祈ったり願ったりする時間

 プレゼントになにが欲しいのかと聞くと、彼は頬杖を付きながら、ん〜……と勿体ぶったように声を漏らし、散々悩んだように見せかけて最後には、「お前」と悪戯な笑みを浮かべてそう言った。

「冗談で聞いたのではないですよ」
「オレだって冗談で言ったわけじゃねーぜ?」
「ならば真面目に返答させていただきますけど、わたしはとうにジル様のものだと思っておりましたが」

 するとジル様はうしし、と笑みを零したのち、「そういうんじゃねぇんだけどな」と体を窓の方へと反転させた。外はしばらく前から雨が降り始めていて、窓ガラスを濡らしている。

「大体、なんでお前がオレの誕生日を知ってるわけ?」
「オルゲルトさんから聞きました」
「……あいつも余計なことを言いやがる」
「たまたま、何気なくわたしが聞いただけですよ」

 ジル様の誕生日を知るものなど、ミルフィオーレにはほとんどいないだろう。このファミリーにわざわざ誕生日を祝う習慣などないし、彼自身オルゲルトさんとわたし以外の部下と仕事以外の話をしているところなど見たことがない。

「そもそもお前がオレの誕生日を知りたがっていたことに驚いたな」
「わたしの誕生日にわざわざ休暇を贈ってくださったでしょう? わたしが可能な範囲で、になってしまいますが、なにかお返しできればと思ったのです」
「絵に描いたような真面目チャンだな」
「上司思いの部下だと言っていただきたいです」

 やわらかなソファに身を沈めるように深く腰掛けたジル様が、窓を見つめたまましばらく黙り込んだ。考え直してくれたのだろうか。と言いつつ本当は、彼がこのあとに告げるであろう言葉をわたしは知っている。

「別になんも要らねぇよ」
「よろしいのですか?」
「好きじゃねぇんだよ。その日は」
「……」
「いや語弊があるな。その日になると思い出したくねー奴まで浮かんでくるから別になにもしなくていい」

 なんかムカついてきたな、とジル様は舌打ちを零した。彼が舌打ちをすることなんてしょっちゅうなので今更どうとも思わないけれど、今回だけは少しだけ申し訳ない気持ちになった。彼がこうなることを、わたしはしっかり予測していたからだ。
 ジル様には、双子の弟がいたらしい。らしいというのは人づて、オルゲルトさんから聞いた話だからだ。しかもその弟君は現在ボンゴレの暗殺部隊、ヴァリアーに所属しているのだとか。血は争えないのだな、と思ったのは記憶に新しい。
 オルゲルトさん曰く、ひどく仲が悪かったらしい。喧嘩などしょっちゅうで、大人でも手が付けられないほどの騒ぎになったことは一度や二度ではなく、結局その延長線でジル様は殺されかけたのだとか。卑怯な手を使われて、と言っていたが、具体的にどんなことをしてどんなことをされたのかは聞いていない。
 ミルフィオーレに入ったきっかけは、その死にかけたところを白蘭様に救われたからだという。そして、その敵でもある弟君を殺すため。確かに殺したいほど憎んでいる相手と同じ誕生日だったならば、良い気分がしないのも無理はないと思う。
 そう言った理由で、ジル様は毎年誕生日を祝われることをあまり好まないそうだ。オルゲルトさんでさえ、当日の朝に一言祝い言葉を述べるだけで特になにもしていないらしい。イタリアでは自ら誕生日パーティーを開いたりもするが、嫌いだと言っている彼が行うはずもない(そもそも彼はイタリア人ではないのでその習慣すらないだろう)。そして無論、他の人間がわざわざ祝うわけもなく……毎年あっさりと彼の誕生日は過ぎていく。

「そのようでしたら、当日はいつも通りにさせていただきます」
「ああ」

 結局ジル様はこちらに向き合うことなく、最後まで窓を見つめたままだった。わたしはトン、と書類をまとめてから彼に一礼して出口へと向かう。

「わざわざ回りくどいことして、なにを確かめたかったんだ?」

 ドアノブに手をかけた瞬間だった。わたしの背中に、そんな言葉が投げかけられた。振り返れば、ジル様はほんの少しだけ冷たい空気を纏わせて、しっかりとわたしを見つめていた。
 オルゲルトさんに聞いた時点で彼が知っているのは想定内だ。別に知られたところでどうということはない。わたしはもう一度深く頭を下げて、執務室を抜けた。


* * *


 今一度ジル様になにか贈れるものはないかと考えてみたけれど、めぼしいものはなにひとつ思い付かなかった。特別あっと驚くようなものでなくてもいいはずなのに、だ。単純に、わたしは彼のことを知らなすぎるのだと思う。好きなもの、好きなこと。些細なことだけれど、それすらもわたしは知らない。どちらかと言えば嫌いなものの方が知っているのではないだろうか。低位の者。生意気な奴。夢を語る人間。雨上がり。舌が痺れるほど辛いもの。夏。走ること。エトセトラ。彼の近くで働くようになって、長いとは言えずとも短くもない期間が経つというのに、こんなことくらいしかわたしは知らなかった。

