桜花歌う夜

※江戸パロ注意。

設定が凄く緩い上に江戸パロでやる意味があったのかどうか。寛大な目でご覧ください。
公式のワンピース時代劇第一弾の後日談のようなもの。






****






春麗のほのかに暖かい陽気も、日が沈んでしまえば冷え冷えと沈んでいる。
細い細い三日月の、か弱い月影の中を桜花の残滓が舞っていた。


かこん、


刻は、草木も眠る丑三つ時。
静まり返った庭園に、寂しく鹿威しの音が響く。

誰もいない、広い広い板張りの間。
ぽつりぽつりと並べられた無数の書物卓の陰が、ゆらりと橙色に揺れた。
ちりりと時折、煙が立つ。
貴重な菜種油の灯火の下に、ひとつ動かぬ背中があった。


ぱち、ぱちり。


時折その後ろ姿は揺れ、其処から細い腕が伸びる。
長く筋張った指が、算盤を弾き、筆に墨を付け。紙の上を滑った。


「………で、何の用だ」


夜気に溶け込むような、灯りの前の人影の声。
おのこのそれより嫋やかで、しかしおなごのそれよりやや低い。


「………何だ、気が付いていたのか」


戸口の前に潜ませていた体を、するりと灯火の明かりの中へ。
ぽつりと呟けば、振り返りもしない背中は淡々と返す。


「羽虫のような羽ばたきが聞こえた」

「……羽虫とは、失礼な」


憮然と息を吐けば、それは静まり返った板間に響いた。


「…また過勤か」

「………何の用かと聞いている」


無愛想な指が、算盤の玉をまた弾く。
再び嘆息して、己はその背中に一歩を踏み出した。


「おなごが、こんな夜中まで残っていたのでは不用心だぞ」

「……生憎、やって来るのは物好きな番方か物の怪くらいだよ」

「どうだか」


脇差を直し、数歩の距離のその背後へ胡座をかけば、かの横顔がちらりとこちらを見る。


「…そうとも。こんなみみっちい勘定場に来るのは、今宵に至っては物好きな番方のみだ」


幼い男児のように、長い髪を髷にもしないで一本結ったそれは。女人の顔。


「そうか。花盛りの娘の元に、それは寂しい」

「…賎しき金奉行の処に、花形で忙しなかろう書院番の番方殿が何の用かな」


一瞥ののち、女人は再びその眼を紙に落とす。


「……そうだな。嘘吐きな金奉行の尋問と、引っ立てに」

「………心当たりが無いな。お引き取り願おう」


ぱたりと帳簿を閉じると、相手は新たなそれに筆を走らせた。


「……はて、此処の何者かが収賄を働いたと噂に聞いたが」

「知らぬ噂だな。私の知る限り、この金奉行所には心根の潔白な者しか居ない。出処の怪しい、あらぬ話を掴まされたな」

「…おかしいな、確か話の出元は天下の大蔵、御勘定奉行様だったが」


さらさらと休まず動いていた筆が、ぴたりと止まる。
何か書き損じたようだ。
ちっと舌打ちの音がして、はしたないと窘めれば。
これ見よがしに、二度。


「……ほう。御勘定奉行様が。…しかしあのお方は、もうかなりのご高齢であるからな。耄碌なさっているのやも知れぬ」


紙面に斜線を引きながら、のらりくらりと言葉を繋ぐ相手に、己はぴしゃりと口を開いた。


「…今朝方、此処に水色の御髪の娘御が来られたとか」

「…………はて…知り得ぬ話だ、詳らかに」

「戯れ言を」


吐き捨てれば、その筆が硯に置かれる。

また、ちらりとこちらを見遣った女人の目を、じろりと睨めつけた。


「………ビビ様に御小遣いを渡して市井へ放ったのは、おまえだろう」

「…さあ」


声だけは平坦に、しかし堪え切れないとばかり、その吐息は空へ笑う。
