秘色を束ねて



「強化指定選手の選抜?」

 わたしがそう問うと、凛くんは「ああ」とだけ言ってわたしの目の前に一枚の紙を差し出した。内容は彼が言った通り、強化指定選手に選出されたことと、集会の日時が記載されている。差出人はなんと日本フットボール連合だ。

「え、これってすごいことだよね?」

 日本フットボール連合となれば、日本代表、ひいては世界に進出するチャンスにもなり得る。けれども凛くんはいつも通りのまま、ベッドの上で胡座をかいてテレビのリモコンを操作している。こういうのってもう少し喜ぶべきところではないのだろうか。

「全然興味なさげだね」
「詳細も書いてないのに素直に喜べるかよ」
「そりゃあ、そうだけど……じゃあ参加しないの?」
「参加はする」
「するんだ」
「見てみる価値はあるだろ」

 書面には新プロジェクトとも書いてある。つまり、その連合内でなにか大きな企画を立てているのだろう。結果的に彼の思う未来に繋がらなかったとしても、彼の言う通り見てみる価値はあるのかもしれない。

「集会って書いてあるけど、そのあと練習とかするのかな」
「さあな」
「どれくらいの人に送ってるんだろう」
「興味ない」
「全国からたくさん来るかもよ?」
「関係ない」

 あんまりだ。無視されていないだけましかもしれないけれど、もう少し真面目に答えてくれたっていいのに。じと、と恨めしい気持ちになりながら睨みつけると、青い瞳と目が合う。

「なまえ、映画見よ」
「ええ〜、ホラー映画でしょ?」
「当然」
「やだ、凛くんが選ぶやつ本当に怖いんだもん」
「怖くなきゃ意味ないだろ」

 そう言って凛くんはベッドの上をぽん、と叩いた。わたしは飲んでいたお茶を一口含んでからテーブルに置いて、いそいそとそこへ向かう。なんだかんだ言って、断れた試しがないのだ。

「そういえばさ凛くん、再来週なんだけど……」
「再来週?」
「……あ、ううん、やっぱりなんでもない」
「なに? ついにボケ始めたか?」
「全然違うし、わたしと凛くん一個しか変わらないから!」

 再来週、冴くんが一時帰国するらしい。
 そう言おうとしたけれど、やめた。もしかしたら知らないかもしれないし、言ったら確実に機嫌が悪くなるだろうと思ったからだ。それにその付近はちょうどその日本フットボール連合の集会がある。今はそちらに集中したほうがいいだろう。

「ってこれ、この間の続編じゃん! やだ。これすっごく怖かったやつ」
「だからいいんだろ。ほらさっさと見んぞ」

◇ ◇ ◇


「え? 強化指定選手?」

 まさかつい数日前に話題になった言葉を、クラスの教室で再び聞くことになるとは思ってもいなかった。その話をした張本人──凪くんを迎えに来た御影くんは、「ほら」とそれが正しいと証明するようにバッグから封筒を取り出した。彼と知り合ってから数ヶ月経つけれど、凪くん経由でそれなりに関わってきたため、以前よりもかなり打ち解けたと思う。
 目の前に差し出されたそれは、凛くんに見せてもらったのと同じものだった。差出人も同じく日本フットボール連合。御影玲王様、凪誠士郎様、と宛先が違うだけで、内容も全く一緒である。

「これってなにか詳細は聞いていないの?」
「これ以外はなんも。もしかしたら合宿とかあんじゃねーかなって俺は思ってる」
「合宿かぁ……確かに。もちろん御影くんは参加だよね?」
「当然! 凪は嫌がってたけど、無理やり参加で返事した」

 すると彼の隣に座る凪くんが「だって合宿とか絶対めんどくさいじゃん」とすかさず言葉を挟んだ。

「でもすごいと思うよ。サッカーを始めてからまだそんなに経ってないし、そもそも二人ともなんて」

 御影くんはきらきらとした目で「だよな」と頷いた。一方凪くんは興味なさげに「え〜」とスマホゲームをしている。なんだか反応が正反対だ。
 もしかしたら全国各地から選手を選出しているのかもしれない。そうなれば御影くんの言った通り合宿なども有り得るだろう。どれくらい招集しているかは不明だが、凛くんと二人が出会う可能性だってゼロじゃない。

