ひなたのまどろみ



 日々は移ろい、春が来て、高校二年生になった。
 生活はそれほど変わらない。放課後のときどきは寄り道がてら凛くんの練習を覗きに行って、どうしても冴くんの声が聞きたくなったら夜に電話をする。同じようで毎日少しずつ違う日々を重ねていくことは、単調かもしれないけれど平和で幸せなことでもある。


 最近、いいや正確に言えば今に始まったことではないのだけれど、困っていることがある。

「おーい、凪くーん。次選択授業だから起きて〜」

 ゆさゆさと完全に眠りこけている大きな体を揺さぶると、目の前で机に伏していた男の子は少々煩わしそうな表情を浮かべ目を開けた。凪誠士郎くん。一年生から同じクラスの、少々問題児くんである。

「えー、めんどくさーい」
「そう言わないの。筆記用具とか持ってあげるから、一緒に来て?」
「疲れてるから動きたくない」
「今日はまだ寝てるところしか見てないけど……」
「昨日の練習のせいですでにHPは残り僅かなの」

 これだ。一年生のころも凪くんの面倒くさがりやは異常だったけれど、最近は以前よりも増してひどくなっているのだ。なんでも最近サッカーを始めたらしく、疲れて動けないのだと言う。
 そもそもどうしてこんな状況になっているかと言うと、一年前、生徒会に入るのが決まったときに、最初の仕事だといって彼の面倒を見るように担任の先生から仰せつかったのだ。尚、押しつけられたとも言う。ちょうどそのころ彼とは席がたまたま隣だったため、都合がいいと担任の先生は思ったのだろう。以来彼に関してのさまざまな事柄について、関与するようになってしまっている。

「また怒られちゃうよ。ほら、立って」
「んー」
「あ、やーっぱりまだここにいた。おい凪、さっさと来いよ」
「あー玲王。ナイスタイミング〜」

 ようやく凪くんが立ち上がったところで、背後から快活な声が響いた。振り返ると、そこには声音と同様明るい雰囲気の男の子がひとり。御影玲王くん。この学校の有名人だ。
 凪くんは御影くんを視界に入れると、今にも倒れそうな勢いでふらふらと腕を伸ばした。

「運んでー」
「なんでだよ。自分で歩け」
「玲王が昨日あんなにやらなければ今こんなになってない」

 御影くんはわたしが持っていた凪くんの教科書などを奪い取ると、「さっさと行くぞ」と言って踵を返した。もちろん運ぶ気はないらしい。それを察したのか、凪くんも渋々とあとに着いていく。よろよろと歩く姿は本当に疲れきった様子だ。

「ごめんね御影くん、もしかして先生なんか言ってた?」
「いいや? 見当たらねーから俺が勝手に来ただけ。てかみょうじが謝ることなんもないだろ、凪がさっさと来りゃ済んだ話」
「えー、俺のせい?」
「どう考えてもそうだろ」

 ありがとう、と言うと、御影くんはにこりと綺麗な笑みを浮かべた。明るく、気遣いができて、分け隔てなく優しい。クラスメイトの女の子たちが彼のことを好きなのも頷ける。
 どうやら凪くんがサッカーを始めるきっかけとなったのは、ちょうど今隣にいる御影くんのお陰らしい。なんでも彼は凪くんの才能に惹かれて、二人で一緒に世界一を目指そうと誘ったのだという。偶然か、一番身近で聞いていた夢がこんなところにも掲げられていたわけだ。

「そもそも凪くん、面倒くさがりなのによくサッカーなんて始めたね」
「……んー、成り行きで。勢い凄かったんだよね」
「その言い方はなくね? でもまあ、みょうじも見たらわかるよ。こいつのプレーはすげぇ。そんで俺が絶対、その凄さを証明してやる」
「こーんな感じで」
「……なるほど」

