09
コムイの話を聞いた後、俺は眠れずにいた。いや、最近任務や何やで生活が夜に偏ってきているのも理由の一つだ。しかしその前に、気分が悪すぎた。多分ナマエのイノセンスを聞いたからだ。いっそそんなイノセンスがあるんだな、と流せれば良かった。しかし流す事が出来ない程ナマエを知ってしまった。関係ない。そう、俺には関係ないと言い切りたいのに、夢の女が頭から離れない。
冷たい夜気を吸うが、何故かすっきりしない。喉に湿気が溜まっただけな気がした。夜の森を歩いて特に目的地もなく進んでいると、木の幹に凭れかかって寝ているナマエを見つけた。こんな所で寝るなんて、相変わらず緊張感のない奴だ、と近付いても足音に気が付かないナマエにぞっとした。コムイの言葉が頭を過ぎる。
「ナマエ」
「…ん……にゃんだ…君…?」
肩を軽く揺すればナマエの目が薄っすらと開き、俺はそれに小さく安堵した(……死んではいなかった…)。ナマエは欠伸と同時に大きな伸びをして、まだ眠たそうに目を擦った。
「ん〜…神田君、初めて僕のこと呼んだね…」
ふにゃっと笑った顔に呆れてしまう。コイツ、本当に寝てただけか。心配して損した、と心の中で呟いて頭を振る。心配?何にだよ。
「こんな所で寝るな」
「眠いんだもん〜。活動が夜っていうか深夜だから。」
「昼間寝てればいいだろ」
「あんなお天気の日に寝るなんてもったいなくて」
お天気の日は何かしたいよね、とまだ眠そうに目をこするナマエの手には包帯が巻かれていた。(…そこは……)それは先日見たものと同じ場所で(新しい傷か…?)、俺はついその手を取って少し驚いたような顔を見せるナマエを見つめた。
「また…治したのか」
「ううん違うよ、この間の。」
今までの間隔なら確実に治っていただろうその箇所に首を傾げる。骨折だって縫い傷並の怪我だって、その次の日にはけろりとしていたはずなのに。
「治るんじゃないのか」
「治ってはきてるけど…、最近治りの間隔が遅くなってるんだ。僕のイノセンスは無制限じゃないから」
無制限じゃない、というのは、活動源力がこいつの命だからだろうか。そしてその言葉に、コイツの寿命はもう下り坂を下りている事なのだろうか。そしてナマエはそれを受け止めている、のか?
「死ぬのか」
言って、後悔した。
コイツにそんな言葉を吐いてしまった自分に。どうしてそんな事を口走ったのかわからなかったが、気付いた時にはそう吐いていた。ナマエは俺の言葉にさえ、怒りもせず、笑みを浮かべた。
「死ななきゃいけない」
返された言葉は、義務だった。
「僕のイノセンスは心臓だ。僕が死なない限り回収できない。だから僕は死ななきゃいけない。」
まるで訪れる死を甘んじて受け入れようとしているその言葉に後悔した。訊ねて、聞いて、後悔した。そしてその言葉に怒りさえも感じた。どうしてこの女は「死ななきゃいけない」と、死ぬことを受け入れているのか。自分の寿命を削ってエクソシストをサポートする意義は。それをしてこいつの得る利益は何だ。自分を殺した母親への医療費か?
「弟の代わりに生きるんじゃなかったのか」
「今ナマエは生きてるよ。でもエクソシストは私の仕事だから。」
こればかりは仕方ないんだ、と笑顔を浮かべたナマエに舌を打ちたくなる。矛盾している。弟として生きると言っているのに、死のうとしているこいつの生き方。どうしてそこまでしてエクソシストを続けられるのか、死のうと思えるのか。
「お前は、自分のために生きようと思ってないのか…」
「思ってないよ。この生は、弟の、ナマエのものだもん」
胸糞悪い。明らかに気分が悪いとばかりに語尾を強めているのに、目の前の女は気にしてないように言う。意味がわからない。弟のために生きて、エクソシストの自分のために命を削って、死ななきゃいけない。だけどこの人生は弟のもの。
「大丈夫。来世では自分のために生きるって決めてる」
来世?そんなものあるわけがない。あるわけがないから、人は必死に生きる。それなのにお前は、現世を弟のために、弟になって生きるなんて。
「じゃぁ、今のお前は何なんだよ」
「神田君?」
「お前は誰なんだよ。」
夢の女は幸せそうに笑っていた。
「今、俺と話してるお前は誰なんだよ」
だけど、お前は何でいつもそうやって泣きそうに笑うんだ。
「神田君何怒って」
「ッ、」
伸ばされた手を思いっきり弾いた。瞬間、ナマエは俺を見て驚いた顔をしていたが、それは弾かれた手になのか、それとも俺の表情になのか、わからないまま俺はその場を立ち去った。
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