ダンスホールは似合わないから

 ──シャンデリアの光が届くところへ

 スパークリングワインの泡を目で追って、それから視線を持ち上げると、一人の男がわたしを見下ろしていた。すらりとした体躯に、眩いプラチナブロンドの髪と涼やかな色の瞳。年齢はわたしと同じくらいだろうか。

「その方がきっと相応しい。こんな暗い壁際よりも」
「あ、ええと」
「ああ、突然すみません。君があまりにも綺麗だったから」

 戸惑いを表すようにヒールの音が小さく鳴る。その様子に男は視線を和らげ、伺うように上体を屈めながらわたしの手を取った。

「見ない顔だ。今日ここに来るのは初めてですか?」
「あ、はい……こういうところは、少し苦手で」
「それは勿体ない」

 眉目秀麗な顔立ちから大人びた雰囲気が漂っていたが、対話をしてみれば案外表情が豊かで若く見えた。僅かな緊張にシャンパンゴールドの波が揺れると、男は微笑みをたたえて、誘うように腕を伸ばす。

「すまない、遅くなった」

 こつりと耳触りのいい靴音が聞こえたかと思えば、背後から太陽の香りがやってくる。目の前に差し出された腕はぴたりと止まり、やがて元の位置へと戻っていった。

「ディーノ……」
「ごめんな」
「……まさかキャバッローネ十代目ボスのお連れ様だったとは……失礼いたしました」
「恥ずかしがり屋で、普段は言っても出てきてくれないんだ」
「それはそれは、やはり勿体ないですね」
「だろ?」

 ディーノがわたしの手を引くのと同時に、男は一歩足を引いた。朗らかな表情ではあるが、先ほどよりも幾分かぎこちなく見える。薄い会話だ。男からの意識が逸れたことにより、途端に気が緩んで二人の会話が右から左へと流れていく。
 気がついたら男は踵を返してホールの中心へと戻っていた。

「……助けたつもり? 頼んでないけど」
「そう言うなって」

 じとりと見上げれば、ディーノは困ったように眉尻を下げた。遠くに彼の部下も見えたので失敗の心配はしていなかったけれど、そもそも彼がここに来るとは思ってもいなかったのだ。

「流石に見ていられなかったんだ」
「余計なお世話」
「そうは言っても今日は乱暴なことはできないだろ?」
「いざとなったら陰でこっそりやるから平気」
「……明るい色のドレスを薦めるべきだったな」

 やれやれといった様子でディーノは大袈裟にため息をついた。薦められたところで選ぶはずもないし、汚すようなへまもしないけれど。
 パーティーが開始してからおよそ一時間近くが経過しており、会場内は華やかな景色が広がっている。すでにわたしの役目は終えているので本当はさっさと帰りたいところなのだが、待機の連絡を受けて待ちぼうけをくらっていたのだ。せめてもとホールの端に来たけれど、それもあまり意味がないようであるし……事情を知っているディーノが見かねてやってきたのだろう。

「予定ではそろそろだろ?」
「予定では、ね」
「なんだ、やけに勿体ぶるな」
「今回は違うからね」

 そう言うと、彼は不思議そうな顔をしてわたしを見やった。先ほどの男とはまた違ったタイプの美男だ。オレンジを切ったときの爽やかさととてもよく似ている。わたしはひっそりと息をついた。
 暗殺者にとって(ここで言う暗殺者とはわたしが普段関わっている身近な人たちだけを指す)暗殺とは、さして難しくないことだ。それが生業であるし、そのために訓練や鍛錬をしてほかよりも長けているからだ。
 今回わたしたちヴァリアーに回ってきた仕事は暗殺ではない。きな臭い別ファミリーの根源を叩くべく、このパーティーへの潜入、また取り締まるまでのサポートというものだった。人を殺しては駄目。向かってきた場合のみ対処する。あくまでも相手ファミリーのボスに接触するまでの支援係として呼ばれたわけだった。
 もちろんヴァリアー幹部のほとんどは任務を一度拒否した。けれど沢田綱吉は案外頑固で、結局こちらが折れる形となったわけだけれど。紆余曲折あり、隠密作業が得意なフラン、わたし、そして御守のベルに下ったわけだ。
 それにしても遅すぎる。予定ではすでに接触して途中経過の報告がくるはずだというのに……。こちらから呼びかけてもうんともすんとも言わないのだ。するとようやく小型無線機からフランの抜けた声が聞こえてくる。

「あー、あー、こちらフランー。なんだこれちゃんと繋がってんのかなー?」
「おっそい!」
「あ、繋がってた」
「いつになったら回収に来るわけ? ベルとも全然連絡つかないし」
「色々あって回収どころじゃなくなったんですよー。あの堕王子も予定全無視するし……あ、そこのホール、危ないので離れてたほうがいいですよー」

 ──向こうさんがキレ始めて、下でドンパチ始まっちゃったんでー

 言い終える前に、劈くような爆発音がホールを襲った。下から突き上げるように地面が揺れて、壁や床に亀裂が入る。そういう報告は先にしろと何度言えばわかるのか。わたしが走り出すのと同時に、ディーノはロマーリオを呼びつけた。

「俺は他の奴らを避難させる!」
「どうぞご勝手に!」

 相手側が反発して、と言っていたけれど、それだけではここまで大きな騒ぎにはならなかったはずだ。ため息をつきながら音のするほうへ向かっていく。すると爆発により抜けた床穴から突如、間抜けな蛙と愉快そうな奇人が姿を現した。

