15



「か、神田くーん…」


ノック、というよりも扉にずるずると何か擦り寄ってる音が聞こえて俺は出ようか出まいか一瞬迷った。しかし聞こえてきた声に、あれが誰かの目に映るのを考えて扉を開けた。開けたら一番に「だからお前は秘密の存在じゃなかったのか」とフラフラ出掛けるナマエに言ってやろうかと思ったのだが、開けた途端に雪崩れ込むようにしてナマエの体が崩れてきて慌てて受け止めた。


「おおー…ナイスキャッチ…」

「ナイスキャッチじゃねぇだろ」


親指をぐっと立てたナマエの体は力が入ってないのか入らないのか、俺の体に全て預けられていてナイスキャッチどころじゃない気がする。先程扉に擦り寄った音がしたのは扉に寄り掛かっていたからだろうか。何があった、と覗き込んだ表情は……顔色が良くない。


「また治療したのか」

「ちょっとねー…貧血…」


貧血、と言ったナマエにどれだけ血を流したのだ、と取り込んだ傷を探すが見当たらなかった。服の下だろうか。それとももう処置された後だろうか。


「と、とりあえずベッドいいっすか…」

「まっすぐ自分の部屋戻れよな」

「いや…今日は大事なお知らせがあって寄らせていただきマシタ……」


力なく笑いながら話すナマエを抱えてベッドへと向かった。抱えるといやに軽い体が腕に変な感触と感覚を残した。だるそうな呼吸を繰り返すナマエをベッドに横たわらせ、何か飲むかと聞くが小さく首が振られた。別に親切心などで聞いたわけではなく、ナマエの顔色が本当に酷いから聞かざるを得なかった。


「お前、もう止めた方がいいんじゃないか」

「…え…?」

「イノセンスを発動させるの」

「あ、はは…おかしな事いうね神田君…。僕は中央庁からイノセンスを回収させろって言われてるんだよ」


つまり、死ねと言われている。
それさえも笑って言うナマエからそれ以上の言葉は聞きたくなかった。自分でも気付かない内に指をナマエの唇にあてて言葉を制した。ナマエはそれに小さく目を見張ったが(小さく目を見張った、なんて表現はきっと正しくないのだろうが、力ないナマエにはそう言った方が正しかった)、次にはゆっくりと微笑んでいた。綺麗な、笑みだ。


「今日はね、それについて、来たんだ」


制した指を取ってナマエは言った。きゅ、と緩く握られた指と指に俺は僅かに力を入れた。


「僕…、ここから…中央庁から逃げようと思ってるんだ…」


今度は俺が目を見張る番だった。びっくりした?と言うナマエにどういうことだと続きを促し、ナマエはゆっくりと胸を上下させて続けた。


「ドクターと看護婦さんが、逃げようって、言ってくれて……」


頭にナマエと一緒に中央庁から来たという二人が浮かんだ。コムイに制御具を頼んだ男に食堂でナマエと一緒にいた看護婦。中央庁預かりの別室にいた二人。二人は恋仲で邪魔をしてはいけないとナマエは言っていたが、二人はナマエを大事にしているように見えた。会話も対面した時間も少ないというか無いに等しいが、ナマエが怪我を隠していた時に見た目は心配以外の何物でもなかった。医療班フロアの時だってそうだった。


「中央庁から逃げて…、三人で暮らそうって。残りの寿命、僕達と静かに暮らそうって。」


呼吸を繰り返す胸はさっきよりも緩やかだ。表情も穏やかで、ナマエの脳内にはあの男と看護婦と三人で暮らす情景でも描かれているのだろうか、泣きたくなる程幸せそうな顔だ。

(逃げれば…、)

ナマエがここから逃げれば、ナマエは寿命を削ってエクソシストを治さなくて済む、痛みを引き受ける事も、死期を早める事もしなくていい。それはきっと、ナマエにとって、あの男と看護婦にとって一番の選択だ。


「逃げ切れるのか」

「コムイ室長が…手伝ってくれるって」

「コムイが…」

「僕の寿命が無くなるまで、その間までは静かに暮らすのも悪くないかなって。もちろん、僕が死ねばイノセンスは教団に返してもらうつもり」

「それ、逃げてんのか?」

「僕はここから出てあの人達と暮らせるならそれでいい」


絡んだ指先が妙に冷たくって握る力を強めた。細い指を、赤ん坊が親の指を握るように握った。手を繋ぐのではなく、指を繋いだ。(きっと、俺とこいつの距離はこれくらいだ。)


「それでね、さいごの思い出に」


顔色がすっかり良くなったわけではないが、ナマエはゆっくりと体を起こした。ベッドに白い皺が控え目に広がって少しふらついた小さな体を支えたが、ナマエはそれを通り越して俺の体に腕を回した。


「神田君が戦ってるところ見たいんだ」


甘い重みが胸に広がる。


「お願い。連れてって。」


隙間無く抱き締め返した体には、治療した痕など何処にもないような気がした。



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