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しばらく幕府の奴等の動きが活発で江戸に立ち寄る事は無かった。たまに、あくまでごくたまに思い浮かぶあの女はいい加減に俺の事は忘れただろうか。

「晋助、やっと幕府の動きが掴めて来たでござる」
「…………ああ」

隣で三味線を弾いている万斉のその音色を聞き流しながらいつも通り煙管をふかしていると体に悪いですよ、と小姑のように文句を言うあいつの声が頭の中で勝手にリピートされてとりあえず煙を吐き出した。こんなにめんどくさい思いをするぐらいならあの時助けなければ良かった、そもそも未だに名前も知らねぇ、俺も教えてねぇ。

「とりあえず外の空気でも吸ってくれば良い」

そう言って立ち上がる万斉の背中を見ながら窓から外を見る。
腹が立つほど晴れ渡っている空、町の奴等は何も考えずに笑っている。その笑い声も、子供を呼ぶ親の声も、かけていく足音も、全てが嫌になる。あの人が死んだあの日に、世界が滅びてしまえば良かったのに。
今さら、いや今でもそう思う。
あのぬるま湯のような優しい世界を、優しい世界のままで終わらせてくれれば良かったのに。
神様ってやつは、どうにもこうにも気まぐれだ。

しばらく一人座っていたが立ち上がり外に出る。
江戸を歩いて行くところなんて、それこそ今さら一つしかない。
見慣れてきた道を歩いて行けば、相変わらず腑抜けた面したあいつがお盆片手に笑っていた。

「お嬢ちゃん今日も精が出るねぇ」
「ふふ、いつも来てくれてありがとうございます」
「女一人で偉いよ、頑張んな」
「お婆さんもまだまだこれからですよ」
「いやもう旦那が元気モリモリでねぇ…夜は特に下半身が元気モリモリで……」
「もうお婆さんってばノロけないでくださいお店先で」

昼間からどういう話をしてるんだあのバカ共。
踵を返して帰ろうとするが、あいつのへらっとした笑顔を見てたらここで帰るのも癪に思える。
あの頬をちぎれる勢いでつねりあげてやろうか、

「お嬢ちゃん、最近そわそわしてるけど誰か待ってるのかい?」
「年頃だものねぇ……良い人でも出来たの?」
「いえ、ただ来てくれていた人が来なくなっちゃって」

ピタッと足が止まる。

「お茶とか一番安いものしか頼まないですけど、必ず一品は頼んでくれるんです」

「お話もしてくれますし、」

「私は結構あの時間が好きなんですけど」

その人はそうでもなかったんですかね、と笑うあの女にほんとなら脳天に一発ぶちこんでやりてぇがせっかく落ち着いたのに騒ぎ立てるのはめんどくせぇからその額に手のひらを少し強めに振りかぶる。
べちっと言う音と「いたっ」という短い言葉。


「世界が滅んでもてめぇは意地でも待ってそうだな」

あの人が死んだあの日に、世界が滅びてしまえば良かったのに。

「私はお得意様には尽くすんです」

それでも心のどこかで、終わらない何かを望んでいるあの日の自分が憎たらしくてしょうがない。

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