天文世界 05
テッドがマクドール邸に戻ってきたのは、彼のために用意された夕食がすっかり冷え切ったころだった。まるで襲撃にあったかのようにボロボロの彼は意識が朦朧としており、ティル達は慌ててベッドで休ませる。ロゼッタの魔術が効かない以上グレミオが手当てするしかないが、重症の彼はしゃべるのさえ辛そうだ。急いで医者を呼びに行こうとしたティルを呼び止めたのはテッド本人だった。 なんでも近衛隊に追われているため、目立つようなことは避けたいそうだ。何故彼が近衛隊に追われているのだ。それにパーンは近衛隊に報告したほうがいいんじゃないかと提案するが、今はまだ様子をみるべきだとクレオに却下され、見張りも兼ねて彼は屋敷の外にでた。
「頼む、ティル。お前にしか頼めないことがあるんだ……。」 「一体何を。」 「俺の手袋をとってくれ。」
テッドの頼みにティルが恐る恐る手袋を外すと、そこには見たこともない紋章が刻まれていた。27の真の紋章の一つ、生と死の紋章"ソウルイーター"だ。 宮廷魔術師ウィンディはそれを奪わんとテッドを襲ったのである。
「あいつには、あいつだけには渡すわけにはいかないんだ。」
命を奪うことに特化した紋章。それを悪意あるものが利用したらどうなるか、想像しただけでも恐ろしい。だが今のテッドには魔女から逃げきれるほどの余力はない。 それは苦渋の決断だった。
「友情にかこつけるなんてずるいけどよ、俺は親友であるお前にこれを託したい。」
300年ものの間、テッドはそれに苦しんできた。だがそれは簡単に人に預けれるものでなく、信頼できる人に同じ苦しみを味合わせたくなかった。だがもう四の五の言ってられない状況に追い詰められている。
「……わかった、どうすればいい?」 「手をかしてくれ。」
親友の悲痛な覚悟を受け止め、ティルは右手を差し出す。
「汝、ソウルイーター、生と死をつかさどる紋章よ。我より出て、この者にその力を与えよ。」
雨に打たれ冷たくなった手が重なり、淡い光とともにティルの右手に痛みがはしった。テッドの右手から真の紋章がティルの右手に移り宿ったのだ。
「なあ、ロゼッタ。」 「……何?」
その様子をじっとみていたロゼッタは自分に話をふられると思っていなかったため、ワンテンポ遅れてテッドに反応する。
「ティルのこと、頼んだぞ。」 「もちろん、大きな砂船に乗ったつもりで任せない。」 「それじゃあ沈むだろ。」
こんなときでも軽口をたたく彼女はいっそ頼もしく、テッドは場違いにも笑いがこぼれた。 ロゼッタはどうしてテッドがわざわざ名指しでそんなことを言ったのか分からない。だがこの場に居合わせている以上、彼女も無関係でいるつもりはさらさらなかった。 玄関の方がガタガタを騒がしくなる。パーンがテッドの所在を近衛兵に報告したのだ。一種の裏切りともとれる行動だが、彼は彼でマクドールを守るために行動したのだ。
「いいか、あいつらはまだ紋章は俺がもっていると思い込んでる。俺を囮にして逃げるんだ。」 「親友を囮にできるわけないだろ……!」 「いいから!ロゼッタ、頼む。」
反対するティルをよそに目配せするテッドにロゼッタは頷き詠唱を始める。
「『フラッシュ』」
まばゆい光が近衛兵達の目をくらまし、テッドを置いて一行は屋敷から抜け出した。
雨の中屋敷を脱出した一行は、マリーの営む宿に避難した。しかしすでに帝国兵はグレッグミンスターのあちこちで目を光らせており、見つかるのも時間の問題だろう。マリーを巻き込まないためにも監視の目を掻い潜ってこの町を出ていかなければならない。 しかし逃亡するにしても行先はどうするのだ。クレオは北の討伐にむかったテオに助けを求めることを提案したが、それはあちら側も想定しているはずだ。それにいくら父が大将軍でも、王に最も信頼されている宮廷魔術師が相手ではティルを庇い切れるか怪しい。それにティル自身が父を巻き込むことに抵抗があった。 そこに手を差し出したのは宿に滞在していたビクトールという大柄の男だった。条件はただ一つ、ここから南にあるレナンカンプという町にいる彼の知り合いに会ってほしい。素性も分からぬ男だが、今は藁にでも縋りたいところだ。門番に賄賂を握らせ、一行はグレッグミンスターを抜け出した。 夜道を駆け抜け、空を覆っていた雨雲がどこかに消え満月が大地に光をこぼすころ。ここまで離れればひとまず大丈夫だろうと一行は森にある洞窟で野宿をすることにした。焚火をしていればモンスターはあまり寄ってくることはないが、火を扱う以上誰かが見張りをする必要がある。 それに買って出たのはロゼッタだ。女の子にそんなことさせるわけにはいかないとグレミオとティルが反対したが、笑顔で指先に光球を灯されては素直に甘えるしかなかった。あれは無理やりでも説得(物理)をするつもりだ。実際ロゼッタは他の3人に比べ任務の疲れがないだけ余力があり、ビクトールもまだ信用しきれないため、現状彼女が見張りには一番適任だった。 かすかな寝息と焚火の音が聞こえるなか、服の下に隠していたペンダントを月明りに照らす。白い雫の形をした宝石は、光を吸収するようにキラキラと輝く。
「ロゼッタ。」 「まだ起きてたの?」 「……ごめん、寝ようにも寝れなくて。」
そんな彼女にティルが声をかければ呆れた顔で振り返る。ティルも休めるうちに休んだ方がいいことは分かっている。しかしこの一夜で起きた激動に目が冴えて眠気がやってくる兆しはない。ロゼッタとしてはせっかくの気遣いを無為にしやがってとも思うが、彼の心情も理解できた。実のところロゼッタも同じなのだから。 やれやれ仕方ないと、彼女は自分の横に座れと地面を叩く。
「それ、初めて会った時から身に着けてたやつだよね。」 「まあねー、魔石って言って純度の高い魔力がこもってるの。」
光属性のそれは神聖術を扱う彼女と相性がよく、月から放たれる魔力を蓄えさせていたのだ。もっとも魔術を十分に行使できない今の彼女には無用の長物ではあるけれど。 それだけ話して2人の間に沈黙がながれる。気まずさも心地よさもないそれはただの無だ。
「……テッドならきっと大丈夫だよ。」
先に沈黙を破ったのはロゼッタの方だった。
「根拠は?」 「女の勘。」 「何だそれ。」
テッドの意思だとはいえマクドール邸で彼を囮することを決断したのはロゼッタだ。そんな彼女に無責任なことを言うなと責めるのは簡単だ。だがティルもそれが最善だったのだと分かっている。深手を負ったテッドを連れて町から脱出するのは至難の業であるし、それでティルまで捕まっては彼に託された紋章を守り切れない。
「でも俺もその勘に掛けようかな、あいつは死んでないって。」
希望は絶望の中で見出すものである。
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