02
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人魚が人間の王子を岸辺に引き上げた頃には嵐は嘘のように去っていた。
人魚は長距離の荒れた海の中を、人間を早く陸に上げなければと急いで泳いだ。乱れた呼吸をゆっくりならしながら王子の長い前髪を分けた。
…大丈夫だろうか。このまま息を返さなかったらどうしよう。人魚ははらはらしながら人間の頬をぺちぺちと叩いた。
(生きてる?生きてるよね?)
人魚は王子が息苦しくないよう身に纏っている白い「服」に手をかけた。真ん中一直線に丸い留め具のようなものの外し方がわからなくて力任せにぶちぶちと開いていくと、人間から苦し気な声が聞こえた。
(意識が…!)
戻ったのか。人魚は良かったと口を綻ばせた。人間が飲み込んだ海水を吐き出したのを見て、意識が完全に戻る前に…、と人魚が海に戻ろうとした時、
「ぶっ…!!」
人魚は砂に顔を埋めた。
いや、埋めるを得なかった。
なぜなら、
「待てよ……げほっ、」
尾びれを人間に掴まれたからだ。
(ま、まずいまずいまずい!!)
意識を取り戻した人間が顔を上げていくのを人魚は見ていることしかできなかった。人間が顔を上げていくのが随分とゆっくり感じた。
海水を吐き出した口を服で拭って、
濡れた前髪をかき上げ、
涼しげな瞳をこちらに向けて、
「…な……、」
と驚いた顔を向けた。
驚いた隙に人魚は掴まれた尾びれを振り払い今度こそ海に飛び込んだ。しかし飛び込んだのもつかの間、すぐに今度は腕を掴まれ、引き上げられた。しかし引き上げた腕は思ったより優しくて、立つことができない人魚の腰に腕を回した。
なんて、力強い、腕。
「…お前が俺を助けたのか?」
「…………………」
人魚は人間の言葉に小さく頷いた。
人間の腕は逃がす隙など与えてくれない程、力強く、優しかった。
「人魚…なのか……。」
「…………あ、」
そう言った人間の額から血がたらりと流れてきた。あの時流れていた血だ。人魚ははっと気が付いて、恐る恐るその額から流れる血に触れた。温かい。
「血……大丈夫……?」
そう指で血を拭えば人間はやっと自分が怪我をしていることに気が付いたような顔をしていた。ぬるりとした血は妙な温かさを残して人魚の白い指を汚した。人間はまた小さく驚いた顔をして、ゆっくりと人魚を海へと戻した。
それから人魚の姿を下から上まで眺めてからおもむろに服を脱いだ。そして人魚の肩にそれをかけた。
「…風邪をひく。」
「……カゼ…?」
何それ、と人魚が首を傾げたその時、
「あっ!ユウさ!ユウー!!!!」
岸辺の向こうから赤毛の人間が見えて人魚は慌てて海に潜った。そして今度こそ海底目掛けて泳いでいった。
人間にかけられた服をそのままに。
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先日の嵐の夜以降、人魚は物思いにふけるようになった。何かあったのかと双子の片割れと兄が心配してくれたが、まさか人間を見てきて人間を助けて人間に姿を見られたなんて言えない。……言えやしない。
人魚は結局そのままパクってしまった人間の服を自分の部屋で広げて首を傾げた。
(「カゼ」をひくと言われてかけられた服だけど、これパクって良かったのかな…。)
人間は服というものを着て生活していると聞いた。これがないと何かいけないことになるのだろうか。そうしたらこれは彼に返さなくてはならないのでは?と人魚は小首を傾げる。しかし王子なら城に住むもの。これを陸地に上げても果たして気付いてくれるだろうか。いや、無理だろう。しかも人間に見られないようになんて更に無理だ。
人魚はどうしよう、どうしよう、と考えてから、服を抱えたまましばらく固まった。そして、
「よし。相談しに行こう。」
小さく頷いた。
「ミランダさーん。」
人魚が相談相手を求めて泳いだそこは海藻と海藻が生い茂った、人魚達の間でもあまり知られていないミスミランダの家だった。肩まであるウェーブのかかった髪、そして目の下に隈を作った弱々しい瞳、ミランダと呼ばれた気の小さそうな女性は人魚を見ると嬉しそうに笑った。
「い、いらっしゃい…!今お茶いれるわ…。」
「あ、お構い無く。ちょっと用事があっただけで。」
「そ…そう…。そうよね、私がいれるお茶なんて姫様のお口に合うわけないわよね…。むしろ私が姫様のお茶をいれるなんておこがましいし、むしろ姫様がこんなあばら家に来てるだけで有り得ないのになんで私こんなこと姫様にさせてるのかしら。私って本当に駄目……」
「わーミランダさんのいれたお茶が飲みたいなー。」
若干を超えたミランダのマイナス思考を受け流し、人魚は先日起こったことを全て話した。ミランダは見ての通り人付き合いが得手ではなく、言葉は悪いが、人魚が話した事を告げ口するような相手がいない。そういうことで人魚はミランダを頼って訪れた。
「そのシャツを返したいの?」
「これシャツって言うんですか?」
「えぇ、ほらここのボタンをしめて……あら?ボタンが全部引きちぎられて……」
「…………………。」
彼女は人間の世界のことをよく知っている。人魚に人間の世界の色々を教えたのは彼女だ。友達がいないミランダはよく海面に上がって人間を観察するのが趣味らしい。そんなことをしていて人間に見付からないのかと心配したが髪がウェーブなためよく海藻に見間違えられると言っていた。
ミランダのいれたお茶を飲みながら人魚はどうにかならないかな、とミランダに言った。ミランダは「そうね…」と小さく悩んでから戸棚からある小さな小瓶を出してきた。中には怪しげに光る液体入っていた。
「なにこれ。」
「私にもよくわからないの…。」
「へ?」
更になにそれと人魚が首を傾げるとミランダは「ええっとね、」と補足し始めた。
「これ、『イノセンス』っていう人間界で宝物みたいなものらしいの。詳しいことは知らないんだけど、願い事を叶えてくれるんだって。」
「イノセンス…?」
「沈没船で見付けたの。」
そのイノセンスとやらが落ちていた近くにそれに関する本があり、そう書かれていたらしい。ミランダはそう言って人魚は小瓶を受け取った。
「何か怖いね…。これ私が使ってもいいの?」
「もももちもちろん!……って言いたいとこだけど、まだ試したことがないから私も怖いわ。」
「……ちょっと舐めてみるとか。」
「そ、それなら大丈夫……かしら?」
人魚とミランダはごくりと唾を飲んだ。そして人魚はしっかりと密閉された小瓶を口元に持っていった。
「あの人間にシャツを返しに行きたいの。」
そう言って小瓶を開けて、ペロリとそれを舐めると──────
「っ!?」
苦しい。
苦しい苦しい苦しい!!
急に呼吸ができなくなった口を人魚は抑えた。舐めただけなのに。舐めただけなのに!苦しい!息ができない!尾びれもまるで引き裂かれるように痛い!
「……!……!!」
ミランダの声が遠くに聞こえる。
必死に人魚の名前を読んでくれているが、
(シャツ……あの人間に……)
人魚は、意識を、手放した…。
か
え
さ
な
き
ゃ
え
さ
な
き
ゃ
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