その世界は恋を知らない

 沢山の花が植えられていた。ピンクも、白も、黄も、青も、紫も。沢山の色がそこにあった。

「ジール!あーそぼ!」

「お前、また来たの……?」

「もう!嫌そうな顔しないで!」

 彼のところほど大きな城では無いものの、私は綺麗なお城で暮らしていた。
 数えきれないほどの部屋。中庭には大きな噴水と、毎日庭師に手入れをされた美しい花達が咲き誇っており、私はそこで少しずつ花を分けてもらっていた。
 毎日でも彼に会いに行きたかったけれど、それは叶えることが出来なくて、会いに行ける日にはいつも譲ってもらった色とりどりの花を持って彼の元へと向かっていた。
 彼にはベルフェゴールという弟がいた。しかし三人で遊ぶことは殆ど無かった。なぜなら彼等はとても仲が悪かったからだ。きっかけはもう覚えていないが、何故か私はいつもジルばかりと遊んでいて、そしていつしかジルと会うためにこの城まで遊びに来ていた。

「はい、お土産」

「まーたこれかよ、いらねー」

「またそういうこと言う……」

「だってオレんちにだって咲いてるし」

 一度だって花束を喜んだことは無かったが、それでも必ず毎度私の手から受け取ってくれていた。自分勝手で、横暴で、好き嫌いがハッキリとしている人ではあったけれど、追い返されることは一度も無かった。
 平和だったと思う。口は悪かったけれど、いつだって隣にいることを許されていたし、他の人よりもほんの少しだけ私には優しかった、と思う。彼は何でもそつなく出来るタイプの人間であったので、よく馬鹿にされてはいたが。

「お前、何でいつもここに来んの?」

「え……?うーん、何でだろう」

「わかんねーのかよ」

「会いたいから、じゃ駄目なの?」

 沈黙がやけに長く感じたのを覚えている。前髪のせいで見えないが、きっと何度も目を瞬かせているのだろう。何を考えているのかは分からない。彼は頭が良かったから、私が想像つかないところまで考えて、そして気付いていたように思える。
 駄目じゃねえけど。と、珍しく口ごもった。また暫く沈黙が続いて、そのあと大きく溜息をついたかと思えば「はーー馬鹿みてぇ」と、小さく呟いたのが聞こえた。馬鹿?え、それって私のこと?なんて考えていると、ジルはガシガシと頭をかいて、一歩私に近付いたかと思えば、聞こえるか聞こえないが絶妙な声音で何かを呟いた。

「え?」

「っから!明日は来れんのかって」

「明日?多分……大丈夫だと思うけど、なんで?」

「理由なんかねーよ」

「もしかして、ジルも私と会いたいって思ってくれた?」

「…………」

「え?!ほ、本当に……?!」

「おま、声がでかい!うるさっ」

「行く!絶対行く!」

 両手で耳元を塞いだジルは睨み付けるように私の方を見遣った。瞳は見えないけれど。

「明日も沢山のお花持ってくるから!」

「それはまじでいらねー」

 つい先程までのしおらしさは何処かへと飛んでいってしまったようで、いつも通り彼は私を追い払うようにシッシッと手のひらを払った。しかし、今更そんなことをされたって私の気分は最高に良かった。また少しだけ彼となかよくなれたことを嬉しく思い、早く明日が来ないかなだなんて、まだ帰る前なのにそんなことを思っていた。
 あの時は本当に幸せだったのだ。







 ハッとして目が覚めた。全身はぐっしょりと汗をかいており、心臓はどくどくと大きく音を立てている。気持ちが悪い。そう、気持ちが悪かった。
 しかし、夢で見た景色は幸せなところで止まっていた。むしろいい夢だと、気持ちが良かったと言っても間違いでは無いだろう。けれどあの後どうなったのかを、私は知っているのだ。
 色とりどりの花の色もわからない。全てがモノクロに映っていて、唯一分かる色は鮮やかな赤色だけであった。傷だらけの彼。隣に立ち尽くしていたのはよく似た顔の弟。その手には刃物が握られていて、辺り一面赤色で覆われていた。

「うっ、」

 もう何年も経っている筈なのに私は未だあの過去を消化出来ていない。グロテスクな光景に心臓を抉られたようなショックが無かったかと問われれば嘘になるが、それよりもただただ悲しかったのだ。そして。

「仲のいい友達だなんてもう思っていないよ、ジル。失ってから貴方のことが好きだって気付いてしまった」

 頭の良い貴方はきっとあの時から気付いていたのかも知れないね。自分自身ですら理解していなかったこの恋心に。
 私が見た夢はとても幸せな夢であったかもしれないけれど、そこに恋はまだ存在しなかった。
 どんなに辛い夢だとしても、見たくないだなんて一度も思ったことは無い。忘れてしまうことが一番悲しいのだから。


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