残照


 夏油以外だったら決して気付かないほど些細な変化ではあるが、クリスマスが近付くと五条の態度がほんの少しだけそっけなくなる。というよりも、どうしていいのかわからないように見える、と言った方が正しいだろうか。彼はとても器用な人間なので前世との分別はついているだろうし、本音を隠すことも得意なんだろうが、この日ばかりは茶化したり軽んじるように振る舞うことが難しいらしい。とは言っても他の人間からすれば普段と変わらないように見えるので、本人も無意識なのか、夏油が深読みし過ぎているだけなのかもしれないが。
 夏油にとってクリスマスイヴは、おそらく五条が想像しているよりも他と変わらない普通の日だ。現在の両親は共働きであるので三人揃って夕食を食べる機会が決して多いわけではないが、クリスマスイヴとクリスマスは揃って食べることが多かったように思う。毎年必ずケーキを切り分け、いつもよりも豪華な料理が食卓に並んだ。両親は前世の人とは違ったし、以前の自分が嫌っていた非術師ではあるけれど、嫌悪や憎悪の感情が向くことはなかった。もちろん前世の両親だって憎んでいたわけじゃない。ただ、そうしないと覚悟を決められなかったからだ。あの二人の少女たちを守ると決めた手前、自分だけが特別で安全であるだなんてあっちゃいけない。二人に寄り添うということはそういうことだと、夏油は思ったから。そのため反対に、今世の両親が前世の両親と同じ顔をして同じ名前でなくてよかったと思った。前世の両親は高専に入った夏油のことを常に案じていたし、愛情を持って育ててくれたと夏油自身わかって、どんなときだって憎んだことなど一度もなかったのだから。もちろん今世の両親だって、何事にも興味関心が薄く、甘えることが苦手な夏油のことを心配する様子は見せたものの、怒ったりだとか疑ったりだとか、そういうことは一切なかった。高校入試のときも夏油は一人で淡々と進学先を決め、受験勉強もそこそこに合格したが、二人は全てを受け入れささやかなお祝いをしてくれた。なので夏油はそんな心優しい今の両親に感謝していた。確かにあの日のこともあの瞬間のこともなにひとつ忘れてはいないし、今でもそれらを祓い取り込む夢や、右肩に違和感を感じる夢を見るけれど、だからと言って非術師を含めた人間を憎む理由にはならないし、クリスマスイヴをトラウマのように感じたこともない。
 今年のクリスマスイヴは日曜日だ。そういえばあの日もそうだったな、と夏油はぼんやりと当時のことを思い浮かべながら、購買で五条に買わせた焼きそばパンにかぶりつく。今年もあと一週間ほどで終わるというのに昼休みに屋上に行きたいと言った、五条の我儘に付き合ってやった対価だ。

「どうせだったら今日が終業式で明日から冬休みが良かったわ」

 五条はずるずると音を鳴らしながら紙パックのいちご牛乳を吸った。十二月二十二日金曜の本日、別の私立高校では翌日の二十三日から冬休みに入るところもあるらしいが、夏油たちが通う学校は土日を挟んで二十五日に終業式、そして二十六日から冬休みに入ることになっている。

「スケジュール的にも色々あるんだろ」
「んなのわかってるけど、土日休んでわざわざ一日だけ来るのも面倒じゃない? しかもクリスマスに」
「なにか予定でも?」
「ないけど」
「ならいいじゃないか」
「傑は?」
「私? 私もないけど」
「イブも?」
「……まあ」
「ふーん」

 意味深な返事をして五条は紙パックを握りしめる。以前だったら無限で親指サイズにまで小さくなっていただろう。彼はそれを白いビニール袋に入れて口を縛ると、スマホをタップしてゲームアプリを開いた。ふーんってなんだ、ふーんって。夏油は眉間に寄った皺をほぐすように指先で強く押してから、ため息をつく。人というものは生まれ変わってもそう簡単には変われないらしい。とはいえまるで別人のように素直になられても、それはそれで夏油自身も困るのだが。

「どこか行く?」

 夏油の問いに、五条は訝しげな顔を浮かべ振り返った。

「どこかって?」
「イルミネーションとか?」
「それ本気で言ってる?」
「いや冗談だ。流石にそれはキツい」
「冗談ならもっと笑えること言えよ。いいよ別に、去年だってよくわかんねー成り行きで海行く羽目になったし」
「それは君が行くかって言い出したからだろ」
「帰りも無駄に歩く羽目になったし」
「君が寝過ごしたからね」
「今年は山にするか」
「……いつもいつも脈絡がないな」

 冗談なら笑えるものにして欲しい。しかし今回の提案は本当に冗談だったようで「嘘だよ、嘘。ケーキ買って来いって言われてるから、適当にどっか行こうぜ」と五条は立ち上がり、白いビニール袋を手に取った。




