好きのちいさな魔法



 観光地としても有名な鎌倉は、週末ともなれば多くの人で賑わう。とくにここ数年の間にお店も増えたことから、その勢いは年々増していた。
 駅前の小町通りがまさしくそうだ。スイーツやグルメのお店が多く立ち並び、お昼どきにはどこもかしこも混雑する。時期によっては修学旅行生や、海外からの観光客も目立った。

「冴くん、やっぱりそのままで来るのはまずかったんじゃないかな?」
「わざわざ地元で変装なんかするかよ」
「それはそうかもしれないけど……」

 どうやら人混みを避けようと、午前中に冴くんを連れてきたのは正解だったらしい。ピーク時に比べればそれほど人はいないけれど、何人かの観光客は冴くんの存在に気づいたようでちらちらとこちらに視線を向けている。すっかり失念していた。以前までもテレビや雑誌に取り上げられていたので、こういうことは度々あったけれど、今はもうあの比じゃないほど有名な存在なのだ。検索すればすぐに彼のネットニュースが流れてくるし、テレビでも彼の活躍は多く報道されている。
 色々変わったって聞いたけどどのへん? 再会した夜、メッセージでそう聞いてきた冴くんのために、今日は鎌倉を案内することになっている。午前中は駅周辺を回って、午後は海沿いのカフェでランチの予定だ。
 生まれてからずっと鎌倉に住んでいるというのに、案外小町通りに来ることは少ない。とくに高校に入ってからは放課後にそのまま東京で遊ぶことも多く、わたし自身鎌倉で遊ぶのはとても久しぶりのことだった。

「この辺りは前と変わってるんじゃないかな」
「覚えてねぇ」
「冴くん、昔からこの辺あんまり行きたがらなかったからねえ」
「人が多すぎんだよ」

 そもそも空いている時間があれば、ずっとサッカーしているような男の子だった。だからお互い鎌倉出身だというのに、こうして二人で小町通りを歩いたことはほとんどない。放課後もお休みの日も、暇さえあればいつも二人にくっついてサッカーを眺めていたから。
 ゆっくりとお店を眺めながら奥へと進んでいく。すると小さなお店がいくつか並ぶその先で、可愛らしい雰囲気のお店が目に止まった。ガラスアクセサリー。白地の看板には、店名と海の絵が描かれている。

「へえ、こんなところあったんだ」

 なかを覗くようにゆっくりと歩を進めると、文字通り、ガラスでできたアクセサリーが並んでいるのが見えた。 色鮮やかなそれらは、きらきらと輝いて美しい。

「見るか?」
「うーん、でも今日は冴くんを案内する予定だし……」
「別に構わねぇよ。好きなとこ見ろ」
「ありがとう」

 なかに入ってみると、入口では見えなかった部分までずらりとアクセサリーが並んでいた。透明なものから、赤、青、黄、緑。さらにはシーグラスも取り扱っているようで、さまざまな形に加工されたアクセサリーがたくさん並んでいた。普通のガラスと違い、白っぽいシャーベットのような色合いがとても可愛らしい。
 ここにあるアクセサリーは、全て鎌倉の工房で作られたものらしい。ひとつひとつ手作りのため、同じものがないのだとか。商品の隣にはアクセサリーを作るプロセスや、シーグラスの加工方法などが簡単に紹介されたポスターが貼られている。

「買うのか?」

 じっと見つめていると、隣にいた冴くんがわたしにそう言った。

「うん。ただどれにしようかなって。色もたくさんあるし、ネックレスとかブレスレットとか色々あって」

 ずらりと並んだそれらを眺める。すると一番奥まったところに、アクセサリーとは別にストラップやキーホルダーが壁にかけられているのを見つけた。色も形も、シンプルなものから可愛らしいものまでさまざまある。半ば引き寄せられるようにして、わたしはそこにたどり着いていた。

「……これにする」

 手に取ったのはシーグラスのチャームがついたキーリングだ。青と緑の中間。冴くんの瞳と同じ色。見た瞬間、これしかないと思った。

「それで、冴くんも持ってて」
「俺も?」
「うん。だめ?」

 シンプルな作りなので、男の子が持っていても違和感はないだろう。だめかな。すると彼は仕方ないといった様子で小さく笑った。

「いいけど、俺はこっち」

 冴くんが手に取ったのは、わたしのよりももっと青い、海の色。わたしは目の前で揺れたそれを見つめ、首を傾げた。

「うん、確かにこっちも綺麗。だけど、どうして?」

 群青色に近いけれど、周りが曇っているお陰でやわらかい印象を与えている。まるで朝の海みたいだ。そう覗き込んでいると、彼は「教えねぇ」とだけ言って、わたしの手からするりとキーリングを抜き取った。そうしてそのままレジのほうへ。わたしはしばし呆けたままその背を見つめ、慌ててあとを追った。理由くらい、教えてくれたっていいのに。

