こわれないことば



 いつか必ずその日はくるとわかっていたはずなのに、いざ目の前にしてみたら頭が真っ白になった。U-20 VS. 青い監獄ブルーロック。冴くんからその言葉を聞いたとき、彼は眉尻を下げてわたしを柔らかく見つめた。

「平気だ」
「……冴、くん」
「お前にそんな顔して欲しいわけじゃねぇ」

 ぽん、と頭の上に彼の大きな手のひらが乗る。そんな顔して欲しいわけじゃない。それはわたしだってそうなのに、こうして結局彼に優しく守られている。

「それって、わたしも見れるのかな」
「関係者席は取れるが……そもそも見れんのか」
「……見る」

 冴くんも凛くんも、どちらもずっと応援してきたし今でも応援している。だからこそ、その結果は見なくちゃいけない思った。怖いからといって見たくない部分から目を逸らすのは、今までの二人とわたしを裏切る行為だ。
 冴くんはわたしをじっと見つめたのち、「わかった」とだけ答えてもう一度頭を撫でた。視界に映った彼の服をちょこんとつまんでみる。どうしてだか、彼が遠くに行ってしまうような気がしたからだ。

◇ ◇ ◇


 今回の試合はニュースでも大きく取り上げられ、日本中、いや世界を含めた多くの人々が注目していた。チケットの倍率は驚くほど高く、映画館での生中継が実施されるほど。冴くんに頼んでいなければ、この試合は観戦できなかったかもしれない。
 試合の二時間ほど前。わたしは冴くんの指示通り早めに青い監獄ブルーロックのメインスタジアムに到着していた。どうやら今回用意してもらった席は青い監獄ブルーロック選手の関係者側とは違う場所にあるらしく、冴くん自身が席まで案内してくれるらしい。一人で大丈夫だよと一度は断ったのだが、強引に話を進められ今に至る。
 随分と辺鄙なところではあるが、建物自体はひどく大きく、壁にもBLUE LOCKと大きく描かれていた。メインスタジアムということは、凛くんたちの練習場所とは違うのだろうか。そうだったとしても、きっと練習場所も大きいのだろう。

「思ったより早かったな」
「冴くんが早く来てって言ったんでしょ」

 到着したことをメッセージで送ると、彼は五分もしないうちにわたしを迎えにきた。正面入口がどこなのかは分からないけれど、きっとここは裏口に当たるのだろう。あらかじめもらっていたチケットを警備員に見せ、中へと入る。

「ここが青い監獄ブルーロック……なんだかすごいね」
「随分と金かけてるっぽいな」
「冴くんは中見たことある?」
「いや、スタジアムまでとその周辺くらい」

 まっすぐと続く廊下にはいくつもの扉が並んでいる。全体図も現在地もわからないけれど、外見通りに中もおそろしく広いことがわかる。
 そうして長い廊下を抜け、いくつかの階段を上った先にある扉を開けると、広くて鮮やかなフィールドが見えた。ここが、今日の試合をする会場。ひゅうっと吹き抜ける風が頬をなぞり、髪を揺らす。
 まだぎりぎり一般入場を受け付けていないのか、会場内はほとんど人がいない。見えるのはフィールド内で確認を行うスタッフのみだ。

「なまえの席はそこ」

 冴くんはわたしたちがいるところよりもひとつ上に見える、ガラス張りの部屋を指さした。

「え、あそこ? い、いいのかな」
「糸師冴の関係者なんだ。当たり前だろ」
「全然どこでもいいのに」
「俺がよくねぇよ」

 そういって冴くんは近くの席に座る。まだ時間に余裕はあるらしい。釣られるようにしてわたしも隣に座り、フィールドを眺めた。

「応援してるね」

 今回の話を聞いてから、今まで言えなかった言葉だ。単純にタイミングを逃してしまったということと、それまでの覚悟が足りなかったから。冴くんはフィールドに視線を向けたまま、「言わねぇのかと思ってた」と答えた。

「迷ってたんじゃないよ。ただ、ちゃんと言いたかっただけ」
「別に疑ってねぇよ」
「とか言って、本当は言われるの待ってたんじゃないの?」

 するとようやく彼は視線をこちらに向けて、「かもな」と表情を緩めた。けれども次の瞬間には決意じみたものへと変わっていて、まっすぐわたしを射抜く。そうして静かにわたしの名前を呼ぶから、わたしは居住まいを正して彼の瞳を見つめた。凛くんと似た、少し緑がかった海のような青い瞳。それは光を反射して、きらりと瞬いている。

「目を逸らすな」
「……うん」
「ここでどんなことが起きようとも、それが答えだ。優しさだけで生きていけるような甘い世界じゃねぇ。俺のサッカーを見続けるってことはそういうことだ」

 忠告というよりも、どこか試すような物言いだった。このまま俺に着いてくるつもりはあるのか。そう言われているような気がした。

「うん」

 目を逸らさずにそう言った。ここに来るまで、たくさん悩んで考えたのだ。
 わたしは冴くんの、世界一のミッドフィルダーになるという夢へ走り抜けるさまを近くで見ていたい。たとえその道がどれだけ険しくとも、見たくない未来が待っていたとしても、彼が進むのなら、わたしも見なくてはならないと思った。彼の近くで応援するということは、そういうことだと思った。
 冴くんはほんの少しだけ顔を綻ばせて、「よし」と言った。そうして立ち上がり、わたしを見下ろす。

「俺らのこと、ちゃんと見てろ」

 まだなんにも始まっていないのに、なんだか泣きそうになった。つん、と鼻の奥が痛くなる。俺ら、なんて、そんなふうに言われると思っていなかったから。
 本当は、冴くん自身が一番凛くんのサッカーを待っているのかもしれない。わたしにはそう見えた。
 遠くから人声が聞こえてくる。どうやら一般入場が始まったらしい。すると冴くんはフィールドに視線を下ろして、真ん中のあたりを見つめた。

「行ってくる」

 うん、と返事をしたけれど、彼はこちらを振り向かなかった。鋭い視線に、冷淡な表情、とげとげしさまで感じる静寂な空気。まるで気持ちが切り替わったように彼は纏う雰囲気を変え、扉のほうへと向かっていく。
 どんな結果でも、まっすぐに受け止めること。
 冴くんの言葉を思い出しながら、わたしは扉が閉まる最後の最後まで彼の背中を見つめた。

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