道中の車内も、帰宅後の邸も、冷たい静寂に包まれていた。運転席にいた男性は殺されなかったことに今頃安堵しているかもしれない。二人には各自室があるものの、なまえはそのままXANXUSの後ろを着いて行った。後味の悪いまま、今日を終わりにはしたくなかったからだ。

「ザ、ザンザスさん」

「あ?」

「……ごめん、なさい」

 寝室に入るなり、なまえはそう呟いた。普段こそなまえは丁寧で腰が低い印象があるが、根はとても頑固だということはXANXUSも嫌というほど理解している。それはもう何年も前、XANXUSの隣にいたいという理由でこの恐ろしい男の前に何度も通っているからだ。なまえのことを昔から知り、少なからず気に入っていたとはいえ、あの時は彼なりに冷たく突っぱねたつもりであった。しかしそれでも彼女はここを訪れた。
 そんな彼女はいくら日本人で腰が低いとはいえ、自分の行いが正しいと思えば、それはそれで謝ることなどしないのだ。それ故に今までも小さなぶつかりはあったものの、なまえ自体それほど出過ぎた真似はしないことからそれがそれほど大きくなったことはない。今回もXANXUSにとっては確かに苛ついたものの、既になまえは手元に戻ってきているので彼の中で燃えていた炎は少しだけ収まりかけていたのだ。しかし彼女のその言葉により、再びそれが燻り始めてしまう。

「何に謝ってる」

 肩を少しだけ揺らしたあと、なまえはXANXUSを見上げながら、「勝手に、捕まったことです」と小さく呟いた。彼女にとって、あの女性を殺すことを止めさせたのは間違っていないと思っていたからだ。
 XANXUSの中で再び燻り始めたその炎を、なまえもしっかりと把握していた。自分を見下ろすその瞳はいつもよりもぎらぎらと鋭く、先ほどまで感じていた冷たさとは違った空気も流れている。なまえは思わずきゅっ、と自分の腕を抱いた。しかし、それがいけなかった。

「ひっ、」

 どさりと、背後にあったベッドになまえは勢いよく押し倒された。露出されたドレスを着ているため、シーツの冷たさに思わずびくりと肩が震える。それを恐怖と捉えたのかXANXUSは更に苛立ったように表情を歪めると、噛み付くように唇にキスをした。

「っ、ん……んんっ」

 怒りを煽ってしまったことに、この時やっとなまえは理解した。縋るようにXANXUSを抱きしめて、うわ言のように名前を呼び続ける。今ここで謝るのは違うような気がした。さらに彼の怒りを煽ってしまうのでは無いかと思った。
 怒らせてしまったことに反省はある。しかし、恐怖は無かった。それは今までXANXUSがなまえのことを大切にしてきたことを、彼女自身も理解しているからだ。なまえは自分の行いのせいでその怒りを増幅させ、今この瞬間こうなってしまったことに酷く申し訳なくなって、泣きたくなった。
 たった数時間のことであったのに、酷く長い夜であったのだ。そのためなまえもまた、XANXUSに会いたくて、触れたくて仕方がなかった。こんな状況ではあるものの、触れた部分から感じる彼の温度と安心する匂い。申し訳なさと、寂しさと、沢山の感情が体の中でぐるぐると渦を巻くように絡み合っていく。
 ぎゅう、と。目一杯の力をこめてXANXUSを抱きしめた。怒りに任せなまえを組み敷いていた彼は彼女のその異変に気付くと、動きを止めて彼女を見遣った。無理やり引き剥がすことも出来たが敢えてそれをせず、抱きしめられたまますぐ隣にある彼女の小さな頭に視線を向ける。触れた頬に、彼女の目尻から流れ落ちた涙がぶつかった。

「なまえ」

 彼女の啜り泣く音が小さく響く。動きを止めた時点でXANXUSの怒りは既に鎮火されており、問い詰めるように彼女の名前を呼ぶ。しかし、彼のことを抱きしめるその腕が動くことは無い。XANXUSは小さくため息をついた。

「なまえ」

「…………」

「さっさと言え」

「……ごめん、なさい……自分でやったのに、でもザンザスさんに会いたくて寂しくて、」

 やっと、XANXUSはなまえを引き剥がしその姿を見下ろした。泣きじゃくったその顔は丁寧に塗られた赤いリップも、瞼で瞬いていた煌めきも既に落ちかけており、目元を赤くしたあどけない姿の彼女がいる。
 ふん、と。XANXUSは小さく鼻を鳴らした。しかしその瞳は既に鋭さは消え失せており、彼がその時点で今回のことを許したのだと、なまえにもしっかりと伝わった。

「ひでぇ格好だな」

「っ、え、やだ、見ないでください……っ」

 ぐしゃぐしゃになって恥ずかしそうに手のひらで顔を隠そうとするが、もう今更だ。黒いイブニングドレスは既にXANXUSの手によって半ば脱がされかけており、白い肌がよく見える。小さな抵抗をするなまえの腕を取り、今度こそXANXUSは絡めとるようにキスをした。高い鼻がぶつかり、宝石のように赤く煌めく瞳が真っ直ぐとなまえを見つめている。そこには先ほどとは違った炎が燃えているようにも見えた。
 口付けられた瞬間に体が溶けていくようになってしまうのだからもう重症だ。自分に覆い被さるように上に乗るその重みですら、まるで寂しさを埋めるようで嬉しく感じる。

「ザンザスさん」

「なんだ」

 優しいのがいいです、と言おうとしたけれどやめた。我儘だと言われてしまいそうだとも思ったし、なにより今日はもう優しくしてくれるような気がしたからだ。

「ごめんなさい」

「……頭を使ってから動け」

「う……はい……」

 しかしその時のXANXUSの表情は普段よりもずっと穏やかであった。手首を取られ、その赤い血が流れる部分にそっとキスを落とされる。もしこれが過去のXANXUSであったならば、ここに歯を立てられていたかもしれない。しかしもうその鋭い牙は、なまえによって姿を見せることはなくなってきていた。

 翌日、隠しきれない場所にまで跡を残されていることに気付いたルッスーリアに、「あらあらあら!」と嬉々とした表情で問い詰められたのはまた別の話。



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