スパンコールを分解できない



 強化指定選手として選ばれた凛くんと凪くんと御影くんは、世界一のストライカーを育成するための施設でトレーニングのようなもの・・・・・を受けることになったらしい。というのも、詳細はまだ三人とも把握しきれていないようなのだ。先日の集会で伝えられたことはプロジェクトの内容──日本各地から選ばれた三百人のストライカーのなかから、たった一人、世界一のストライカーを作る実験をする。そうしてそれを求める者だけその施設に入れ、というものだったそうだ。御影くんの言う通り、本当に合宿みたいなものが始まったということだ。
 そしてその施設ではひたすらサッカーのトレーニングをするのだという。期間は未定。学校も休学。その上スマートフォンなども全て没収されるらしい。具体的なトレーニング内容までは聞かされていないけれど、そう簡単なものではないだろうというのは窺える。

「じゃあ連絡も取れなくなっちゃうんだね」
「まあしばらくは」
「そっかあ」

 つまり凛くんはもちろんのこと、凪くんや御影くんともしばらく会えなくなるということだ。とくに凪くんは学校生活内でも関わる時間が多いので、色々と変化がありそうだ。
 全ての話を凛くんから聞いたとき、まず初めに浮かんだのは、凪くん大丈夫かな、という心配だった。彼の面倒くさがり屋は一年以上見ているから、よおく知っている。それに、隙あらばゲームばかりするような子だということも。

「大丈夫かな……」
「はぁ? なんの心配だよ」
「あ、凛くんは全然心配してないんだけど」
「あ?」
「え、なに怖い怖い」

 ぎろりと睨まれ頬を抓られる。加減をしてくれているのでそれほどでもないけれど、痛いものは痛い。

「心配して欲しいってこと?」
「ちげーよ」

 じゃあどういうこと? と首を傾げると、凛くんは舌打ちをしてさらに鋭く睨んだ。冴くんもときどきあるけれど、凛くんはとくに視線で訴えかけてくることが多い。目で語ってくるタイプだ。ちゃんと言わなきゃわかんないよって、もう何回も言っているのに。

「頑張ってね」
「こんなのただの通過点だろ」
「うん。だから大丈夫だって思ってるよ」

 目一杯背伸びをして指先でちょこちょこと彼の頭を撫でる。身長差があるため、触れられるのが指先くらいまでなのだ。

「……やめろ」
「頬っぺ抓るのやめたらやめてあげる」

 そう言うと、凛くんはしばらく黙り込んだのちそっと頬から手を離した。すぐに手を離さないところが可愛いと思う。表情もほんの少しだけ和らいだような、どう反応していいかわからないといったような少しむず痒そうな顔をしている。それを言えば、せっかく良くなった機嫌がまた悪くなってしまいそうなので、本人には言わないけれど。

 そうしてその翌日、彼はのちに青い監獄ブルーロックと呼ばれる施設に向かったのだった。

◇ ◇ ◇


 凪くんと御影くんの休学については、サッカーの強化合宿という形で扱われているようだ。クラスメイトは「面倒事が減ったね」と言ったけれど、最近は御影くんのお陰でわたしが凪くんを連れて歩くことはなくなっていたし、習慣にもなりつつあったのでなんだか変な感じだった。むしろいつも机に伏して寝ていたあの白いお山が見えなくなって、ぽつん、と寂しさまで覚えるほど。


 冴くんの帰国日当日。今回は長く滞在するつもりもないから周りやご両親にも伝えてないと本人は言っていたけれど、規定により彼が一時帰国することはネットニュースなどに取り上げられているため、言わずとも耳に入っていることだろう。凛くんについては強化合宿中のため、そもそも連絡が取れない状況だ。


 一日の全ての授業が終了しホームルームも終わったあと、わたしはスマートフォンを取り出してメッセージアプリを開いた。六限目が始まる直前、ちょうど冴くんから無事帰国したとのメッセージが届いたのだ。既読をつけたままで返信をしていなかったので、おかえりなさいと打ち込む。

「なまえちゃん、今日は生徒会?」
「あ、ううん。今日は予定があって」
「そうなの? じゃあ一緒に校門まで帰ろうよ」

 このあとは渋谷で冴くんと待ち合わせをして、お茶をする予定だ。手早く荷物を纏め友人と教室を抜ける。この学校は礼儀正しく真面目な生徒が多いため、登下校時にはいつも挨拶が飛び交っている。普段はあまり話さないクラスメイトや名前も知らない他クラスの生徒でも、挨拶はしっかりとしてくれるのだ。とくに御影くんがいるときは、彼自身友人も多かったことから廊下に出るだけで色んなところから声がかかるくらい。ちなみに我が生徒会の会長もまあまあ人気があるため、隣を歩くときは結構大変だったりもする。

「マドンナだね」
「え?」
「ううん、なんでもない。それよりなんか校門のところ人集まってない? なにかあったのかな?」

 靴を履き替えたところで友人が指さすほうに視線を向けると、そこには確かに普段よりも賑わった様子の校門が見えた。誰かがリムジンで登校したり(御影くんなど)、有名人を引き連れていたりして(御影くんなど)、新年度のころはときどきあんなふうに人だかりができていたときもあったけれど、今は御影くんもいないしリムジン登校にも慣れてきたので(感覚がおかしくなっている自覚はある)それ以外のなにかがあったのだろう。
 人だかりは男女同じくらいの比率だ。輪になって留まっているわけではないけれど、なんとなくみんなある一部を避けるようにゆっくりと様子を見ているという感じ。少しずつそこへ近づく。するととある男子生徒が「あれって糸師冴だよな?」と隣にいる生徒に言うのが聞こえた。