欠伸のようにそれを掌で隠そうとする相手に、己はいよいよ呆れ果てた。


「おまえ、これで何度目だ」

「……さあて、何のことやら」

「まだしらばっくれるか。御大老なんて、白目を剥いて倒れてしまわれたぞ」

「…おやおや、また姫様はお外へ御出になられたか。父上もご災難であられた」

「馬鹿が…」


誰のせいだ、と開きかけた口に、ぬっと手が覆い被さる。
ぎょっとする己を他所に、何かがその中へ押し込まれた。


「……なっ…!」


それはころんと硬く、丸いもの。
子供騙しのように、甘い味。


「………飴玉…」

「これをくれてやるから、黙ってろ」


よくよく見れば、相手の卓上の隅。色とりどりの飴の籠が、ぽつんとある。


「良く味わえ。都からの献上品を、ありがたく頂いた」

「…まさか……これが賄賂か」

「ビビ様はそんな真似はなさらない。…ちょっとした、口止めだ」

「……飴で黙るとは…童子じゃあるまいに…」


それまでずっと下方に結ばれていたその口は、ふふんと尊大な音と共に綻ぶ。
ぽん、と、三色の色飴を口に放り。
己の贈ってやった紅も指さない唇は、しかし艶めいて微笑み、開いた。


「父上とチャカには黙っていてくれ。また怒られる」

「………既にばれていると思うぞ」

「…おや、では、明日は覚悟しないとな」


ちっとも悪びれない相手に、頭が痛い。


「おまえいつか、痛い目に遭うぞ」

「だがどうにも残念、ビビ様のお土産話しか楽しみが無くてな」

「婆のようなことを言う」


ころころと口で飴を転がしながら、相手はまた笑った。


「……今日は件の岡引きと、独楽回しをしてお遊びになられたそうだ」


その常には怜悧な視線が、柔和に和む。
女の身で男ばかりの要職をこなすこの女人は、諸刃のように鋭い冷気を装って。その真、こういう温もりを内に湛えていた。

呆れながら眺めていた筈の、その風貌。
ふと、胸になにか…熱い動悸が走る。


「………今日は、何刻までやるつもりだ」

「…うん?」


笑みの浮かんだ顔を怪訝そうに傾げる相手から目を逸らし、己はぼそぼそと言う。


「……女人の夜歩きは感心しない、送ろう」

「ふふ、そうだった。用件は、尋問と引っ立てだったな。…収賄の輩は、牢へ引っ立てるという訳か。ご丁寧だな」

「屁理屈を」

「まだ終わらないぞ」

「…待ってやろう」


再び筆を持った相手にそう言えば、片眉を上げてこちらを仰いだ。


「…おまえ、朝に響くぞ」

「今日はもう明番の日だ」

「なんだ、休みか。なら、もう少し書いていよう」

「……早くしてくれ」

「んん」


生返事で筆を走らせる相手へ三たび嘆息して、髪を掻き上げる。
突っ込まれた飴で膨らんだ片頬を、戯れに細く節くれた女人の手が潰す。


「…遊んでいないで集中しろ」

「分かった分かった」


何が可笑しいのか、再びくすくすと笑い出した相手に憮然としながら。
その灯火に揺れる横顔を、板に座して眺めていた。


…この、許嫁の。
終わりの見えない、生真面目な夜なべを守らんと。

ふわりと、冬のそれよりずっと暖かな風が吹き、ひとひら花弁を運んできた。




(番方と金奉行)





****

公式の江戸パロを見つけて調子に乗った感。「パロでやる意味あった?」は禁句。

wikiで漁ったにわか知識ですが、

書院番の番方…将軍の側に仕える親衛隊。
金奉行…城の軍吏。金銭の出入を記録する。
勘定奉行…金奉行の上官。財務大臣的な。

だそうです。



prev next 22 / 28
 



×
- ナノ -