天文世界 04
ロゼッタがマクドール邸にやってきて三か月。完全に心を許したというわけではないが、クレオも彼女が悪人ではないことは理解できた。もともと学校に通ていたというだけあって頭はいいのだろう。坊ちゃんとの勉強で確実に文字を習得している。最近は白兵戦に鞭の練習もしているようで、時々テッドと地図と睨めっこしているあたり、彼女はいずれこの屋敷を出ていくつもりなのだろう。それがいつになるか分からないが。
三か月も経てばロゼッタもグレッグミンスターでの生活に慣れてきたが、同時に新たな悩みが浮上していた。マクドール邸にお世話になってから一度も月のものが来ていないのだ。世界規模で環境が変わったからストレスが溜まったのが原因とも考えられるが、違和感はそれだけではない。髪や爪が一定の長さから伸びないのである。 ロゼッタが異世界に飛ばされたのは転移魔術と他の魔術が共鳴暴走を引き起こしたのが原因だ。ならばそのもう一つの魔術とはいったいなんだったのか。おそらくそれが原因でロゼッタの時間は固定化されている。 ロゼッタの世界にも最高位の魔術師となれば時空間魔術などを駆使して永遠の若さを保っている人はいる。しかし制限の多いこの世界の魔術ではそんな人がいるか怪しいし、下手すれば真の紋章持ちと勘違いされかねない。マクドール邸はロゼッタの事情に理解を示しているが、グレッグミンスターで出会う人は彼らだけではない。いつまでもここに滞在するのは難しそうだ。やはり一年を目途に旅立つ必要がありそうである。
「おや、ロゼッタ。何か悩み事かい?」 「クレオさん、胸ってどうやったら大きくなるんでしょうか。」 「……君の年齢なら決して小さくはないと思うんだが。」
だがそんなこと誰かに相談できるはずもなく、せっかく気を使ってくれたクレオにも彼女ははぐらかすだけだった。
それから更に三か月後、ティルが誕生日を迎え成人となった。 そして今日はティルの仕事初日である。テオは王の命で北の討伐に行き、屋敷の住人達はティルの手助けをするそうだ。ロゼッタはというとその間屋敷の留守を預かることになった。よそ者に家を預けるなど信用しすぎではないかとロゼッタがこぼせば、ティルに君が言えたセリフじゃないと返された。一体どういう意味だ。 一人の屋敷は退屈かと思われたが案外そうでもない。以前からロゼッタも手伝っていたが、グレミオに代わって洗濯や掃除をすれば午前中はあっという間に終わり、一休みして勉強や訓練に時間を費やせばすぐに夕方になっていた。 初日なら大して難しい仕事も与えられないだろうと予想していたロゼッタだが、ティル達が帰ってきたのは約一週間後だった。なんでも魔術師の島でレックナートから星見の結果を受け取ったあと、休む暇なくロックランドへ税の徴収へ向かわされたらしい。 ロックランドは貧しい村で、今日食べるものにも困るありさまだった。これでは税の徴収どころか国が支援するべきなのに、帝国兵はやせ細った子供を足蹴にしていた。ただぶつかって靴が汚されただけだというのに。 領主のグレィディに言われ税金泥棒である盗賊達を捕らえたが、彼らは奪った資金食料を村人達に配分していたのだという。グレィディは村を圧政し、政府に賄賂を贈っていたのである。 ティルは今まで大将軍である父を尊敬していた。父のいる帝国軍に憧れていた。グレッグミンスターは生活豊かで、それを治める国王は素晴らしい人だと信じて疑わなかった。それがどうだ。弱者を切り捨て虐げるのが帝国で、救いを求める人に手を指し伸ばしているのは盗賊のほうだった。
「ごめん、急にこんな話して。」
軍の関係者でもない彼女にあまりこういった話をしない方がいいのはティルも分かっている。それでもこの胸に残るわだかまりを誰かに話してしまいたかった。あの場にいなかった彼女だからこそ。
「謝罪とかいいよ。そういうのはむしろ口に出した方がいいだろうし。」
そんな彼にロゼッタは気にするなと返す。もちろん彼女はティルがそんなことをこぼしていたと吹聴する気はない。帝国に疑念を抱くなど反逆者と捉えられかねないからだ。聞けば近衛隊の腐敗は進んでいるようで、大将軍テオの足を引っ張ろうとティルの荒さがししている人間もいるだろう。
「それにレックナートさん、だっけ?多くの困難があっても自分の正義を選び抜けって言われたんでしょ。」
ロゼッタの世界にも未来視ができるものはいるが身近な存在ではなく、魔術島の主の言葉が何を意味するかわからない。だが今回の件が彼にとって何かのきっかけになるはずだ。
「なら悩むのは間違いではないし、全部意味あることだと思うな。」
兵は拙速を尊ぶというが別に悩んだ時間全てが無為になるわけではない。むしろ急いでことを見誤るぐらいなら、慎重にことに及ぶぐらいが丁度いい。独りよがりの正義になりたくないなら猶更だ。
「……ありがとう、話したら少し楽になった。」 「それはよかった。相談ならいつでもバッチコイってもんよ。」
少しだけ表情が明るくなったティルにロゼッタは茶化すように笑う。命の恩人だということを差し引いても、やはり彼には笑顔でいてほしい。
「話は変わるけどさ、テッドなかなか帰ってこないね。」 「そういえば。いくら城に呼ばれたとしても遅すぎるような……。」
それにもう一つ、ロゼッタには気にかかることがあった。ティルと一緒にロックランドに向かったテッドが上官のカナンに連れられ城に行ってから、一向に帰ってこないのだ。もうすぐ夕食の準備もはじまるというのに一体何を話し込んでいるのだろう。 窓の外からはパラパラと雨の音が聞こえ始めていた。
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