君が連ねたひかりたち



 テレビや新聞、ネットニュースなどで青い監獄ブルーロックという言葉を見る機会が多くなった。反応としては賛否両論で、どちらかと言えば今はまだ批判の声のほうが目立っていう印象である。
 けれども世界で戦う冴くんにとってはいい印象を持ったらしく、ちょうど会見の様子を目撃したその日に急遽日本に留まると決めたようだった。当然取っておいた航空券はキャンセル。レ・アールの下部組織ではなくなったとはいえ、向こうでも彼のことを待っていたファンは大勢いたのでニュースではそれなりに大きく取り上げられたという。本人は大したことないように言っていたけれど、マネージャーさんはとても大変だっただろう。
 つまるところ、わたしがもう少し彼と一緒にいられたらな、という願望が思わぬ形で叶ってしまったというわけだ。


 大きなものや連日続く仕事が入っているとき以外、基本的に冴くんは実家に帰り過ごしているようだ。もちろん練習もしていて(彼にサッカーをしないという選択肢はない)、以前のように夕方一緒に帰ることもときどきあった。

「そういやこの駄菓子屋まだあんだな」
「ね、今どき珍しいよね。わたしもここ以外ほとんど見たことないかも」

 冴くんと凛くんが所属していたクラブチームの練習場から家に帰るまでのちょうど真ん中には、むかし三人で通いつめていた駄菓子屋がある。海の近くに並んでいて、冴くんは帰り道にいつも凛くんやわたしにお菓子を買い与えてくれていた。
 以前は毎日おばちゃん(以前からそう呼んでいる)がお店を見ていたのだけれど、最近ではそれも難しくなってきたのか、週に三、四日お店を開けている状態だ。その上ときどき、以前は見なかった男の人がお店に立っていたりもする。
 一部では昔ながらのレトロ感が珍しいと人気があるらしい。冴くんにも言った通り、この付近では駄菓子屋なんてほとんど見かけたことがないので、当時のまま残っているこの場所は希少なのだろう。
 冴くんはふらりとその駄菓子屋に立ち寄り、陳列されたお菓子を眺めた。カラフルなゼリーや小さなヨーグルト型のお菓子、それからフルーツ味の四角いゼリーのようなお餅も。わたしはしょっぱいものよりも甘いものが好きだったので、このあたりはとくに懐かしく感じた。

「今見ると安すぎてびっくりしちゃうよね。昔は大きくなったら、端から端まで下さい! って言うのが夢だったなぁ。あ、これとかすごい懐かしい」
「今なら土地ごと行けんな」
「いや端から端までの規模大きすぎ」

 そんな規模で買えるのは冴くんだけだ。これが冗談ではなく本当にできそうなのが彼の怖いところである。
 彼はおもむろにいくつかの駄菓子を手に取るとおばちゃんの元まで持っていった。なんだか意外だ。もちろんたまには好きなものも食べているのだろうが、それなりに食事にも気をつけているイメージがあったからだ。

「あらあら珍しい、お兄ちゃんのほうじゃない」

 一番奥の小上がりになった場所までたどり着くと、いつものおばちゃんは少しだけ目を見開いて驚いたような声を上げた。どうやら冴くんのことを覚えていたらしい。そうしてそのことに冴くんも驚いたのか、少し固まっておばちゃんを見下ろしている。

「……よく覚えてるな」
「年寄りだからって馬鹿にしないでおくれ。弟くんのほうはときどき来てたからね。最近はあまり見なくなっちゃったけど……でもまあこんなに大きくなって」

 おばちゃんは駄菓子を袋に詰めると、「今度また二人でおいで」と言った。わたしは少しだけ緊張して、彼のほうを見ることができなかった。

「そのうちな」

 想像よりも明るく、柔らかなトーン。それがなんだか嬉しくて、わたしの口角は自然と上がった。その未来を否定されなかったことが嬉しかったのだ。



「なまえ、ちょっとここ寄ってこうぜ」

 駄菓子屋のあとに冴くんが向かったのは、むかし一緒に遊んでいた公園だった。わたしは冴くんからもらったラムネの最後の一粒をぱくりと食べてから頷く。なんだか今日は懐かしい場所ばかりだ。
 近くに遊具がたくさん揃っている公園があるため、ここはいつも人が少ない。今日も公園内には誰一人もいなかった。彼は一番奥にあるベンチに腰を下ろす。わたしも彼に倣って隣に座った。

