枯れおちた花弁ひとつ潰さずに



 この間はごめんなさい。やっぱり凛くんと話がしたい。どこか空いてる日はないかな?

 凛くんにメッセージを送った。あんなにも拒絶されたというのに、我ながら図太い部分があると思う。けれどもその日はもちろん、翌日も、そのまた次の日も返信がくることはなかった。ある程度は予想していたけれど、やはり無視は色々とくるものがある。一応既読はついていたので、ブロックされていないだけましだと思うべきかもしれない。
 凛くんはしばらくの間サッカーをしていなかったらしい。これは冴くんと、冴くんたちのお母さんから聞いたことだ。その間はずっとお家に引きこもっていて、ほとんど顔も合わせなかったという。
 けれども最近、またサッカーをするようになったらしい。
 それまでも凛くんは冴くんに追いつくためにたくさん努力していたけれど、それとはまた違った雰囲気だったという。ちなみに、これも凛くんのお母さんから聞いた話だ。あんまりにも連絡が取れないので、一度家まで尋ねてみたのだ。結果的に彼がまた練習に行くようになったのですれ違いになり会えてはいないけれど、凛くんのお母さんがそれまであった色々なことを教えてくれた。二人のトロフィーや賞状は現在、大きなビニール袋に入れられて物置の片隅にあることだとか。凛くんが捨てようとしていたところを、お母さんがこっそり回収したらしい。二人になにがあったのかは、なにも聞いてないそうだ。

「男の子二人だと、難しいわね。それにほら、あの二人全然自分のこと話さないから……なまえちゃん、なにか聞いてる?」
「詳しくは聞いてないです……冴くんがサッカーのことで凛くんになにかを言ったということしか……」
「……そう」
「あの、これはわたしの勝手な憶測ですけど、冴くんは凛くんと一緒にサッカーがしたくて言ったんだと思います……。だからその、」

 凛くんがもう一度サッカーを始めたのなら、いつかきっと、二人でまた一緒にサッカーをする未来がくるとわたしは信じている。今は上手くいかなくて、仲違いをしてしまったとしても。口ごもるわたしに、凛くんのお母さんはそっと目元を緩めてわたしの頭をぽんと撫でた。その仕草は、冴くんにそっくりだった。

「厄介な二人の幼馴染になっちゃったね」
「そんなこと……」
「凛ならもう普通に毎日練習しているから、前と同じ時間に来れば会えると思うわよ。私たちには話さなくても、なまえちゃんになら色々話してくれるだろうし」
「……そうでしょうか。実は最近、凛くんとあまり話せていなくて」
「大丈夫よ、きっと。またサッカー見てあげて。本当は嬉しいだろうから」

 不安と気恥しさとで自然と目線が下がっていく。それでも二人のお母さんからそう言われたからか、はたまたあの仕草が冴くんと同じだったからか、先ほどよりも心が軽くなったような気がした。

◇ ◇ ◇


 凛くんのクラブチームが練習している場所は、もう何度も行ったことがあるので知っている。そして練習が終わる時間も、そこからさらに自主練をすることも。
 すでに日が沈み、暗くなったフィールドに注ぐ大きな投光器の光。そしてそのなかで、ひたすらシュートを打ち続けるひとつの影を見つけた。どうやら一人のようだ。ときどき他のチームメイトも一緒に練習していたりするのだが、今日は都合がいい。
 どん、とボールを蹴る音が響いたのち、ゴールネットにぶつかる音がする。聞きなれた音。見慣れた光景。それでも前と違うように感じられたのは、今のわたしたちの関係性のせいなんだろうか。ただひたすらにシュートに打ち込む姿は以前よりものめり込んでいて、声をかける隙もない。

「……いつからいた」

 どれくらい経ったころだろう。五分くらいだったかもしれないし、三十分くらいだったかもしれない。自主練を終えたあと、わたしの存在に気づいた凛くんは、目を大きく見開いたのち尖った声でそう言った。地を這うような声というのは、まさにこれを指すのだろうと思えるくらい低くて、敵意すら感じる。わたしは思わず固まって、それからスクールバッグを握りしめた。