「みょうじ、どうかした?」
「え? あ、ううん。もし合宿とかあったら学校とかも大変になっちゃうなって思って」
「確かに。まあ詳細はこの日に聞けるんだろうけど、もう少し教えといてくれてもいいよな」
「てかオンラインでよくない? 俺らだけじゃなくて全国から呼んでるなら絶対そっちのがいいと思うけど」
「それはお前が動きたくないだけだろ」

 各地から選出されたとしても、残るのはきっと極僅かだろう。凛くんも、目の前の二人も、上手くいけばいいなと思う。凛くんと冴くんには「ぬるい」なんて言われてしまいそうだけれど。


◇ ◇ ◇


 放課後、自宅に到着する時間帯は、ちょうどスペインにいる冴くんが朝の準備をしている最中でもある(夏時間になればまた少し変わってくるけれど)。基本的には夜に電話をかけることが多いけれど、冴くんが珍しく早起きをしたときには向こうからこの時間にかかってきたりもする。意外にも冴くんは朝が弱いのだ。

「でね、なんかその強化指定選手? みたいなものに選ばれたんだって」
「ふうん」
「白宝のサッカー部の子二人も選ばれててね、なんか大きなことをやるつもりなのかも」

 冴くんは小さな声で「今更日本のサッカーに期待なんかしてねぇけどな」と呟いた。いい意味で調和、悪く言えば突出した個性や能力を排除しようとする部分を、冴くんはむかしからよく思っていなかった。協調性というものは、ときに才能を殺してしまうからだ。

「そもそも白宝ってサッカー有名だったか?」
「それがね、その選ばれた二人がすっごく上手なんだよね。最近サッカー始めたばっかりなのに。二人が来てから試合もずっと勝ってて」

 つい先日も強豪校に勝利したばかりだった。最近では記事に取り上げられたりすることもあるらしく、御影くんが嬉しそうにスマートフォンを見せてくる。クラスメイトは凪くんのはずなのに、サッカーの話はほとんど御影くんから聞くことのほうが多かった。凪くんとは以前と変わらずサボテンの話をしたり、ゲームの話をしたりする。正直後者の話はあまりわからないけれど、凛くんがハマっているホラーゲームだけは話についていくことができた。凪くんは少し驚いた様子だったけれど。
 すると冴くんはわたしの話を遮るように「なまえ」とわたしの名前を呼んだ。

「うん?」
「お前、白宝のサッカー部にも顔出してんのか?」
「顔を出す、というか同じクラスでサッカー部の子がいるんだよね。訳あって色々話す機会が多くて……マネージャーに誘ってくれたりもして」
「……へえ」
「まあ結局断っちゃったんだけど」
「当たり前だ」
「凛くんと同じこと言ってる」
「……アイツと一緒にすんじゃねぇ」

 冴くんは少し低い声でそう言った。

「怒ってる?」
「……違う意味でな」
「えっ」

 自分で聞いておいたくせに、まさか肯定されるとは思っていなかったので少し驚いた。違う意味で、というのはどういうことだろう。するとしばらく沈黙が流れたのち、「お前もこっちに連れてくりゃよかった」と冴くんは小さな声でそう言った。

「な、なんの話?」
「なんでもねぇよ。そろそろ切る」

 時計を見てみればもう三十分以上が経過していた。スピーカー越しには、がさごそとなにかが擦れるような音が聞こえてきている。

「わかった。電話ありがとうね」
「ん。来週帰るから」
「何時ごろだっけ?」
「十三時とか、それくらい」
「そっか。じゃあお迎えはいけないかも。学校があるから……」
「別に構わねぇよ」

 物音がしばらく続いて、ガチャン、と扉が閉まる音がした。どうやら家を出たようだ。

「天気はどう?」
「今日は珍しく快晴」
「よかった。今日も頑張ってね」

 遠く離れていても繋がってるというのは、こういうことを言うのかもしれない。見送る、とはまた違うけれど、彼の一日の初めに少しでも話せるだけで嬉しくなる。冴くんもそう思ってくれているのか、スピーカー越しに聞こえた彼の返事はいつもより明るいトーンのような気がした。

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