天文世界 03

 ティルがロゼッタに最初抱いた印象は儚げな少女だったが、共に生活すればそれは簡単に覆された。彼女は努力家の負けず嫌いで、図々しい人間である。

「Hey,ティル!暇なら文字の勉強付き合って!」

 なんせ部屋に入って来るや否や、いきなり頼み事をしてくるのだから。いくらティルが気軽に接してほしいと言ったとしても、この話し方といい遠慮がないにも程がある。

「いつも思うんだけど、男の部屋に女の子が一人でやってくるのはどうかと思うよ。」
「大丈夫大丈夫、私はなにかしでかすつもりはないし、ティルもその気はないでしょ。それに人の噂も75日っていうし。」

 それでもケラケラと笑う彼女に不思議と嫌悪感はわかない。おそらく彼女に言葉以上の下心はないからだろう。
 大将軍の一人息子であるティルだが、父親のテオが寛容的なのもあって貴族の子供にしてはのびのびと育ってきた。それでも周囲から見たら彼が将軍のご子息であることに変わりなく、同世代の友人というものは限られていた。(テッドは心置きなく話せる貴重な親友である)それが異性となれば尚更で、マクドール家に取り入るつもりで近寄る者も少なくはない。もちろん全員が全員そうであったわけではないが、ロゼッタの別方向の図々しさはいっそ清々しくあった。
 それに彼女もある程度タイミングは見計らっているのか、本当に忙しいときは声をかけてくることもない。

「それで今日はどの本?」
「今日はこれにしようかなって。文字だけじゃなくて色々勉強になりそうだからさ。」

 ロゼッタが持ってきたのは紋章の歴史が描かれた絵本だった。なるほど、このチョイスは悪くない。




 自分を助けた坊ちゃんは、ロゼッタとそう年の変わらない少年だった。森で見ず知らずの人間を助けただけあるのか、彼女が彼に抱いたイメージはお人よしである。性分なのか、特別用事がない限り、勉強に付き合えとせがんでも断られることはなかった。遠慮なく甘えているロゼッタが言えた話ではないが、彼の面倒見のよさは少し心配になるぐらいである。
 そもそもロゼッタが何故文字の勉強をしているのかというと、ひとえに生きるためだ。この世界はロゼッタのいた世界に比べ識字率も低く、書物の流通量も少ない。それでも文字が読めるか否かで得られる情報は桁違いだ。元の世界に戻る手段を探すにしろ、この世界で生きていくにしろ、情報の有無は生死を分けることがある。
 何よりロゼッタはこの世界の常識が欠けているのだ。彼らの話す紋章がいかなるものか詳しく知るため、それらしきものが描かれた絵本を借りてティルの部屋に直撃したのだ。
 本の内容を要約すると以下の通りである。
 最初にあったのは『闇』。闇が寂しさから『涙』をこぼし、涙から『剣』と『盾』の兄弟が生まれた。しかし剣と盾は七日七晩戦い、盾は剣に切り裂かれ大地となり、剣は盾に砕かれ空となった。この戦いで生まれた火花は『27の真の紋章』となり世界が動きはじめた。
 この真の紋章は宿し主に強大な力と不老を与えるが、同時に呪いで苦しめるのだという。もっとも27個しかないそれは滅多に見かけるものではないし、紋章の歴史もどこまで真実なのかあやしい所だ。だが紋章というものがこの世界の根幹に関わっているということはロゼッタにも理解できた。

「紋章は基本、両手の甲と額に宿るんだ。」

 真の紋章はともかく、彼らの眷属である紋章はそう珍しいものではない。少々値は張るものの、紋章師を訪ねれば自分にあったものを宿してくれる。
 しかし元々この世界の住人ではないロゼッタに、そんなものが宿っているはずもない。道理で不可解な目で見られ、外では外さぬように念をおされながら手袋を渡されるわけだ。何の変哲もない両手が、この世界では異様なのである。




 見た目に反し長い年月を生きてきたテッドでも、ロゼッタのような人間は珍しかった。紋章に頼らない魔術は多種多様で、炎や氷柱を繰り出したかと思いきや、物を宙に浮かしたり種を発芽させたり。本人曰く元の世界のときと違い初級魔術しか使えず、威力や効果も下がっているそうだが、テッドからしてみればそれでも十分凄いことだ。一人の人間に宿らせられる紋章の数が限られているこの世界では、彼女のような存在はとても稀有である。カモフラージュとして手袋をしているが、あまり人前で行使しない方がいいだろう。
 そんな彼女はというと、テッドの傷を睨みつけながらため息をついていた。

「なんで治らないかなぁ……!?」

 彼女の回復魔術がテッドには全く効かないからである。
 両親とも優秀な魔術師であったロゼッタは、学校では期待の星だった。実際その才は確かなものであり、得意な神聖術を使えば軽い傷なら片手間で治せる自信がある。それがこの世界にやってきてからどうも不調なのだ。まるで常に何かに圧力をかけられているように術が上手く発動できず、すべてにおいてパワーダウン。おまけにテッドに対しては術が発動しても、回復魔術ですらはじかれるように全く効果がでない。

「怪我を直せない回復魔術なんてただの白い光だし、魔術師失格だわ。」
「いやいや!ロゼッタの気持ちは嬉しいから!」
「気持ちだけではお腹は膨れないのだよ、テッド君。」

 幸い怪我は大きなものでなく今すぐ治せなくとも支障はないが、彼女のプライドは崩れる一方だ。今まで才に驕って努力を怠ったつもりはないし、ティルのときはきちんと治せたのだ。一体何が違うのだろう。

「でも女の子に手当されるってだけで、俺の心は満たされるからさ。」
「テッドって何気にプレイボーイだよね。」

 そう悔しそうにする彼女だが、ロゼッタの魔術が効かないのは自身の右手にやどる紋章のせいだろうとテッドは考えた。もちろん推測の域はできないし、確信を持てたとしてもそれを口にする気はないが。
 それに傷が治らなくとも決して無意味ではないようだ。彼女が魔術を使うたびに紋章が大人しくなるを感じられた。まるで何かから逃げるように奥へ奥へと。
 もしかした彼女もいればこの先もずっとティルと一緒に居られるのだろうか。そんならしくないことをテッドは思うのだった。

魔術と紋章
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