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「深刻な米不足だ…。」


私は米袋の中身を見て溜め息をついた。そう、米がない。しまったな。この間買い物に行った時なんで忘れたんだろう。神田くんもなんで言ってくれなかったのだ。…って、神田くんがウチん家の米不足を知るわけないか、と出窓ですやすやと寝ている神田くんを見た。(昨日夜遅くまで本読んでた私に付き合ってくれたからなぁ。)出窓には暖かい陽の光が一杯に入ってきていて、そりゃぁもう寝るに打ってつけの場所だった。まぁ、出窓で片膝を立てながら寝れるのは彼だけだろうが。なかなか見れないレアな神田くんの寝顔はとても可愛くて、やっと歳相応な顔を見た気がした。


(…女の子みたい。)


艶々の黒髪も、長い睫毛も、憎たらしい程すべすべの頬も、本当女の子みたいだ。これがあと数年すれば立派な男性になるんだろうな。どんな男性になるのだろう。イケメンかブサメンか。まぁ、後者は突然変異でも起きなければ絶対ないだろうな、とぐっすり寝ている神田くんの寝顔に微笑んだ。こんな神田くんに「出掛けてくるね 」というのはなんだか忍びない。しかも、こんな安心しきった顔で寝てくれてるのがとても嬉しかったので私は何も言わずにアパートを出た。



気を許してくれる存在になった、と思っていいのだろうか。

神田くんが、あんな風に寝てくれるなんて。(素直に嬉しいと感じる。)彼は戦争のあるところから来た。その話を聞いた時から私は少しでも彼に休んで欲しいと思った。戦争のせの字も知らない平和ボケした私だけど、私より小さなあんな子が戦場に立っているなんて、私には耐えられなかった。だから、少しでもいいから、ここにいる間だけでも、子供で、



「ナマエ、」


手首がずしりと重たくなって急激に冷えた。一つ一つ爪を立てるように彼の指は私の腕に食い込んだ。既に懐かしいと感じる彼の声に私は息を呑んで後ろを振り返った。目に入ったのは、(黒髪じゃない、)ぱさぱさの茶髪だった。彼は私の腕を掴んで壁に押し付けてきた。反動で頭をコンクリの壁にぶつけたけど、痛いと思うよりも恐怖の方が大きい。


「…は、る、」


はるちゃん、

はるちゃんだ。

どうしてこんなところに、なんで、

はるちゃんは私の腕を痛い程に掴んできて、押しても引いても離してくれない。はるちゃんの息は荒い。目も、私を見ているようで見ていない。焦点が定まっていない目で私を見つめ、ニタリと嬉しそうに不揃いな歯を出した。


「は、はるちゃ、」

「ナマエ、ナマエ、あぁ良かった。やっと二人きりで話ができる。ほら、二人きりの方がいいだろう。ナマエは人見知りが激しいし、俺以外の男もあんまり得意じゃないだろう。ナマエ、最近ナマエの近くをチョロチョロしてるガキは誰だい?アイツのせいで俺、ナマエに声をかけられなくて、ナマエ、あのガキに何かされてるのか?されたんだろう。わかってるって。俺が何とかしてやるよ。前みたいに俺にまかせろって。でもアイツ、俺と目が合うと睨んでくるんだ。ガキのくせに目付き悪いよな。なんであんなガキ置いておくんだよ。あぁ、でもいいよ、ナマエ。ナマエが謝るなら俺あのガキのことも許してあげる。なんでも許してあげる。ナマエ、ナマエ、何から話そう。そうだ、ナマエ、あの女は違うんだよ。俺は浮気なんかしてない。本当だ。あの女が勝手に近付いてきただけで、困ってたんだ。俺はナマエだけ。ナマエだけ愛してるよ。だからナマエ謝ってよ。別れたいなんて実は嘘なの、私にははるちゃんだけだよ、ごめんなさい、はるちゃんの気を引きたかっただけなの、ごめんなさい、ってさ。俺はちゃんとわかってるって。あれだろう。写真を破ったのも俺の気を引きたかったからだろう。わかってる。だからほら、ちゃんとポストに入れといただろう?セロハンテープでちゃんと直したからまた出窓の写真立てに入れるんだぞ。」

