掴んでいた。


そのままガン!っとその体を壁に押しやる。身長差のせいで私が見上げる形になるけれど、そんなことには構わずその顔を睨む。


基本的に私は松田以外の人間に興味はないし、鬱陶しい奴らは総じて嫌い。


でもここまで誰かのことを憎いと思ったのは初めてだった。



何も知らないくせに。


過去に松田が何をしても元気がなくて、周りに一際当たりがキツイ時期があった。


松田のお父さんの誤認逮捕。

真犯人は捕まったけどプロボクサーだった松田のお父さんは、その誤認逮捕が原因でタイトル戦が流れてしまったらしい。そこからボクシングもやめてお酒に溺れたと聞いた。


噂なんてすぐに広まるもので瞬く間にその話は学校中に知れ渡った。


生徒達の反応は、松田のことを腫れ物触れるように扱うか、馬鹿にして揶揄うかの2択だった。

その枠に当てはまらなかったのは、きっと萩原と私だけだろう。


黙ってやられっぱなしの性格じゃないし、時間と共に“普通”に戻っていった松田だけどその事件はきっと今でもアイツの心に何かしらの影を落としていることは間違いないんだ。



それを、目の前のこの女はなんて言った?


あの時の松田の悔しさも、悲しみも、何も知らないくせに・・・っ・・・、



「お前が松田の何を知ってんだよ!」

パン!っと乾いた音が廊下に響く。
力任せに叩いたおかげで、松野サンの体はバランスを崩し床に倒れ込む。



「・・・・・・みょうじ?」

1発だけじゃ足りない。私がもう1度その胸ぐらを掴もうとしたその瞬間、背後から名前を呼ばれた。


その声を聞いた松野サンは髪の毛で顔が見えないことをいい事にニヤリと笑った。



「っ、お前何やってんだよ!」

慌てて階段を駆け下りてきた松田は、座り込んだままの松野サンに駆け寄った。


「大丈夫か?」
「っ、うん・・・。普通に話してただけなのに、みょうじさんが急に怒って・・・」


まじこの女殺してやりたい。
叩かれた頬に手をあてながらそんな事を言う松野サン。あと2.3発殴っても足りない。てか平手じゃなくてグーでいけばよかった。


「何があったんだよ、みょうじ。急に叩くなんていくらお前でも何もなしにそんなことしねェだろ」

松田のその言葉に、あの悪意に満ちた言葉が彼の耳に届いていなかったことを知りほっとした。もう二度とあんな風に傷付いた松田は見たくないから。


私はそのまま涙を浮かべる松野サンを見下ろすと感情のまま舌打ちをした。


「別に。松田のこと好きだったとかふざけたこと言うからムカついただけ」
「っ、お前そんなことで手上げたわけ?」
「だったら何?松田は私のだもん。手出そうとしたこの女が悪い」


言い合いをする松田と私を見て、ほくそ笑む女に殺意を覚えながらも口は止まってくれない。

きっと松野サンは松田が来た時点でこうなるって分かっていたんだろう。



“犯罪者の息子”なんて、口が裂けても私は松田に言えない。


勢いで出た言葉だとしても松田がそれに傷付くかもしれないから。


だったら私は・・・、


「前からブスのくせに私にごちゃごちゃ偉そうに言ってくるのもウザかったんだよね。ムカついたから叩いた。それだけだよ」


松田の目に軽蔑の色が浮かぶ。


あぁ、終わった。

心の中で何かが音を立てて崩れていくような気がした。


松田は私から顔を背けると、そのまま松野サンの肩を抱いて立ち上がらせる。


「顔腫れてるから保健室行くぞ」
「・・・・・・うん、ありがと」

そんなブスの顔が腫れたって変わんねぇよ!ってその背中に叫んでやりたかった。

でも今の私にそんな気力はなくて。


「・・・・・・お前まじで最低だわ。ちょっとでも気許した俺が馬鹿だった」
「っ、」
「昨日のアレも前言撤回しとく。俺はお前だけは絶対好きにならねェし、まじでもう関わんな」