 クリスマスイヴ当日。井の頭公園から徒歩五分ほどした古びた喫茶店にて、夏油はホットコーヒー、五条はホットコーヒーと三段重ねられたホットケーキを注文して休憩をしていた。ちなみに五条のコーヒーにはすでにいつつ角砂糖が入っている。
 昼過ぎに集合して、なにをするわけでもなく街をぶらぶら。しかし高校生ではあるが揃って前世の記憶を持っている以上、同世代と同じようにゲームセンターで数時間時間を潰すなんてことはする気にもならず、また駅付近は人が多いと予想できたので二人は公園の方まで下ってきていた。しかしさすがクリスマスイヴと言うべきだろうか。普段はそれほど人がいない第二公園の方までカップルに溢れていたので、小さな喫茶店に逃げ込んだのだ。思えば以前来たときは平日の雨の日だっためそれほどいなかったかもしれないと、もう五年以上前の記憶を振り返って夏油は思った。
 前世ではなまえともこの公園に訪れたことがあった。そのときはデートとかではなく任務で来たのだが、その内容が少し変わったものだったのでよく覚えている。確か公園内にある池にて、ボートに乗った男女二人が行方不明になったというものだった。大抵こういう場所ではボートに乗ると別れるなどの噂が流れるが、実際に事件が発生したのはこれが初めてだった。その上、そのとき乗車していたボートだけが数日後に突然戻ってきたというのがさらに謎を深めていて、今回呪術高専に依頼が来たということである。実際に行方不明になったのが男女二人、また窓や補助監督の捜査の結果呪霊の等級も高いのが予想されたことから、夏油となまえがあてがわれたのだ。結果的に言えば呪霊は準一級で任務も完遂できたのだが、それまでの経緯が面白かった。

「え、なに笑ってんの? キモ」
「ああいや、昔のことを思い出して……ずっと前、あの公園に任務で行ったんだ。なまえとね」
「……へえ」

 まずその二人が乗車していたボートというのが他のものとは少し違っていて、ピンク色のリボンがついたスワンボートだったのだ。そのときもなまえは少し戸惑っているようにも見えたのだが、特定の場所まで行かないと呪霊が発生しないことからしばらく漕ぎ続け、十五分後くらいに夏油がこう言ったのだ。「なんだか普通にデートしているみたいだね」と。

「そうしたら数分間隣で石みたいに固まっちゃって。まあそのあとすぐに呪霊は祓ったんだけど」

 予想よりもスムーズに終わったことから、そのあと少し公園内を散策したり街の方で甘味を食べたりと、最終的には夏油が言った通り普通のデートをしたのだ。しかし任務中に言った言葉が相当効いたのか、途中から彼女の挙動がいつもとは違っていて、夏油にはそれが面白くて可愛く見えたのだった。そこまでの話を夏油がぽつぽつと話してゆくと、五条はホットケーキの最後の一口を頬張った。

「……悟。あの日……私が死んで、なまえはどうしていた」

 その話題に触れたのはこれが初めてだった。去年、この世界で五条と出会ってから過去の話をしたことはあれどなまえの話題が出たことはなく、初めて出たのも今年の体育祭のときだった。お互い、触れないようにしてきた。まさか今世でなまえに出会うと思っていなかったし、夏油自身聞くのが恐ろしかったからだ。
 五条はホットケーキが乗せられていた皿を通路側に移動させ、ホットコーヒーを引き寄せるとわずかに沈黙した。喫茶店の店員が、一言申し出てから皿を下げる。カチャカチャと皿を洗う音が奥から聞こえてくると、ようやく彼は口を開いた。

「泣いてたよ」

 五条は当時を思い返すように目を伏せた。再び沈黙に包まれ、夏油も目を伏せる。なんとなく想像はついていたことでも、思わず言葉を失ってしまうほどの衝撃だった。

「なまえはあの日、京都にいた。七海から聞いた話だと、僕が連絡するよりも先になんとなく理解していたらしい。それから七海と歌姫に強引に新幹線に乗せられて東京まで戻ってきたけど、僕はすぐにお前の遺体を隠してしまったから、あいつは一度も見ていない。それでも僕が片付けを終えて戻ってくるまで、あいつはずっとその場にいた。あの馬鹿みたいに寒い、真っ暗なところでね」
「……」
「あんなに泣いてるなまえを、僕は初めて見た」

 しかし夏油には簡単に想像することができた。蹲って、堪えようのない涙を流し、嗚咽する姿を。

「それから多分、あいつは出張任務がない限りほとんど毎日通っていたと思うよ」
「……そうか」

 この痛みは負わなければいけないものだった。それから二人はホットコーヒーを飲み終えると吉祥寺駅付近でケーキを買い、それぞれの自宅へと帰った。ケーキを買うまでの時間、しばらくの間列に並んでいたけれど、なまえの話題はそれ以降上がることはなく、冬休みの宿題の話やお互いの家族の話などをした。五条家は毎年ブッシュドノエルではなく、普通のチョコレートケーキを食べるらしい。




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