「少し、前から……」

 凛くんがボールを拾い、カゴへと戻していく。返事は特になくて、わたしはもう一度バッグを強く握った。話すことなんてなにもない。きっとそういう意味だろう。

「凛くん。わたし、凛くんと話したい」
「……」
「このままは……いやだ」

 わたしの幼馴染は冴くんだけじゃない。凛くんだって、間違いなくわたしの幼馴染なのだ。むしろ一緒に過ごした時間は彼のほうが長い。二人がどんな話をしてどんな選択をしたのか、わたしにはわからないけれど、いいやわかっていたとしても、どちらかを蔑ろにするようなことはしたくない。わたしにとって、二人はどちらも大切な幼馴染なのだから。

「凛くんが今までしてきたことを、意味がないとか無駄だとか、そんなこと、思ったことないよ。むしろサッカーを見てきて、本当にずっとずっと、凛くんも世界に行くんだって思ってたし、応援してた」

 もはや寂しさまで感じるほど。二人が世界に行くということは、わたしはここで一人残されるということだ。それでも彼はいずれ世界へ行くと確信していたし、そうなるように心から応援していた。はずだった。

「冴くんは、」
「うるせぇ」

 遮るように凛くんが口を開く。代わりにわたしのくちびるはきゅっと引き結ばれて、まるで糸で縫いつけられてしまったかのようにぴくりとも動かなくなった。

「勝手にごちゃごちゃ言ってんじゃねぇよ」

 凛くんが拳を握る。もう片方の手は、堪えるようにくしゃりと前髪を掴んだ。その表情は怒りに満ち溢れているというよりかは、戸惑い、拒絶しているようにも見えた。
 沈黙がわたしたちの間を流れる。やはりここに来るのは間違っていたのだろうか。けれども凛くんと誤解があるまま距離を置いて、疎遠になるのだけは絶対に嫌だった。たとえ今日をきっかけにして、絶縁状態になってしまったとしても。我儘なのはわかっている。
 先に口を開いたのは凛くんだった。彼は、できるだけ冷静になろうとするように深く息を吐き出して、それから目を閉じた。

「お前には、関係ねぇだろ」

 それは間違いなく正しくて、全ての答えだった。関係ない。そうだ。これは冴くんと凛くんの問題で、わたしにはなんの関係もない。わかっていても、冷たく言い放たれたその言葉は鋭く突き刺さった。じくじくと胸が痛い。けれどもそれは、わたしの答えでもある。

「……うん。そうだね、関係ない。だから、二人になにがあったかわたしは詳しく知らないし、なにかを言うつもりもないよ。でも、今まで凛くんを応援していたことについて誤解されたまま、こんな形で終わりたくない……今まで一緒にいた時間を、全部嘘だって思われたくない」

 本音を話せば話すほど、胸が苦しくなってくる。どれだけ二人のことを近くで応援しようとも、結局本当のところは知らなくて、理解できないのだと思い知らされるから。未熟で、無力だと痛感するから。
 凛くんはハッとしたように目を見開いて、それから眉間に皺を寄せた。そうしてすぐに俯いたのち、「なんも聞いてねぇのかよ」と、小さく呟いた。

「なにかあったのは知っているけど、詳しくはなにも。 聞いても、教えてくれないだろうし……。逆に凛くんは、わたしが聞いたら教えてくれる?」

 凛くんは俯いたまま押し黙った。きっとそれが答えだろう。わたし自身、無理に聞くつもりもなかった。

「二人の問題だってわたしも思ってるから、それでいいよ。でも、だからって凛くんとこのままなのはやだ。また一緒に遊びに行きたいしサッカーの応援もしたい。……凛くんは、やだ?」
「俺は……」

 地面に転がる最後のボールに足を乗せ、再び凛くんは沈黙した。その姿はなにかを思い返しているようにも見えたし、迷っているようにも見えた。

「前と同じ理由でサッカーをするつもりはねぇ。俺は、アイツを潰すためにサッカーを続ける。つまり、なまえが思うような結果には絶対なんねぇってことだ。……それでも、まだそんなこと言うか?」

 二人が対立するということは、いずれどちらかが勝利し、どちらかが敗北するということだ。今までと同じようにはいかない。試されているようで、これはきっと彼なりの優しさなのだと思う。不器用で口下手な凛くんなりの。

「うん。だって凛くんのサッカー見たい」

 たとえどちらかが勝利し、どちらかが敗北したとしても。すると凛くんは小さくため息をついて、「さみぃからさっさと帰るぞ」と最後のボールを拾って背を向けた。そのときの声音はもう怖くはなくて、いつもの彼と同じものだった。

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