天文世界 09
バルカスとシドニアを含むグレィディに捕らえられた囚人たちの救出作戦は無事成功した。その首謀者がテオ大将軍の息子だと言う噂は瞬く間に広まり、ティルが帝国の敵だと言うことは決定づけられた。ティル本人の覚悟より先に、もう戻れないところまで来てしまったのである。 しかし悪いことばかりではない。今回の件でティルを警戒していた解放軍メンバーも彼らを認めたようだった。それでもフリックは完全に信用したわけではないことを隠そうともしなかったが、態度が軟化したのは感じ取れた。それに組織としては彼のように慎重な人間がいる方が信頼できる。 グレミオは相変わらず複雑な心境だったようだが、ティル達はその後も解放軍に身を寄せた。軍と言っても戦うばかりでなく、政府に見捨てられた村の支援活動など仕事は様々だ。そしてそれはティルが帝国で果たしたかったことでもあった。権力や私欲のためでなく、この国でいきる人々のために尽くしたかった彼の。 ティル達が解放軍に馴染み始めたころ、オデッサから新たな仕事が言い渡された。
「貴方達には火炎槍の設計図を秘密工場に届けてほしいの。」
現在解放軍は活動し始めて長くなく、その規模も小さなものだ。帝国軍から見れば片手でつぶせるほどの存在で、今はまだ見逃されてる状況にすぎない。それでもいつか来る決戦の日に備えて、ドワーフから兵器の設計図を買い取ったのだ。 当然火炎槍の存在はその日まで帝国軍に勘づかれるわけにはいかないし、誰かに奪われるようなことがあっては大変な話どころではない。
「万が一を考えて信頼できる人達に頼みたいのだけど、解放軍の幹部が揃って行動しても怪しまれるだけだわ。それにいくら設計図が大切だといっても、アジトを空っぽにするわけにもかないでしょう。」
そこで白羽が立ったのが、救出作戦で活躍したティル達だった。 目的地はレナンカンプから北西の虎狼山の越えた先のサラディ。そこで秘密工場からの使者と落ち合う予定だ。 アジトはハンフリーとサンチェスに任せ、ティル達はオデッサとビクトールと共にサラディを目指すこととなった。
オデッサから見たティルが真っすぐな目をした少年ならば、ロゼッタは幾つものの二面性を抱えた少女だった。容姿と性格の不一致はさることながら、軽口を叩きながらも状況を見極めんとする冷静さ。幼い言動が目立つものの、ごくまれに育ちの良さを感じさせる振る舞いもする。 それにオデッサにはもう一つ引っかかることがあった。
「貴方ってティルを気に掛けるわりには、回復魔法を使ってあげないのね。」
破魔の紋章使いの彼女はどういうわけか、回復魔法を使うのも使われるのも避ける傾向があった。できるだけ薬で済まそうとしているようで、ティルに対しては一度も回復魔法を使ったところを見たことがない。
「恥ずかしながら回復魔法は苦手で、たまに発動しないことがあるんです。」 「あら、それなら練習あるのみじゃない?」 「それもそうですけど、やっぱり薬の方が確実ですから。それに魔力は有限ですし。」
苦笑いをするロゼッタはおそらく嘘はついていないのだろう。それでも残る違和感が彼女がただの紋章使いではないと感じさせる。 未知の存在。彼女を一言で表すならそれだった。
虎狼山道中にある寂びた喫茶店で毒を盛られるなんて事件があったものの、一行は無事サラディに辿り着いた。山奥にある町は滅多に外が人が訪れることはないようで、街の住人達は一行を物珍しそうに見ていた。たしかにここなら帝国の目を気にせずに済みそうであり、もし紛れ込んでいても住人たちが気が付くだろう。 工場の使者とは宿で合流する予定だったが、どうやらまだ到着してないようで、一行はそのまま一泊することになった。 ふとティルは夜中に目が覚めた。周囲を見ると皆よく寝入っているみたいだが、一つだけもぬけの殻となったベッドがあった。どうやらその人物はベランダに出ているようだ。
「ティル、貴方も眠れないことがあるの?私もときどきそんな夜があるの。」
月の光に照らされたオデッサが振り返る。そこの表情は昼間に見るものと違って心細げなものだった。
「少しだけ私の話を聞いてくれる?」 「なんですか?」 「解放軍にはフリックにハンフリー、サンチェスにいろんな人がいるでしょう。皆、私に期待してくれているわ。」
だけど時々そんな彼らの期待から逃げたくなるときがあるのだと彼女はこぼす。解放軍の目標は彼女の夢であり、期待に応えたくてリーダーになっているのに。
「ティル、貴方は今でも帝国に戻りたいって思ってる?建前とかいいから、貴方の本心を教えて。」 「……どうあがいても俺はテオ・マクドールの息子です。」 「そうね、それは紛れもない事実だわ。もしかしたら大将軍である貴方の父の力を借りれば、今からでも元の生活に戻れるかもしれない。」
貴族制度が残る赤月帝国において血筋は深い意味を持つ。変えられない事実がどうしてもティルを引き留めようと見えない糸となって締め付けた。 解放軍の活動が大きくなれば、いずれ父と直接対決する日はやってくるだろう。逆賊となった息子を責任感のある父が見逃すはずがないからだ。その時迷いなく武器をふるえる自信をティルはまだ持ち合わせていない。
「それでも正義は解放軍にある。俺はこの短い間でそう思いました。」
ロックランドの救出作戦に志願したときと同じ目がオデッサに向けられる。
「貴方は不思議な人ね。不思議と人を惹きつける目を持っている。」
オデッサは今までティルのような人間を見たことがなかった。人を優しい気持ちにさせてくれる彼だからこそ、ビクトールは解放軍に引き入れようとしたのだろう。
迷いは誰しも prev next ← . |