「俺のこと覚えてるなんて、あの店相当繁盛してねぇな」
「それくらい二人のことが印象に残ってたんじゃない? 週末は意外と人がいたりするよ」

 そう言うと冴くんは少し驚いたような反応を見せた。と言ってもそれほど表情には出ていないのだけれど。

「平日はそんなことないけどね」
「やけに詳しいな」
「まあね。最近はもうなかったけど、少し前までは凛くんと一緒に行ってたから」

 行かなくなったのは、一年前のあの日からだ。それまでは練習帰りに寄ったりして、こんなふうに公園でお喋りをしてから帰ったり、海を眺めていたりしていた。
 そうか。と冴くんはそれだけ言うと、おもむろに立ち上がって公園の隅まで歩いていった。そこには誰かが忘れていったであろう、汚れたサッカーボールがひとつ転がっている。彼はそれをとん、と足をくるりと回転させて上へと飛ばすと、数回リフティングをしたのちわたしの元にパスをした。ころころとそれは転がってきて、わたしの目の前でぴたりと止まる。
 まばたきをして、ゆっくりと冴くんを見やる。彼はわたしからのボールを待っているようだった。
 彼とこんなふうにボールを蹴るのは五年ぶりくらいのことだ。なんだか妙に緊張して、少しだけ脈が早くなる。
 とん、と蹴るとそれはまっすぐ冴くんの元に向かっていった。そうして彼はそれを受け止めて、もう一度わたしのほうへと軽く蹴る。何度かそれを繰り返すと、緊張よりも懐かしさのほうが勝ってじわじわと不思議な高揚感に包まれた。あのころの気持ちが蘇ったような気がしたからだ。彼のサッカーが大好きで、毎日遊ぶのが楽しかったころを。

「今のわたし、もしかしてすごく贅沢者?」

 冴くんのファンからしたら、きっと彼とサッカーをするのは夢みたいなことだろう。そんな彼がこんな小さな公園で、わたしのへなちょこボールを受け止めてくれている。
 すると彼は、静かにボールを止めてからわたしを見つめ、「そうかもな」と小さく笑いを零した。

「なまえが俺のことをそういうふうに見てたらやってねぇよ」
「そういうふうって?」
「新世代世界11傑のってこと」

 つまり、みんなが憧れる天才ミッドフィルダーの糸師冴として、ということだ。確かに冴くんはすごい。現にさっきまでは、あのボールを蹴ることに少し緊張もしたくらいだ。

「でもわたしにとっては、冴くんは冴くんだし……」

 弟思いで、優しくて、わたしの幼馴染であり大好きな人。きっかけは彼のサッカーに見惚れたからだったけれど、今ではそれだけじゃない彼の好きなところがたくさんある。
 たとえばもし彼がサッカーをやらなくなる、またはできなくなったとしても、わたしが彼を嫌いになることなんて絶対にないし、彼から離れることもないだろう。サッカー以外のことでも彼との思い出はたくさんあるし、それだけで繋がる簡単な思いじゃない。
 口ごもるわたしに彼は、「だからだ」と言った。そうしてゆっくりとわたしの元へと戻ってくる。

「俺も、お前にはそんなふうに見て欲しくない」

 ただの糸師冴として俺を見てろ。
 決して大きな声ではなかったけれど、その言葉はまっすぐに届いた。ひとつひとつに確かな重みがあって、胸に残る。まるで誓いを立てるような気持ちで、わたしは頷いた。

「帰るか」
「うん」

 家々の隙間から夕日が零れて公園に差し込んでいる。そのなかを歩く冴くんの背中を見つめていると、胸がぎゅうっと締めつけられて苦しくなった。

「なまえ?」
「あ、うん、今行く」

 冴くんがわたしのほうを振り向かなかったら、勢いのまま好きだと言ってしまっていたかもしれない。それくらい彼の背中は眩しく、そして寂しく見えた。

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