天文世界 10
月明りの下ティルとオデッサが言葉を交わした後、工場からの使者が彼らの前に姿を現し目的は完了した。あとはアジトに戻るだけとなったが、どうも旅館の様子が騒がしい。 なんと帝国軍にアジトの場所がバレて襲撃にあっていたのだ。
「おい、オデッサ!」
ビクトールの制止も無視してオデッサは地下へ駈け込んでいく。危険な状況で彼女を一人にするわけにはいかないと、ティル達も後を追いかける。 アジトには帝国兵が沢山押し入っており、あちこちにぼろぼろになったメンバーの姿があった。腕っぷしに自慢があった青年、足が弱った老婆、文字の勉強を始めたばかりの子供。血を流した彼らはピクリとも反応しない。姿が見えない他のメンバーも無事でいるのか分からない。 それらのに光景にティルは右手の紋章が蠢くのを感じ取った。それに違和感を覚える暇もなく、奥から女性の悲鳴が響いた。
「今のはオデッサの声じゃないかい!?」 「坊ちゃん、急ぎますよ!」 「分かってる!」
クレオとグレミオに急かされ、ティルは襲ってくる帝国兵を振り払いながら声の元へ走る。 そこには子供を庇って血を流すオデッサの姿があった。子供はオデッサに促され外へ逃げていく。しかし致命傷を負ったオデッサはとても無事と言える状態でなく、ロゼッタは四の五の言ってられないと神聖術を発動させる。元の世界のころにくらべ効果は下がっているとはいえ、この世界の薬よりましなはずだ。
「おい、ロゼッタ!真面目にやれ、このままだとオデッサが……!」 「やってるよ!でも、でも……!」
ビクトールに言われずとも彼女は真剣に術を施している。それなのにどういうわけかティルの時同様、魔術が弾かれてしまうのだ。まるで何かが邪魔をするなと言っているかのように。もともとアジトに至るまでにモンスターとの戦闘で消費した魔力はすでにガス欠状態で、彼女の頭はくらくらとする。それでも呪文を唱える口は閉じることなく、必死に両手を傷口に掲げる。 そんな彼女の手を掴んだのはオデッサだった。
「もう、いいのよ……。解放軍の…リーダーとしての自分より……、一人の女としての……自分を…選んでしまっ……た、私が、悪い……の。」 「何言ってんだ!まだお前は死んでなんかいないだろ!」
諦めるなとビクトールは訴えるが、オデッサ自身もう自分が持たないことはよく分かっているのだ。
「ねえ、ティル……あなたに……お願い……が…2つ……ある、の。」
一つ目はここから南に位置するセイカの村に住むマッシュという男にイヤリングを届けてほしいこと。 二つ目はオデッサの体を水に流し捨て、その死を伏せてほしいというものだった。
「できません、そんなこと。」
一つ目の願いならともかく、二つ目の願いはとても叶えられるものではないとティルは首を横に振る。その命を助けることができなくとも、この気高い女性を弔うことぐらいしてほしい。 そう訴えるもオデッサは首を横に振る。以前話した通り解放軍はまだ小さく弱い存在だ。リーダーが死んだとなればやっと灯った希望が消えてしまう。それだけは何としてでも避けたいのだ。
「……分かりました。後のことは俺達に任せてください。」
それは苦渋の決断だった。 すでに彼女が流した血は大量で、今更ロゼッタの魔術が効いても助かる見込みは薄い。どうあがいても彼女が死んでしまうのは明白だった。
「本気で言ってるのか、ティル!」 「ふふ、いいのよ……ビクトー……ル。」
オデッサはこの場にそぐわない穏やかな笑みを浮かべる。
「ねぇ……どこかでフリックに……出会えたら……伝えてくれる?貴方の……やさしさは……いつ、も……私を……慰めてくれ……た……て。ティル……、どうか……自由な……世界を……。」
彼女が息を引き取るのと同時に、ティルの右手が熱くなるのを感じた。
約束通りオデッサの体を水路に流し、他の犠牲者を弔った。帝国軍はもう用は済んだと言わんばかりにレナンカンプから姿を消していた。今回の目的は本拠地としての機能を破壊することであり、彼らは見逃されたのだ。
「ごめん、私がもっと上手に魔術が使えてたら。」
そうつぶやくロゼッタに周囲は何も返さない。確かに彼女の魔術が発動していたら奇跡的に助かっていたかもしれないが、そもそもオデッサを一人で行動させたのが原因だ。彼女だけを責めるのもお門違いである。
「……それより今はセイカを目指そう。」
重い空気を振り切るようにティルは南を目指して足を踏み出した。
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