牝獅子の幸福

煌々と松明が、燃える。ぱちりぱちりと、音を立てて。
弦楽が、煌びやかに鳴る。打楽器の原動的な律動と共に。
酒宴の間の舞台の上では、猛獣使いが獅子に鞭を振るう。


がるる、がるる、がるるる、


鬣の立派な雄獅子が唸りながら、くるりと炎の輪をくぐる。
軽々とした、足取りで。

次いで、身体つきのがっしりとした。しかししなやかさも兼持つ牝獅子が……するりと輪をくぐった。

拍手喝采。
酒の入った官吏の重役たちは大喜びである。

己の横の国王はぞんざいに手を叩く。
隊長はその隣で酔って寝ている。
幼い王女は既に、寝間で就寝した。

ふと見遣った、下段の官吏の席の中。
今日は護衛の任に就かない女は、その隅に腰掛けている。

退屈そうに玻璃の酒杯を舐め、何か料理をもぐもぐと食べていた。

人よりずっと良い己の眼は、その顔に憂いの色を見出す。


がるる、がる、がるる、


また、獅子が唸って。炎に包まれた障害物を……ひらりと避けた。
鞭がぴしりと、しなる。

彼女は誰と話すこともなく。
ただ一人、孤独に酒を飲んでいた。


やがて猛獣の芸は終わり、獅子たちは檻へ戻される。
彼らは抵抗することもなく、静かに其処へ入って行った。

がしゃんと……檻の扉が閉まる。

宴もたけなわ、また観客が大喝采をした。


…彼女は。
また首を巡らせれば。空になった杯を、くるりと傾け弄ぶその姿。
拍手もしなければ、礼を言って回る道化へ声を掛けもしない。

……その、細められた瞳の色は。
あの猛獣たちと良く似ている。

あの獅子たちはかつて、自由に灼熱の大地を駆っていたのだろうか。
今や檻に入れられ、片付けられた彼らの姿は。もはや何処にも見当たらなかった。

女は、一人。
人の群れの中、孤高に浮き立っている。


「随分と…ご執心だな」


ふと、声がして。
横を見れば、杯を傾け国王が笑っていた。
普段の温厚なそれではなく。何処か食えない…そんな、笑みである。


「………いいえ」


首を振れば。その口はにひ、と歪んだ。
つと…かの腕が上がり。
指差したのは遠い遠い彼女の背中。


「……お前はあれが、檻の中の獅子に見えるか? …ペルよ。」

「……………」


沈黙すれば、相手はまた笑う。
松明が極寒の夜を赤く紅く照らした。


「……あれはな、黙って飼われるような牝獅子ではない」

「…………ええ」

「……おそろしい女だ。…だが、美しい」


いつになく饒舌なこの主には、どうやら随分と酒が回っているようである。


「……お前は、あれのそこへ惹かれたのか? …それとも、それとも……」

「…国王。そろそろお酒も、そこまでに」


やんわりと徳利を取り上げれば、相手は詰まらなそうに口を尖らせた。


がるる、


舞台裏から、獅子の唸り声が聞こえる。


「………彼女は……彼女です」


給仕に酒のお代わりを貰っている対象の女は、ちっとも酔った様子がない。
周りの人間は皆真っ赤だというのに…酒精へ対し強過ぎるのもまた、損気なのやも知れぬ。

…そんなことを、素面の己はぼんやりと想う。


「……健気だな。…うむ、若き者は実に良い……ふむ、ふむ…」


愉快そうな声の国王に、喋り過ぎたと顔を顰めた。
素面のつもりでいたというのに…己もまた、この宴の熱気に当てられていたようである。


「………あれは牝獅子より、もっと情のあるものだ。…だが、同時にもっとおそろしいものだ。……獅子の皮は…それを隠すのに、丁度良い」


猫被りならぬ、獅子被りだな。

一人でけらけらと笑う国王に、己は沈黙を以って肯定を返す。


「…お前は……大変な女に惚れてしまったな…ペルよ」

「…………」

「果たして御せるのか? あれを……」


何も言わない己に、かの方はしかし楽しそうだ。


「……猛獣のように御す必要など…ありませぬ」

「……御さねばいずれ、あれは己自身を喰い殺すぞ」

「…代わりに私が喰われましょう」

「……ふーむ、愛か…」


若いというのは良きこと、良きこと。

しとどに酔った相手は、同じ言葉を繰り返す。


「……あれも、幸せ者だな」


退屈そうにあくびをする女を、二人で見遣れば。国王はぽつりと言った。


「……ええ、とんでもない幸せ者です」


それへ平坦な声で返せば「随分と自信があるのだな」と揶揄われる。


「…私のみでは……ありませんよ」


彼女はその苛烈さを以って人を遠ざけていた。

だが、その壁をすり抜け。
現に彼女を王女は慕い、国王や隊長に親愛を受け、兄分に可愛がられ。
……そして己は、彼女を愛している。


「……とんでもない、幸せ者ですとも…」


呟けば、国王はにひひと道化のように笑った。


「…嫉妬か?」

「…………さて…」


松明の輝きに目を瞑った、己の横。

国王はまた一つ笑むと、席から立ち上がり。
手を打ち鳴らして、宴の終焉を告げた。




(気付かずとも構わない)





****

4/4、獅子の日なので。

何かの宴席。ペルさんは国王の護衛。軍吏長は官僚席で参加。



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