おぼれるしずく

しとしとと、窓の外から雨音がする。
硝子越し。曇天も伴い、いつもよりずっと暗い夕暮れの景色を眺めながら……熱い湯呑みを啜った。


「……ペル! おまえは…人を散々馬鹿と謗るくせに、自分の方はどうなんだ…!」


ふん、と呆れ半分、説教半分で息を吐いた恋人は、薬缶を流しへ乱暴に置く。
がちゃんと、金属同士のぶつかる音がした。


「……まあ、そうかりかりするな」

「馬鹿が!」


濡れた髪を布で拭きつつ、宥めるつもりで声を掛ければ、罵声と共に頭を叩かれた。


「手厳しいな」

「大雨の日に!屋根のある回廊沿いに来ればいいものを、わざわざずぶ濡れになりながら飛んでくる奴が馬鹿でなくて何なんだ!」

「あれだと遠回りだから……」

「そういう手間を惜しむな!」


季節は、雨季の最盛期。
何処かで雷鳴が轟く。


「早く来たかったんだ」

「大馬鹿が!」


また、頭上で拳が炸裂した。
こちらはただただ、首を竦めて平謝るのみである。


「二度とやるな!」

「……ううん…」


保証しかねると、言葉を濁せば……水分を吸った拭布ごと頭髪を掴まれ、わしゃわしゃと揉みくちゃにされた。
頭皮が引き攣れて痛い。


「痛い」

「風邪でも引いたらどうする!」

「大丈夫だ。もっと優しく拭いてくれ」

「甘えるな!」


信じられない力で頭蓋を圧迫され、目の前がちかちかとする。
零さないよう、慌てて湯呑みを卓に置き……渋々「もうしない」と約束した。


「なんて馬鹿なんだろう……」


はああ、と。
疲れたように息を吐いて、女は長椅子に腰掛ける。
隣り合ってはいたが少し距離があったので、すぐ横まで体を滑らせ近寄った。


「……何だよ…にやにやして…気持ちの悪い…」

「……いや……いつもと、逆だなと…」


普段はこちらが世話を焼いてばかりだが……たまには、こうして世話を焼かれるのも悪くない。


「……うん、いいな…これ……」

「気色悪い」


頬を緩めて言ってみせても。……いつも通り、返ってくる言葉はつれない。
相手は鼻に皺を寄せ、あっちへ行けとぞんざいに手を振る。
それを無視して、腰元を抱いて引き込めば、腕をぎゅっとつねられた。


「いたい」

「甘えたの馬鹿には丁度だ」

「良いじゃないか」

「調子に乗るな」


腕の肉をひねり上げる力が段々と強くなるので、慌てて言い添える。


「寒いんだ」


暫し、沈黙ののち……面倒臭そうに手を離した相手は、その体の力を抜いた。
しめたと、隣の腰を持ち上げて……筋の量があるので、なかなかに重たい……己の膝の上へ降ろす。後ろからぎゅっと抱え込んで、肩に顎を乗せた。


「…………」


……氷のような目でぎろりと睨まれるが、構わず頬を首元へ擦り付ける。
一瞬身じろぎして、女は苛立たしげに舌打ちした。

……寒いというのは、嘘ではない。
夕暮れ時の気温が下がった頃合い、豪雨を思い切り浴びてきたのだ。
自業自得と言えば、まさにその通りだが……何より早く、ここへ帰り着きたかった。
会いたかったのだ。

……そう言ったって、きっと……返ってくるのは、いつもの天邪鬼な答えばかりだろう。


「おまえ、あったかいな」


……代わりに口をついて出たのは、それだけだった。


「ペルが冷えているんだ」

「そうかな」


相手をより強く抱き込んで、閉じ込める。つめたいと、女は呟いた。
構わずに、うなじに唇を付ける。相手はまた、つめたいと身を捩って……やがて、諦めたように背中を凭れてきた。

あたたかい。


「……いつもは…おまえの方があったかい」


ぶつっとした、少し低い……女人の声。
愛想の欠片もないそれ。
……だと言うのに、どうしてか。
どうしても。どうしようもなく……この声に溺れている。


「そうだろうか」


首筋の、襟元と素肌の境に顔を押し付けた。
吸気のかおりは……ほのかに、やわく、あまい。


「……うん、そうだ。……どうしてだろう」


声だけではない。
……この、ぬくもりに。やわらかさに。あまやかさに。


「さて……獣だからかな」


溺れているのだ。どうしようもなく。


「そっか、鳥だもんな」


……二人して、くすくすと笑い合う。
あまやかな、あまやかな、あたたかい時間。

……ふと、それが……砂地の通り雨で咲く、薄紅の花弁のように……儚く感じる時がある。
この刹那の永続性は、どうやったら証明されるのだろうか。


「……なあ、」


ああ、胸が、あつい。


「……うん?」


いとおしい。


「……おれたちは………」


振り返ったまなざしと、目と目があって。
……示し合わせもしないのに、口唇はやわらかく触れる。
そのあまさが、熱を持ったふうに感じられるのは……やはり、己の体が冷えているからなのだろうか。

心臓が訳もなく苦しいのは、せつないのは……幸福さゆえか。


「おまえ、どこにもいくなよ」

「どこへ行けるというんだ、おまえみたいな甘えたがいるのに」


雨はしとしとと、降り続けた。





(滲んで、見えなくなったのは)





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梅雨なので、雨の日の話を。
6/12、恋人の日のSSSでした。



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