 案外二人の相性はいいらしい。凪くん自身も、めんどくさいとは言いつつも押しには弱いようだ。

「凪くん、そんなにサッカーすごいんだ」
「こいつは間違いなく天才だよ」

 御影くんははっきりと断言した。現に先日行われた練習試合では、二人のお陰で勝利したらしい。以前からサッカー部に所属していたクラスメイトから聞いた話だ。

「へえ……今度見てみたいな」
「いいぜ。まじですげーから」
「ショキ、サッカーわかるの?」
「うん、ちょっとだけ。幼馴染がサッカーしてて、ときどき見てたんだよね」
「……前から気になってたんだけど、そのショキって呼び方なんなん?」
「生徒会書記。だからショキ」
「……ネーミングセンスゼロかよ」

 本当のところを言うと、凪くんが育てているサボテンの名前と似ているところから来ているらしいのだが。確か、チョキ、だっただろうか。初めは変な呼び方だな、と思っていたそれも、一年近く経てばそれも思わなくなった。イントネーションもチョキと同じなので、御影くんが不思議に思うのも無理はない。

「ていうかサッカーわかるならさ、マネージャーやらね? ここの部、弱小過ぎてマネージャーいないんだよな」

 思いもよらぬ提案に思わず固まる。マネージャー。今まで一度も考えたことがなかった選択肢だ。冴くんも凛くんも、クラブチームでサッカーをしていたから。

「みょうじみたいな奴がいてくれたら超助かるんだけど」
「うんと……考えとくね。生徒会の兼ね合いもあるだろうから」
「それもそうだよな」

 思わずそう言葉を濁していた。気持ちは嬉しいけれど、部活に入るとなるとかなりの時間が取られてしまう。週末だって、試合や練習などたくさんあるだろう。
 選択授業で使う教室は場所的にかなり遠いはずだったのだが、話しているうちにあっという間に着いてしまった。なかにはすでにほとんどの生徒が座っていたので、少しだけ駆け足で向かう。するとそれぞれの席へ向かうとき、御影くんは「まあ一応ってことで。考えといて」と、わたしにひっそりと耳打ちをした。

◇ ◇ ◇


「は? マネージャー?」

 その日の夕方、わたしは凛くんの練習を見学するために彼の練習場を寄っていた。今日も例に漏れず自主練込みだったので、辺りは薄暗い。それでもかなり日照時間は長くなったと思う。
 今日の話をすると、凛くんはしかめっ面をしながらそう言った。どうやら彼も、わたしと同じように想定外の話だったらしい。

「うん。クラスメイトの子がね、すっごくサッカーが上手いんだって。それでサッカーのこと少しでもわかるならマネージャーやらないかって」
「却下」
「え。」
「大体なまえ、俺のサッカー見たいとか言って部活入んなかったんじゃなかったのかよ」
「……なんで知ってるの?」
「なんでも」

 つうか俺のが確実に上手い。
 そう言って凛くんは不機嫌そうな表情を浮かべた。さらには先ほどよりも歩く速度も早くなったような気もする。ただでさえ身長差があって歩幅が違うというのに(普段はわたしに合わせてくれている)、こんなふうに歩かれてしまえば置いてけぼりにされそうになる。
 なぜ彼が部活に入らなかった理由を知っているのかも気になるけれど、それよりも不貞腐れた様子が少し意外で驚いた。これはもしかして、拗ねているのだろうか。

「凛くん待って」
「おせぇ」
「入る気ないよ。これは本当」
「当たり前だ」

 御影くんには悪いけれど、凛くんに言ったことは本当だ。きっとどれだけ二人のプレーがすごくても、凛くんのサッカーが見られなくなるのは少々不本意だからだ。

「凛くん、早い」
「なまえの足が短いんだろ」

 そう言いつつも彼は歩く速度をゆっくりと戻した。冴くんと喧嘩をした以来、さらに口が悪くなってしまった気がするけれど、根は変わらない優しくていい子である。

「なにニヤニヤしてんだよ」
「ううん。なんでもない」

 今日ここに来たのも、本当は御影くんや凪くんの話を聞いて凛くんのサッカーが見たくなっただけだ。マネージャーも初めから断るつもりでいた。けれどもこうして凛くんから言葉として言われると、少し嬉しくなってしまう。こうしてこれからも、彼のサッカーを見ていいんだって思えるから。

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