ストロベリーレッド

「まさか、こんなに時間が掛かるだなんて」

 舗装が幾分か劣化した道路を走る高専の車は、がたがたと音を立てて夜道を抜けていった。すでに疲労はかなり蓄積されていて、この揺れがなければ暖房の効いた車内ではあっという間に寝てしまいそうになるほど。隣に並ぶ夏油くんが小さく頷いた。

「呪霊自体は大したことなかったけどね。見つけるまでの方が長かった気がするよ」
「せっかくのクリスマスだったのに……」

 はあ、と思わず大きなため息をつくと、運転をする補助監督が「本当にお疲れ様でした」と労るようにバックミラー越しにわたしたちを見やった。とはいえわたしたちと同じ時間任務に当たり、さらには運転までしてくれているのだから(寧ろ事前調査等を含めればわたしたちより長いだろう)彼だって同じ気持ちのはずだ。わたしは申し訳なくなって小さく頭を下げた。
 世間ではこの二日間、クリスマスとイヴを大いに楽しんだことだろう。幸いどちらも天気がよく、ニュースで都内のイルミネーションスポットに中継が繋がったときには、多くの人で賑わっている様子だった。
 突然舞い込んできた任務がなければ、みんなでクリスマスパーティーを行う予定だったのだ。夏油くんの部屋に集まってチキンやケーキを食べるだけの、本当にささやかなものだけれど、役割分担まで決めたくらいには楽しみだった。
 現在の時刻は十九時を回ったところだ。少々田舎の方まで来てしまったので、中継で見たようなツリーやイルミネーションどころか灯りすらほとんど見えない。戻るのもここから最低でも二時間はかかるため、高専に着くころにはまあまあ遅い時間になるだろう。今からどう頑張ってもクリスマスを楽しむには無理がありそうだ。
 ため息をつくのを堪えた代わりに、くあ……と欠伸が零れる。どうやら揺れさえも眠気を誘うようになってしまったらしい。

「いいよ。寝てな」
「……ううん、起きてる」
「昨日だってあまり寝てないだろう? それにもうほとんど目閉じてるよ」
「閉じてない……」
「はいはい」

 ぽん、と頭の上に夏油くんの大きな手が乗ると、そのままわたしの体はぐらりと斜めに傾いた。彼の言う通り瞼はもうほとんど閉じかかっていて、しっかりとは見えなかったけれど、どうやら肩を貸してくれたらしい。起きなきゃ。最終的に呪霊を祓ったのは夏油くんで、彼だって疲れているはずなのに。しかし触れた部分から伝わる体温が心地よくて、自分の意志とは反対に瞼はどんどん重くなっていった。

 目が覚めたときには車は停車していた。高専に着いてしまったのかと慌てて起き上がったけれど、フロントガラス越しに見える景色は想像していたものとは違い、目がちかちかとするほど眩しい。どうやらコンビニに寄っていたようだった。

「あ、起きたんですね」
「すいません……すっかり眠ってしまいました」
「いいんですよ。もうすぐ着きますからね」

 補助監督の言葉に改めて周りを見てみると、そこは高専から一番近いコンビニだった。もうほとんど最後まで眠ってしまったのと変わりない。
 すると後部座席の扉が開いて、夏油くんが戻ってきた。

「起きたんだ」
「うん、ごめんね。ずっと寝てた」
「ううん。構わないよ」
「……なに買ったの?」

 車体がほんの僅かに揺れる。しかし夏油くんは「秘密」とだけ言って、白い袋の中身を教えてくれることはなかった。


「お二人とも急な任務、本当にお疲れ様でした。明日はゆっくり休んでください」

 駐車場で補助監督と分かれ、寮へと向かう。静寂に包まれた高専は昼間見たあの町のようにクリスマスの気配などどこにも残っていなかった。

「ねえ、このあと空いてる?」
「今から? うん、特になにもないけど……」

 男子寮と女子寮の分岐地点に到着したとき、夏油くんはそう言った。そうして左手に持った白い袋を少しだけ持ち上げる。コンビニの購入品だ。どうやら中身を教えてくれるらしい。開かれた持ち部分を覗き込めば、そこには赤く大きな苺が目に入った。

「ケーキだ……」
「最後だったからこのひとつしかないんだけどね。滑り込みで行けるかなって……食べたい?」
「すごく食べたい」
「じゃあこっちおいで」

 誘われるようにして共有スペースに向かう。夜も遅いからかそこには誰もおらず、部屋のなかはしんと静まり返っていた。少し前までは誰かがいたのだろう。まだ部屋のなかは暖かい。
 フォークをふたつ取り出して、わたしたちはショートケーキを挟むように向かい合った。小さな丸型のそれには、一番上に鮮やかな苺が乗せられている。先に食べな、と彼が言ってくれたので、わたしは掬うように白いそれを切り取った。

「ん〜! 美味しい!」
「そう? よかった」
「夏油くんも早く食べて」
「せっかちだな、全く」

 そう言って夏油くんもケーキを一口食べる。するとゆるりと顔を綻ばせ、「確かに美味しい」と笑った。疲れたときには甘いものというが、クリスマス効果のせいか一層美味しく感じる。

「わざわざ買ってきてくれてありがとう」
「喜んでくれたのなら良かった」

 最後の苺は半分こにして食べた。小さなケーキは二人で食べればあっという間になくなってしまったけれど、心は随分と穏やかな気持ちで満たされた。
 残りあと少しでクリスマスも終わる。時計の秒針がちくたくと小さく音を刻むなか、不意に夏油くんが口を開いた。

「来年はちゃんと大きなケーキを食べよう」
「うん。五条くんいっぱい食べるだろうしね」
「ううん、そうじゃなくて」
「……うん?」
「来年も二人きりがいいんだけど」

 夏油くんの首がこてん、と傾く。えっと、それってつまり? おそらく顔に全部出ていたのだろう。彼は眉尻を下げながら小さく笑って、わたしの顔をじっと見つめた。

「げ、夏油くん……?」
「どういう意味だと思う?」
「えっ?」

 そっと彼の指先が伸ばされてわたしの頬を滑る。そこは自分でもわかってしまうほど、熱を帯び始めていた。



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