「お、みーっけ」
「ちょっと! 全部めちゃくちゃじゃない!」
「しょうがねーじゃん。向こうが先に一発ぶち込んで来たんだから。向かってきたら対処する。相応の対応だね」

 がらがらと崩れ落ちていく壁やシャンデリアの隙間を駆け抜けながら、ベルは少しも非がないといった態度でそう言った。こうなる未来が予想できたから参加したくなかったのだ。さくっと終えてさくっと帰れるはずだったのに。

「やっぱパーティーはこうでなくちゃな」
「定番みたいに言わないでよ。面白くないから」
「でもあんなクソつまんねーやつよりかはマシだろ?」
「全っ然マシじゃない!」
「ちょっと先輩もっと早く走ってもらえませんかー? 出口にたどり着く気配ないんですけどー」
「ああもうわかってるわよ! ドレスが邪魔なの!」

 いっそのこと裾を千切りたいくらいだ。ピンヒールもバランスが取りづらく、普段よりも上手く走れない。
 不意に、頭上から影が降ってくる。剥がれ落ちた天井がわたしと先頭を走るベルのあいだに落ちてきたのだ。床はすでに酷く荒れていて、落ちれば完全に地下まで底が抜けるだろう。ただでさえ走りづらいのに足場がないのは困る。わたしは炎の弾丸を一発そこに打ち当てた。
 的が大きかったためそれは当然被弾し、天井だった塊が粉々に砕かれた。ひゅうっと背後でフランが口笛を吹く。わたしは追ってもう一発前方に銃弾を放った。

「……てんめぇ、今のは関係ねぇだろ」
「違うわまだ邪魔なのがいたの」
「せんぱーいもう一発お願いしまーす」
「お前は黙ってろフラン」

 くるりと振り返ったベルは明らかに怒りを露わにし、ナイフを構えながらこちらに近づいた。せっかく出口に進んだのに戻ってくるんじゃない。さっさと前を走ってくれと手で払えば、彼はさらに怒った様子でナイフを投げつける。

「ちょっ、と! 今バランス取りづらいんだか、らっ!?」

 頬の横を鋭利なナイフが滑った瞬間、遠くで爆発音がして地面が揺れた。ぐらりと体が傾いて、細いヒールが足場を滑り、ぽきりと折れた音がした。思わずひやりと緊張が走る。

「っ……!」
「……セーフ」
「え、フラン…………どういう風の吹き回し?」
「助けてあげたミーが馬鹿でした」

 粗雑な担ぎ方ではあるが、助けられたのには間違いなかった。捨てられそうなモーションに慌てて謝罪をする。

「というか先輩重!」
「いやあんたいかにも担いでる風を装ってるけど幻覚使ってるでしょ。失礼ね!」
「ああもう助けてあげたのに文句は言うしうるさいし本当この人やだなー」

 ──ベル先輩どうにかしてくださいー

 抜けた声でそう言ったかと思えば、フランは腕を振りかぶってボールのようにわたしを投げた。わたしを投げた。まるで重力などを無視して、ぽーん飛んでいく体。そして前方、ベルのほうまで飛んでいき、嫌な顔をされながらキャッチされる。

「まじで重」
「本当あんたたちって失礼ね」
「ていうかなんで靴脱いでんだよ」
「……最悪裸足で走ろうかと」
「フランに幻覚作ってもらうとか色々あんだろ」
「……確かに」
「ししっホント頭悪っ」

 少しだけ苛ついたがここで文句を言えば本当に捨てられかねないので口を噤む。裸足でも走れるけれど、運んでもらえるのならぜひ運んで欲しいところだ。とにかくドレスが邪魔で邪魔で……。

「ベルのナイフでこの裾切ってくれたりしない?」
「本当お前、品ってモンがないね」
「いやベルに言われたくないし、ここまでぼろぼろになってたら今更でしょ」

 そう言うと彼は「確かに」と笑った。けれどわたしの要望を聞き入れる気はないらしい。フランと同様、ぞんざいに担いだまま出口へと向かっていく。

「ねえ、ベルってこういうパーティーよく出てた?」

 煌びやかで華やかな光景を思い出す。今は瓦礫と化して見る影もないけれど、つい先ほどまでここにあった景色だ。完璧で、眩しい夜。王族だった彼なら、きっと日常的なものだったかもしれない。
 ベルは少しの間を置いて、「さあね」とだけ答えた。

「あー……誘ってもらえなかったんだ」
「気が変わった。裾ごと両足切ってやる」
「ごめんなさい許してください」

 ふわりと体が浮いたかと思えば、どうやら窓枠に飛び乗ったようだった。そしてホールを抜け出して闇夜に飛び込んでいく。とんだ一日になってしまった。けれどあの煌びやかな時間よりも、今のほうがずっと馴染みがあってずっと居心地がいい。

「ディーノに言って、ドレス姿の写真撮ってもらえばよかった」
「帰ったら撮ってやるよ」
「こんなぼろぼろの姿じゃなくて!」
「うししっお似合いだぜ?」
「本当あんたってむかつく奴ね!」

 それなりに気に入ったドレスを選んだというのに。けれどもあの姿をお似合いと言われるのも違う気がして、というよりもそんなことを言われたら寒気がしそうだったのでやっぱりこのままでいいのかも、なんて思ったりもしたり。


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