 ジル様の誕生日当日。宣言通り、いつもと変わらぬ朝を迎え、あっという間に午前中の仕事が終了した。もちろん、ジル様やオルゲルトさんもいつも通りのままだ。
 午後は別の仕事があるため、本部まで出向かなければならない。予定では明日の夕方ごろに終わるらしく、今晩は向こうで泊まることが決定していた。
 午前中に纏め終えた書類をジル様に提出するため、執務室へ向かう。恐ろしい勢いで電子化が進んでいるが、古い記録は未だ書類を漁らなければならないことも多いため、そういうものはわたしが請け負っているのだ。
 トントン、と執務室の扉をノックする。しかしなかから返答はなく、しんと廊下は静まり返っていた。どうやら一足先にお昼に向かってしまったらしい。そもそも時間通りに彼が動くはずもないので、お昼に向かったかどうかもわからないが。
 本来ならば出直すべきだろうが、生憎今日の予定は詰まっている。大抵彼の執務室は鍵などかかっていないため、わたしは少々後ろめたい気持ちになりながらも扉を開けた。ジル様がいないだけで執務室はがらんとし、どこか古びた印象を受ける。普段彼がいるときは格式高い印象を受けるというのに、不思議なものだ。
 大きな書斎机には彼が普段使っているパソコンやタブレット、それに何冊か積み上がった本が置かれている。その横には美しく整えられ、艶さえ見えるほどの綺麗な羽ペンが置かれていた。
 時間は差し迫っているため今日はこのままジル様に会わずに終わるだろう。書き置きでもしておいた方がいいかもしれない。こういうとき、紙の書類でやりとりするのも悪くないなと思える。ボールペンや付箋など、今どき持ち歩いている人間などそうそういない。
 頼まれていた仕事が終了したこと、午後は本部に向かうことを簡潔に書き記す。あらかじめ午後の予定は連絡済みなのでわざわざ書かなくても平気だろうが、報連相は大事である。
 そうして最後、しばし悩んだのちわたしはとある一言を添えた。暗に余計なことはするなと言われたけれど、したからといって怒られることもないだろう。それに、先に冗談を言ったのは彼の方だ。


* * *


 結局本部での仕事は夜遅くまでかかってしまった。すでに時刻は夜二十三時を過ぎていて、あと数十分で今日が終わる。
 本部には空き部屋がたくさんあるらしいのだが、なんだか休まるような気がしなかったので今晩はホテルを予約している。「泊まっていけばいいのにー」と白蘭様は仰っていたけれど、貴方が一番恐ろしいのですよとは流石に言えなかった。
 ぶ厚い雲の切れ間からは小さな星々が見える。ジル様はあのメモを見てどう思われただろうか。もしかしたら呆れているかもしれない。
 すると不意に端末が小さく震えた。プライベート用のものだったので、わたしは少々驚いて足を止めた。この端末に、ましてやこの時間連絡が来ることなんてほとんどないからだ。
 そうしてわたしはまたしても驚いた。なんと着信相手がジル様だったのだ。プライベート用と言いつつ上司の連絡先が入っているのなら、分ける必要などないのではないかと思われるかもしれないが、この端末の番号を知っているのは同業者のなかではただ一人、彼だけである。

「っは、はい、なんでしょう」
「随分慌ただしいな」

 ジル様はひどく落ち着いたトーンでそう言った。わたしは一度謝罪をしてから深く息を吸った。

「なにか、ございましたか?」
「とぼけんなよ。わかってンだろ?」
「……」
「貴方が生まれた素晴らしき日に感謝を。心はいつまでもお傍に、ねぇ……? 熱烈じゃねぇの」
「大変、失礼いたしました……」

 わざわざ言葉にされると激しい羞恥心に襲われた。柄にもないことをしたためたのは自覚済みである。怒っているのかからかっているのか、スピーカー越しではわからなかった。

「冗談にしちゃあ、ちょっと寒すぎるな」
「冗談で言ったつもりは……ありません」

 ジル様はいつもの笑い声を零した。しかしすぐに声は止んで、沈黙が流れる。わたしは思わず唾を飲み込み、端末を強く握りしめた。

「はいはい今日も真面目でごくろーさん。じゃーな」
「あっ、あの、ジル様」
「……んだよ」
「あ、えっと……なんでも、ございません……」

 つい引き止めてしまったことに恥ずかしくなって尻すぼみになっていく。ジル様の意図が読めない。どうやらわたしはこんなとき、案外人並みに緊張するらしかった。

「ホームシックか?」
「……そうかも、しれません」
「お前がか。そりゃあ面白い」
「引き止めてしまい申し訳ございません。明日の夕方にはそちらに戻ります」
「白蘭様に失礼のないように」
「心得ております」

 今度こそ、プツ、と通話が切れる。時刻は零時を過ぎて、日付が変わっていた。目を閉じて、そっと息を吐き出す。どうやら彼の、いいやわたしのかけがえのない一日は幕を閉じたらしい。


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