その目に浮かぶ嫌悪と軽蔑の色に耐えられなくて、私は松田から目を逸らした。


松田の馬鹿。そんな女に騙されんなよ。


心の中で文句を言ってみても、私の気持ちは全く晴れなくて。


その日、あれからどうやって帰ったのか覚えていない。


家に帰った私は制服から着替えることもせずそのままベッドに横たわった。


嫌われた。
今までとは違う。本気の嫌悪をぶつけられた。

千速さんに彼氏ができたときに喧嘩したときですら、今日ほどじゃなかったよな。


今朝までの幸せな気分から一転して、まさに絶望という言葉がぴったりだ。


何もする気にれなくて、ただぼーっと天井を眺めてどれくらいの時間が経ったんだろうか。


コンコン、と部屋をノックする音が聞こえてお母さんが扉を開けた。


「まだ着替えてなかったの?」
「・・・・・・寝ちゃってた」
「お客さんよ。玄関で待ってるから早く行ってあげなさい」

それだけ言うとお母さんは再び部屋の扉を閉めて去っていく。


客?誰?
来客の予定なんてないし、そもそも突然家に来るような仲良い友達なんていない。


私は重い体を起こすと、そのまま玄関へと向かった。


「なまえさんはお母さんにそっくりですね。2人ともとてもお綺麗で」
「あら、お世辞が上手ねぇ」
「ははっ、お世辞なんかじゃないですよ」


聞こえてきた声に来た道を引き返そうとしたけれど、運悪くお母さんに見つかり名前を呼ばれる。


・・・・・・最悪すぎる。


「なまえ!どれだけ萩原くん待たせるの!ごめんね、うちの子が・・・」
「いえいえ。急に来たのは僕の方なので」

持ち前のあの胡散臭い笑顔が今日は数倍増しでイライラする。


諦めににも似た気持ちで私は萩原の前に立った。


「・・・・・・何?」
「ちょっと話しよーぜ。散歩付き合ってよ」


話の内容なんて考えなくても察しがついた。


はぁ、とため息をつくとそのまま萩原と一緒に家を出た。向かった先は私の家の近くにある公園。ブランコに腰掛けると、ギィギィという鈍い音が響いた。


子供の頃はあんなに大きく感じたはずの遊具が何だかとても小さく思えた。




「松野に何言われたの?ホントは」

単刀直入とはまさにこのことだろう。


「松田に言った通りだよ。あの女が松田のこと好きだとかごちゃごちゃうるさかったからムカついただけ」

私は萩原の顔を見ることなく答える。

隣から感じる視線がいつものように飄々としたものならまだよかった。でも今日の萩原は真剣で、真っ直ぐに私を見ているのがわかったから。顔を上げることができなかった。


「陣平ちゃんめちゃくちゃ機嫌悪かったよ、あの後」
「・・・・・・そう」
「仲直りするんなら早くしないと、アイツ拗らせると面倒臭いからなぁ」
「もう無理でしょ」

半ば諦めにも似た気持ちで投げ捨てるようにそう言った。


今まで何度も「鬱陶しい」「お前だけは好きにならない」色んな言葉をぶつけられた。

それでもあんな風に本気で私のことを突き放したのは多分今回が初めてだから。

さすがに私も多少は堪える。鋼メンタルとか散々言われてるけど、一応人間だもん。


「諦めるの?松田のこと」

萩原が松田のことをそう呼ぶ時は、いつも何か真剣な話をしているときだった。


私はゆっくりと顔を上げ、首をそちらに回した。


「・・・・・諦めないよ。好きだもん、松田のこと」

諦め方があるなら教えて欲しい。
あんな目で見られても、やっぱり好きな気持ちは消えてくれない。

むしろ“あの言葉”が聞こえていなかったことへの安堵の方が大きいくらいだ。



「ははっ、それでこそなまえだな。俺は応援するよ」
「っ、触んないで!萩原の馬鹿、アホ、チャラ男」
「おいおい、最後のやつは聞き捨てならねぇなぁ」
「チャラいじゃん。いつも違う女の子連れてるし」
「あれ?もしかしてヤキモチ?」


くしゃくしゃと私の頭を撫でる萩原はすっかりいつも通りで。それ以上何も聞いてこないのは、きっとコイツなりの優しさだろう。


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真っ暗な空には薄く雲がかかっていて昨日みたいな星は見えない。まるで私の心を映すようなその暗闇。そんな暗闇の中で萩原のその言葉に救われたんだ。


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