「え?」
「どうしたの?」
「今糸師冴って」
「糸師冴? あのサッカーの?」
「多分……ごめん、ちょっと見てくる」
「え!? なまえちゃん?」

 生徒の間をすり抜けるように駆け足で校門に向かう。そうして校門前にたどり着くと、噂の彼は確かにそこにいた。
 大きな荷物などは見当たらないため、どこかに置いてきたのだろう。いつものあまり意味のない変装用サングラスに、ラフな私服姿。渋谷で待ち合わせって言ったのは冴くんなのに。すると黒いサングラス越しに、彼と目が合ったような気がした。

「ん、来たか」
「さ、冴くん! なんでここに」

 どうやら周りはわたしが話しかけたことに驚いたらしく、少しだけ辺りがざわめいた。同年代なこともあって、ほとんどみんな冴くんのことを知っているようだった。けれども当の本人は見られていることに興味がないのか、「なんでも」とわたしの問いに答えたのち、くるりと踵を返す。

「行くぞ」
「うん……あ、ちょっと待って」

 ちょうど後ろから追ってきた友人に手を合わせる。彼女は驚いたように目を見開いて、それから小さく手を振った。びっくりさせてしまったかもしれない。あとでちゃんと謝罪のメッセージを入れておこうと思う。

「友達?」
「うん。同じクラスなの」
「サッカーが上手いとかいうやつは?」
「凪くんのことかな? その子なら今凛くんと同じ強化選手の合宿みたいのに参加してるよ」
「ふうん」
「気になるの?」
「いや」

 鎌倉から一緒に帰ることは何度かあったけれど、学校から一緒なのは初めてだ。見慣れた通学路に冴くんがいるというだけで、なんだか不思議な気持ちになる。

「そういえばさっき言いそびれちゃったけど、おかえりなさい」
「ん、ただいま。場所、渋谷のままでいいか?」
「うん。大丈夫だよ」

 以前離れていたときよりも期間としてはそれほど長くないはずなのに、なんだか少し変わったようにも見えた。はっきりとは言えないけれど、前回再会したときよりも穏やかな空気感というか、余裕さというか、さらに大人びた雰囲気だ。とはいえ大きく変わったというわけではなく、本当になんとなくわたしがそう感じているだけなのだが。


 冴くんが連れてきた場所はホテルのラウンジのようなところだった。高校生くらいの人はわたし以外誰も見当たらなかったし、制服姿なので店内に入るまでは少し見られてしまったけれど、席は奥まった人の少ない場所を案内されたのでほっと胸を撫で下ろした。前回同様、当たり前のように彼がエスコートをしてくれたので、余計に視線を集めてしまったかもしれない。
 冴くんはちょっとお高い炭酸水、わたしはアイスティーレモネードを注文した。薄い黄色から琥珀色のグラデーションになったそれは、涼やかな色合いをしている。夏に飲んだらもっと美味しいのだろうなと思った。
 冴くんについて、ネットニュースでは規定により向こうのトップチームでの活動が難しくなったため帰国したと取り上げられているが、本人はパスポートの手続きのためだと言っている。彼は日本でサッカーをする気がないのだ。それは少し寂しい気もするし、もっと一緒にいられたらいいなと思うけれど、我儘を言って彼を困らせたいわけじゃない。そもそもわたしが我儘を言ったところで、彼はここに留まるなんて選択はしないだろうが。

「数日後にすぐ帰っちゃうんだよね?」
「元々パスポートのためだけだったからな。本当はもっと早く戻るつもりだったんだが」
「取材があるんだっけ?」
「ああ。明後日の昼に入ってる」

 からん、とストローでかき混ぜてから一口飲む。案の定爽やかなそれはほどよく甘くてとても美味しかった。思わず、んっと声が出て目を開くと、「お前そういうの好きだよな」と冴くんが零す。

「うん。これすっごく美味しい」
「そりゃよかった」
「冴くんも飲む?」

 彼はぱち、と一回まばたきをすると、なにか言いたげなまなざしでわたしを見やった。その瞬間、これってもしかしてまた関節キスになってしまうんじゃ、と気づく。けれども今更気づいたところですでに手遅れで、彼はわたしのグラスを掴みストローに口をつけた。案の定、恥ずかしくなって顔中に熱が走る。前回のパンケーキで学んだはずなのに。わたしのばか。

「……なまえそれ、俺以外にもやってねぇだろうな?」
「それって、」
「自分が美味いって思ったやつ人に食わせんの」

 狙ってやってるなんて思われたらどうしよう、と思ったけれど、どうやら杞憂だったようだ。グラスによって少し冷えた指先を頬に押し当てる。やっぱりすごく熱い。

「や、やってないよ。たまに凛くんとは半分こにしたりするけど」
「……」
「り、凛くんはよくない?」
「駄目に決まってんだろ」
「ええ……?」

 むかしはよく三人で分け合っていたりしていたのに。それに凛くんとシェアするときは切り分けたものを彼のお皿に運ぶことが多いので、冴くんのようなことにはならないのだ。

「逆に冴くんって誰かとシェアするときいつもこうなの?」
「こうってなんだよ」
「凛くんとはいつも切り分けたものをお互いのお皿に置いたりすることが多いから……」

 すると彼はしばらく間を置いたのち、「そもそも俺の周りでこんなことしてくるやつなまえくらいしかいねぇよ」と言った。ほっと、内心小さく胸を撫で下ろして、それからハッとする。以前彼と再会したときには見て見ぬふりをしていたけれど、いつの間にかわたしの感情は随分と大きくなっていたらしい。

「他の奴にはすんなよ」
「してないし、しません」

 こほん、と話を切り替えるように咳払いをしてから、グラスを引き寄せる。これからは気をつけよう。彼の視線が刺さるなか、わたしは心のなかでそう誓い爽やかなそれを飲み干した。

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