03



優しい朝の陽ざしが部屋一杯に広がるよう、少年はバルコニーのカーテンを開けた。朝日は少年の髪を銀色に輝かせ、儚くも美しく魅せていた。少年は開いたカーテンを金色のタッセルがついた紐で上品に縛り、開けたバルコニー向こうから香る潮風を楽しんだ。しかし少年は部屋奥のベッドに座る青年を横目に窓の隙間を少しだけ残し潮風を塞いだ。額に包帯を巻き、ベッドに座り珍しく読書をしている青年に潮風はまだ傷に響くかもしれない。そう窓から手を放した時だった。ベッドの青年が本を閉じ、ゆっくりと顔を上げて少年に声を掛けた。


「…お前、人魚の存在を信じるか?」

「…え…?」


先日の嵐で船から落ちたそこの青年、少年にとっては自国の大事な王子は流木に頭をぶつけて意識を無くしながらも奇跡的に生還した。しかし、人間として大事なものを引き換えに…。と言わんばかりの目で見返した自分の家臣に青年は青筋を立てた。


「…最初に人魚の話をふっかけてきたのはお前だよなクソモヤシ…!」


まだ医師から安静に、と言わている青年の手には『人魚姫』と書かれたタイトルの本があり、只でさえ包帯姿で痛々しいのに、そのタイトルで痛々しさに拍車がかかっていた。


「王子…、カウンセリングも呼びますか?」

「その顔を今すぐ止めねぇと殺す。」


まるでこの世の一番哀れな人間を見るような目でこちらを見る少年に青年はベッド横の愛刀に手を掛けたが、少年が「ふむ」と口元に手を当てたので抜刀まではいかなかった。


「人魚、ですか。確かにこの海には人魚伝説というものが古くから伝わっていますね。人魚姫のお話も我が国から生まれた作品なんですよ。」

「…そうなのか」

「えぇ、昔の人が人魚見たさに『イノセンス』という何でも可能にできる秘宝を海に投げ込んだくらいです。」


まぁ、彼らは荒波に呑まれて全滅したそうですが。と少年は続けて青年は黙った。そして横に置いた本のタイトルを撫でるようにその文字をなぞり、小さく溜め息を吐いた。その姿に少年はカウンセリングの手配をしておこうと小さく心を痛める。


「王子ー、入るさー?」


部屋の扉から明るい声が聞こえるや否や、赤い髪の青年が食膳を両手にへらりと笑いながら入ってきた。灰色の麺に香ばしい香りの黒いスープがついている食膳を赤髪の青年はベッド上の青年に渡した。


「ほい、お食事さー。」

「あぁ」

「お食事って…ソバですか。」

「ユウをベッドの上で大人しくさせるのにはソバ食わせとくのが一番さ!」

「あぁ、ソバ食わしときゃ大人しくなりますもんね。」

「お前らわざと俺の前で言ってんのか?」


無遠慮な家臣の会話に口端を引き攣らせた青年を余所に、赤髪の青年はベッド上の本に目を向けた。


「人魚、姫?なんでこんな本がユウの部屋に?」

「王子が読んでたんです。実は愛読書ですか?」

「んなわけねーだろ」

「人魚姫って王子に恋した人魚が泡になる話さ。ユウは悲恋が好きなの?」

「違う。」

「そう言えば…、人魚って何が主食何ですかね?」

「あれじゃね?ワカメ。」

「ええー…一日ワカメですか?」


家臣の会話を流しながら、青年は運ばれた蕎麦を一口啜ってゆっくりと咀嚼した。
そう、人間の王子に恋をした人魚が泡になる哀れな話だった。王子に恋した人魚は美しい声を引き換えに人間となり王子に再会する。しかし王子は隣の国の姫と結婚し、王子の愛を得られなかった人魚は姉達に小刀を渡され、これで王子を刺せば人魚に戻れると言われた。しかし人魚はそれを選ばず一人泡となって消えた。そんな哀れな話だった。
大まかな話は何となく知ってはいたが、こんな話だったとは。


「それで王子が人魚の存在信じるかーって聞くんです。やばいですよコレ。絶対頭やられてますよ。」

「流石のユウも今回ばかりは駄目だったみたいさねー。この国大丈夫か?」

「いざとなったら僕達が政治を…」

「ユウはお飾り王子さね!」

「神田なんて客寄せパンダみたいなもんですよ。」

「お前らわざとだろ。」


またしても無遠慮な家臣の会話に青年は蕎麦をずるっと飲み込んでベッドから立ち上がった。食べ終わった膳を赤髪の青年に押し付け、ベッド下からブーツを取り出しそれに足を通して、適当に上着を掴んで二人に背を向けた。


「あっ、ちょっとユウ何処に…」

「外。」

「まだ安静にしてないと駄目ですよ王子。」

「安静にしてる方が駄目になる。」


そう言い残し、二人の制止の声を無視して自室を出た。ここに居たら、いや、あの二人と居たら確実に良くなるものも悪くなる。そう思いながらも青年はあの時の事を思い出した。
あの時、自分を助けたのは間違いなく人魚だった。ずっと架空の生き物だと思っていたものが現実に現れ、驚いてはいるが掴んだのは紛れもなく鱗がついた尾びれだった。胸当てだけはしっかりとつけ、細い肩は剥き出しで雪のように白い肌だった。自分の額を心配した声は鈴を鳴らしたような愛らしい声で、綺麗な顔立ちをしていた。


「………、」


桜貝のような爪をつけた指に触れられた額を抑えて青年は浅く息を吐いた。
思い出すだけで胸が静かに高鳴るこの感情は、一体何なのだろう。そう青年は、いや王子は引き寄せられるように海岸へと向かった。


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