少しだけ寝苦しさを感じ、なまえは瞼を持ち上げた。するとまず一番初めに見えたのは傷跡の残った肌色で、そのあとに感じたのはあたたかい体温だった。そういえば昨晩は彼の部屋で眠ったのだった、となまえは一人頭の中で数時間前のことを思い出す。結婚をしてからはもうほとんどXANXUSの部屋で過ごすことが多いが、以前と変わらず二人にはそれぞれ自室がある。その方が、何かと便利なのだ。
 XANXUSの腕はしっかりとなまえの背に回されている。そっと、幸せだなと感じた。何か特別な日でなくとも二人寄り添って眠り、朝目が覚めたら愛する人が目の前にいるという現実はなまえにとって幸福なことだった。身じろいだ時点で彼は目覚めているだろう。さらけ出された胸に額を寄せれば、案の定背に回された腕に力がこもる。ああ、本当に、なんて幸せな瞬間だろうか。

 特に大きな任務もない二人の日常は酷く穏やかなものだった。朝はそのままXANXUSの腕の中でのんびりとした時間を過ごし、朝食はその時によってとったり、とらなかったり。なまえが一人で眠る時は大抵翌日の朝から予定がある時で、XANXUSと共に眠る時は彼に合わせることが常だった。
 昼食は任務に出ていない幹部達ととることが多かった。もちろん、二人でとることもある。任務が重なりなまえが退屈そうにしている時は外で食べることもあった。退屈そう、というのも特別なまえがそういう態度を取っているわけではなく、XANXUSから見てそう感じた時だ。しかし帰宅する頃には毎度なまえはご機嫌そうにXANXUSと共に戻ってくるので 、その頃合いが正解か不正解はさておき、二人は定期的に外へと出掛けている。
 外へ出掛けない日は共に過ごしたり、各々別の時間を過ごしたり。今日はその後者だった。昼食後、XANXUSはスクアーロと共に任務の会議を行っている。会議、と言ってもスクアーロが一方的に確認を取っているだけだろうが、そのまま二人は執務室へと向かってしまった。残されたなまえとその他幹部達は食後のコーヒーを飲んでいた。ベルとフランは任務のため欠席である。

「え、貴方達まだ別々の部屋で過ごしてるの?」

「毎日ではないけど、たまに。ほら、任務とかある日とかはいない方がいいかなって」

 ルッスーリアは驚いたように眉を上げた。

「それはそうかもしれないけど……これからもずっとそのままのつもり?」

 二人が結婚してしばらくして。XANXUSやなまえを知る者からは当然二人の子を求める声も上がったが、それぞれの過去を知る者はほとんどその話題を口にしたことがなかった。そしてまた二人もそのような話題に触れたことはない。しかし月日が経つにつれ、どうしたって耳にする時もある。ルッスーリアは今後訪れる可能性のある未来に、そっと下から掬い上げるようになまえの顔を覗き見た。

「わかってるわ、ルッスーリア」

 ゆったりと雲が流れ、大きなガラス窓から陽が差し込む。カップの底に少しだけ残されたコーヒーがあたたかなオレンジ色に変わったような気がした。なまえは持ち手に指先を添えて、くるりと中身を一周させる。一瞬考え込むように瞼を閉じた姿は、ルッスーリアの瞳にはとても美しく、そして強く見えた。

「でも、いいの。わたしは……わたしたちは、今やっと優しくなれた気がするから。まだもう少しこのままでいたい」

「なまえ……」

「変化を恐れているわけではないけど、ほら、ザンザスさんわかってるのに全然振り向いてくれなかったから」

 レヴィとマーモンはなまえに視線を向けることなく最後のエスプレッソを飲み干した。そうして白いナプキンで口元拭いてテーブルの上に置く。なまえは一度視線を逸らしてから、「ね。」とルッスーリアにニコリと笑いかけた。

「む……」

「どうしたの? レヴィ」

 突然声を上げた彼になまえは少しだけ持ち上げたカップを元の位置に戻す。するとマーモンは席を立ってゆっくりと出口へと向かった。ルッスーリアは小さく笑いを零してから「そうだったわね、でも今の聞かれちゃったんじゃない?」と扉を見遣る。その頃には、なまえにも扉越しに感じる気配に気付いていた。

「ザンザスさん? 会議は?」

「終わった」

「……後ろからスクアーロ走ってきてるけど」

「知らねぇ」

 大きな扉の隙間から姿を現したXANXUSがなまえを真っ直ぐと射抜く。その奥からいつものように彼の名前を叫ぶように呼ぶスクアーロの声が聞こえた。いつもと変わらない日常。しかしなまえは固まったようにXANXUSから目を逸らすことが出来なかった。

「そういえばなまえ、この間行きたいところあるって言ってたじゃない。ボスに連れて行ってもらったら?」

「え、」

「私も気になっていたからお土産よろしくね。あの二人の分も」

 なまえは大きく振り返ってからもう一度XANXUSを見た。交わった視線に優しさは見えないけれど、恐怖もどこにもない。そうして無表情のままパイロープガーネットの瞳に見つめられた後、XANXUSは寄りかかっていた扉から距離を取って廊下を進んでいく。

「あ、待って……! ルッスーリア、じゃああとで」

「ええ、楽しんできて」

「うん、ありがとう」

 なまえが席を立って扉に向かって駆けていく。その後に続くようにレヴィやルッスーリアがダイニングルームを出た時、どこかやわらかな風が舞い込んだ。大空にはゆっくりと漂う雲が浮かんでいた。



Fin




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