ほんの一瞬の出来事だった。瞬きをしたあとには、部屋は跡形もなく燃やし尽くされている。これでよかったのだろうかと、なまえは一瞬戸惑った。
「うっ、ふ……」
泣く声がして、なまえは後ろを振り向いた。見てみれば、赤いドレスを着た女性が、泣き崩れるように手のひらで顔を覆っている。なまえはズキンと心が痛んだ。
どんな悪でも、誰かの大切な人には変わりない。
今ここで言ってしまえば、おそらくXANXUSには鼻で笑われることだろう。甘い考えだということはなまえ本人にも分かっていた。
「あの、」
「触らないで!!」
パシン、と乾いた音が響いた。女性に手を伸ばしたなまえの手が、女性の手によって叩かれたのだ。左手がじんじんと痛む。女性は、キッとなまえを睨みつけた。
「あの男が死んで、悲しいわけじゃない。それに、貴女の手だけは絶対取らないわ!」
「……どうして、ですか」
やはり彼女はなまえに個人的な感情を抱いているらしい。それはなぜなのか。なまえには検討もつかない。
「どうして? 貴女、無害そうな顔をして案外性格が悪いのね……っ! その男に……愛する人を殺されたからよ!!」
女性は、今度はXANXUSを睨みつけながら声を荒らげた。その事実に、なまえは言葉が詰まる。なぜなら、絶対にないとは言いきれないからだ。そういう世界に彼女達はいる。
なまえは唇をきゅっと結んだ。何も、言えない。またXANXUSも同じように黙ったまま女性を見つめていた。
「何とか言ったらどうなの! 忘れたとは言わせないわ!」
そう言って彼女が告げた愛する人の名前は、やはりなまえには聞き覚えのない名前であった。そしてXANXUSも、眉ひとつ動かさなかった。単純にわざわざ殺す相手の名前を覚えていないというのも有り得るのだが、その後次々に彼女の口から零された愛する人の特徴を聞いても、何も反応をしなかった。
「数ヶ月前に暗殺された、そこそこ力のある幻術使い」
口を開いたのはマーモンだった。何か知っているのかとなまえが視線を向ければ、彼はあっけらかんと、「アイツを殺したのはボンゴレじゃない」と告げた。
「そんなの! 嘘よ! あの男が殺したのよ!」
「君はその現場を見たのかい?」
「私は見ていないけれど……さっき死んだばかりの男がそう言ったのよ」
「その幻術使いに、ボンゴレはあるものを依頼していた。というより、僕と共同してあるものを作っていた」
「それは……」
「何かを言うつもりはないね。しかしここから言えることは、ボンゴレはそれを未だ受け取っていない。数ヶ月前に連絡が途絶え、向かった頃には暗殺されていた……何が言いたいかわかるかい?」
「つ。そんな、それじゃあ……」
「もう一つ言うなら、その未完成のものが今日この屋敷で見つかっている」
女性もなまえもハッとしたように焼け野原と化した場所を見つめた。先程まで男がいた場所である。
「なに、それ……」
ぽつりと呟く声が聞こえると、女性は声をあげて泣いた。今まであの男の言葉を信じて行ってきたことが、全てあの男の思惑通りに使われていただけということになる。悲痛な叫びに、なまえは胸が苦しくなったのと同時に、彼女の愛する人を殺したのがXANXUSでないことに、内心ほっと胸をなでおろした。
「なまえ」
振り向いた瞬間見えたのは、黒く光る銃口だった。それはもちろんなまえにではなく、赤いドレスを着た女性に向けられている。
「ザンザスさん!」
「……邪魔だ」
「彼女はなにもっ」
「何も? 理由がなんであれ、行ったことは紛れもなくアイツらと変わりはしねぇ」
チャキ、と冷たい音が響いた。女性は零れる涙を拭うことなく、呆然と向けられた銃口を見つめている。
XANXUSは手を動かすことなく、銃口を女性に向けたまま。なまえも譲らぬように、銃口を握る手とは逆の手を取った。
大抵のものはその空気感に押しつぶされてしまうであろう。それほど、部屋の中には針を刺すようなチクチクとした空気が蔓延っていた。
「ボス〜? マーモンちゃん? なまえ? 終わった?」
その場に似つかわしくない声が響く。視線を向ければ、ルッスーリアがひょこっと、扉があった場所から顔を出した。そして事情を察したように、「あらあら」と声を漏らすと、「一度本部に連れていった方がいいんじゃない?」と声をかけた。
なまえはもう一度、ぎゅう、と力強く手を握った。ちらりとXANXUSの瞳がなまえを捉え、じっと見つめる。すると、暫くしてからXANXUSはすっと銃をしまうと、隊服をなびかせてそのまま部屋を出ていってしまった。
「そろそろ弟と跳ね馬が来るんじゃないかしら」
「……ルッスーリア」
「なあに?」
「ありがとう。助かったわ」
「これくらいお安い御用よ。それより、今夜あたり怒られるんじゃない?」
「う……そう、かも」
バタバタと遠くから走る音が聞こえてきた。おそらく綱吉達であろう。
終わったのだ、長い長い夜が。
なまえがふう、と軽く息を吐く。
全てが終わる頃には、随分と高いところから月が夜を見下ろしていた。