「や、やだ…」

「そういえばナマエ、お前携帯替えただろう。俺のところにメアド変更メールが来てないぞ。お前の友達のところにも聞きに行ったけど誰も教えてくれなかったんだ。そんな友達と付き合うなよ。俺とナマエの邪魔をするような友達とは別れろ。それは友達じゃない。そんな友達ナマエには必要ない。というかナマエに友達なんていらない。ナマエには俺がいればいいんだよ。俺が側にいればなんの問題もないんだよ。なぁナマエ、そうだろう。お前も俺が居なくて死んじゃうほど寂しかっただろう。いつも泣いてるナマエを見てたよ。俺が居なくて泣いていたんだろう。俺はいつもナマエのこと見てたよ。部屋にいた時もバイトに出掛ける時も学校に行く時も買い物に行く時も、ずっとナマエを見てたよ。そうだ、この間バイト忙しかっただろう?実はあれ俺なんだ。ナマエのバイト先に行ったら頑張ってるナマエがいたからさ、一生懸命なナマエが可愛くてつい注文しまくっちゃった。でも俺が行ったのわかったらナマエ怒るだろう?だから他の子が来た時にたくさん注文してあげた。ナマエ、その日洗い場だったから大変だっただろ。でも大変そうにしてるナマエも可愛かったよ。あ、違う子に注文したって言ったけど、大丈夫、俺ナマエだけだから。注文に来た子に何もしてないから。言ったろう?俺はナマエだけだって。あと、この間図書館で買った缶ジュース、出しっぱなしだったぞ。俺がちゃんと残りの分も飲んでゴミ箱に捨てなかったらお前スタッフさんにきっと怒られてたぞ。まぁ、でもナマエは怒られるぐらいがいいのかな。ナマエ、俺が怒ってても泣いて喜んでたもんな。」

「っやぁ……、か、んだく…、」

「ッ俺を見ろよナマエ!俺が目の前にいんだぞ!ガキの名前呼んでんじゃねぇよ!お前の男は誰だよ!俺だろ!ナマエ!他の男に笑ってんじゃねぇよ!話しかけてんじゃねぇよ!お前は俺の女だろっ!あの出窓はっ」


「俺のだ。」


飛んでくる唾液さえも怖くて瞼を固く閉じていた。だけど凛とした、まだ声変わりも終えてないような中性的な声に私は瞳を開けた。肉を抉られるような爪の感覚が腕からじんわりと余韻を残して消えている。先程まで寝ていたはずの声が聞こえて私は瞼を全開させた。
そこにはどうなってそうなったか知らないけど、はるちゃんが地面に這いつくばり、その上に何てこともないような顔をした神田くんがはるちゃんの腕を背中に回して締め上げていた。まるで呼吸をしているかのように、何てこともないような動作に見える。


「か、んだ、く…」

「ナマエ、警察呼べるか。」

「あ、…そ、そうだ、け、けいさつ、」


私は神田くんに言われて携帯を取り出そうとした。だけど腕が、手が震えて、取り出した携帯を落としてしまった。慌てて落とした携帯を拾おうとすれば急に足に力が入らなくてなってその場にへたりと座り込んでしまった。


「あ、あれ…わたし…」


その時、私はやっと全身が震えてることに気が付いた。力が入らない。でも警察に連絡しなきゃ、か、神田くんが、だけど力が、

鬼を潰したような短い悲鳴がして神田くんの下のはるちゃんの腕がばたりと落ちた。神田くんがはるちゃんに何かしたみたい。神田くんがはるちゃんを跨いで私の足元の携帯を拾った。


「は、はるちゃん、死んだ…?」

「気絶させた。」

「あ、う、うん、だよ、だよね…。」


歯も震えて、うまく喋れない…。でも警察、


「悪い、」


神田くんの体に合わない大きな手が、


「遅くなった。」


私の頭を撫でた。
神田くんの優しく撫でる手がどうしようもないほど温かく感じて、下唇を噛み締めれば、涙が勝手にあふれでてきた。怖かった、怖かったよ、と心の中で泣き叫んで蹲る私に、神田くんはずっと頭を撫でてくれた。


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