07





女神像の噴水にナマエの一輪を浮かべて、二人はそれを見つめていた。ふわふわと浮かぶ蓮の花は、まるであの時を思い出させる。ナマエの肩を抱きながら、男は言った。


「俺もここに居なかった。」

「え?」

「留学してた。」

「留学…?」

「あぁ、最近帰ってきた。」


そう、なら二年間私がここに居なくても貴方は居なかったのね、と苦笑したナマエに何かが引っ掛かった。


「留学……最近……て、ちょっと待って、」


思わず彼の肩を押し返してしまった。手に当たる、彼の上質な礼服を下から上へと眺め、黒に包まれた彼の正体がまさかと見えてきた。嘘だ、そんな、あぁでも思い当たるところはある。普通の騎士が中庭まで入れるわけがない。近衛だってこんな所でふらふらする訳がない。


「貴方…おう……」


彼の黒を突き止めたナマエの声は鐘の音でかき消された。体の芯まで響く鐘の音だ。


「鐘……今、何時…!?」

「12時だな。」

「じゅ…あ、ごめんなさい、私…!」


色々頭はごちゃごちゃになっているが今はっきりしている事がある。


「私、帰らなきゃ!」


ドレスの裾を持ってナマエは立ち上がる。簡単だが彼に小さくお辞儀をして踵を返せば彼の腕が伸びてナマエはそれをひらりとかわした。ここで掴まってはいけない。


「待て!」


頭の端で蓮の花を噴水に浮かべたままだと思い出すが今は取りに行けない。取りに行ってしまえば一生後悔する。母様ごめんなさい、そう下唇を噛んでナマエは中庭を抜けて廊下を走った。一方残された神田も一瞬呆けるのだが、慌てて蓮の花を握って追う。しかしドレスのくせにナマエの足は早かった。神田は舌を打ち、声を上げる。


「おいクソ兎にモヤシ!どうせいるんだろ!あの女を掴まえろ!!」


そう声を上げればどこからかラビとアレンが現れ同時に一人の少女を追いかけた。


「イエス!ユアハイネス!」

「だから僕はアレンだって……ちょい待ちラビ!」

「ちょ、アレン!今は待ち時じゃないって!!」


しかし現れたアレンは逃げる(彼等にはナマエは逃げているように見える)少女の後姿にラビの足を止めた。王子は気にせず追っているようだが、なかなか早い彼女の足にきっと逃がしてしまうだろう。いや、その前にあの顔…とアレンは眉を寄せ、頷いた。


「もしかして、あの子は……、いや、あの方は…。」







「コムリーーーーンッ!!」


まさかこの名を心から求めて叫ぶとは思わなかった。長く、遅く、鳴り響く鐘の音を聞きながらナマエはコムリンの名前を呼んだ。するとコムリンは城から出てきたナマエの元へとガサガサガサと現れナマエはそれに飛び乗った。後ろから彼の声がする。蓮の花を片手にこちらを見て懸命に追いかけてきてくれている。ナマエはその姿に瞳を熱くしながらも振り切った。ドレスの魔法がもう、解けてしまっていたから。馬車の中に入った瞬間に解けたのは運が良かった。こんな姿であの人の前には立てない、そう自分に言い聞かせて、目を閉じた。

涙を拭った。




*




*



*
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森の暗闇に消えてしまった馬車にラビは顔を真っ青にしてアレンの肩を揺さぶった。やばい。これはまずい。せっかくの王子の結婚相手を逃がしてしまった。王子から命令されていたのに!


「アーレーンー!!どーすんだよ女の子逃げちゃったじゃん!!あれあの後八つ当たり受けんの俺らだよ!?ただでさえ舞踏会ドタキャンしてジジイの視線が痛ぇのに!」

「大丈夫ですよ、ラビ。舞踏会も僕が何とかします。それにしても…うん。まぁ、あの馬鹿王子にしては上出来です。」

「なーに言ってんだよ!見ろよあの王子のショボンな立ち姿!初めて見たよー!俺王子に長年付き添ってきたけど初めて見たよー!!」

「安心してくださいラビ。僕達が王子に付いてからまだ二年しか経ってません。」


それどころではない。たった二年でも王子の凶暴性は知っている。今は落ちているから大丈夫だが開き直った時どうくるか…そう色んな想像をぐるぐるとしているとアレンがふふっと笑った。中性的な彼が笑うとどうも性別がわからなくなる。それと同時にその幼い顔立ちが逆にぞくっとするのは気のせいだろうか。アレンはラビに銀灰色の瞳を細めてみせた。


「大丈夫です。この僕が何とかしてみせますよ。」




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