「冴くん待って、わたしも払う」
「いい」
「だめだよ。ちゃんと半分こしよう? それで二人で持ってるの」

 そう言うと、どうやら冴くんは諦めてくれたようでレジ前で半歩横にずれた。そのさりげない仕草が、わたしはとても嬉しかった。

◇ ◇ ◇


 念のため予約をしておいたお陰か、カフェの席は一番見晴らしのいい席だった。一番奥の窓際。本来ならテラス席がおすすめなんだろうが、今の季節では寒すぎるためか外にいるお客さんはほとんどいない。
 ガラス越しに海がきらきらと光っている。今日は天気もいいからか、サーファーも何人かいるようだ。

「お待たせしました。ランチプレートがひとつと、パンケーキがひとつです」

 ことりと目の前に置かれたパンケーキに、思わずわあっと声が漏れた。二枚重ねられたそれにはシュガーパウダーがかかっており、横にはクリームとシロップが添えられている。

「美味しそう〜。ここのはふわふわ系なんだって」
「ふわふわ系ってなんだよ」
「生地の種類だよ。あとはもちもち系とかしゅわしゅわ系とか」
「……へえ」
「もう……全然興味ないでしょ」

 冴くんはグリルチキンやサラダ、それ他のデリがいくつか乗ったランチプレートだ。ナイフとフォークを使い、綺麗に切り分け、口へと運んでいく。その一連の仕草が随分とスマートだったから、わたしは思わず見蕩れた。

「なに?」
「な、なんでもない」

 やっぱり海が似合うと思う。冬の海というよりかは、夏と秋の中間、それでいて夕方の海が似合うけれど。口から飛び出してきそうな胸のどきどきを押し込むように、パンケーキを飲み込む。ふわふわしていて、とびきり甘い。

「また顔がふにゃふにゃになってんぞ」

 むかしから、美味しいものを食べたときに冴くんから同じことを言われていた。ほっぺたが落ちる、なんて言葉があるけれど、ほっぺたどころか蕩けて色んなものが落っこちてしまいそうだ。前に凛くんには変な顔と言われたけれど。さすがにストレートすぎて、あのときはちょっと心にダメージを負った。

「だって美味しいんだもん。冴くんも食べる? あ、食事制限とかあるかな」
「いる」

 はいどうぞ、とお皿ごと渡そうとしたときだった。冴くんはわたしの手を取ると、操るようにそのまま小さく切られたパンケーキをフォークで刺して自らの口元まで運んだ。少し大きめのそれが、一瞬で彼の口のなかへと消えていく。

「……こんくらいでなに照れてんだよ」

 きっと今のわたしは目も当てられないくらい真っ赤だろう。そんなの、照れるに決まっている。けれども冴くんは平然な顔をして、ランチプレートの続きを食べ進めた。

「ばか」
「……」
「もう、じっと見ないで!」

 そのあとのパンケーキの味は、正直よく覚えていない。

◇ ◇ ◇


 先ほどのガラスアクセサリー屋さんでのように、気がついたら冴くんがお会計を済ませてしまっていた。しかも今回は払うと言っても聞かず、そのまますたすたとお店の出口へと向かってしまう。レジのスタッフに挨拶をしてから、慌てて後ろについていく。からん、と扉が開いたところで彼がくるりと振り返った。

「ん」
「ありがとう……あの冴くん」
「何度もうるせぇ」
「う……ご馳走様です」
「最初からそう言っとけ」

 彼が扉を開けてくれている横を通り抜ける。支払いのこともうそうだけれど、今日一日、ずっとこうなのだ。冴くんが扉を開けるときは必ずわたしを先に行かせてくれたり、車道側を歩いてくれたり、とにかく、数え切れないほどエスコートをしてくれている。しかもとても自然に。似合っているから、これがまた狡い。

「これがスペインパワー……?」
「なに言ってんのかはさっぱりわかんねぇけど、お前がアホなこと考えてるのはわかる」

 呆れた顔をした冴くんがわたしを見つめる。そうして彼は「少し歩くか」と言って、カフェを抜けて海のほうへと向かっていった。堤防の間を通り過ぎ、階段を降りていく。そこは少し急な段差になっていて、入り組んでいる。なんてことないように、彼は自然な流れで手を差し出した。海外に行くとみんなこうなってしまうのだろうか。あまりにも当然のようにそうするものだから、簡単にときめいてしまう。もしかしたら、向こうでは当たり前のことなのかもしれないのに。

「ありがとう」

 そっと手を乗せると、冴くんの大きな手に包まれる。ゆっくりと手を引かれるさまは、まるでお姫様にでもなった気分だ。とくべつだって思ったら、あとで後悔するだろうか。さりげないやさしさと気恥ずかしさに、とくとくと胸が鼓動している。同時にちくんの胸が痛くなったのは、見て見ぬふりをした。

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